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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

和田武彦

2016-08-28 19:30:52 | 日記
1952年

昭和廿六年、全国高校優勝野球大会に、三岐地方代表として出場した大垣北高は確か初出場であったと記憶している、およそ、初出場のチームはこの大会独特の雰囲気に不慣れのため日頃の実力を出し切らないうちに、敗退してしまうのが、常識のようになっているので、大垣北高も、おそらく一回戦あたりで、敗退するであろうと軽く評価されていた、それが三回戦にまで勝ち進んだのであるから当時のファンは亜然として、この成り行きを見守ったものである。二回戦には塩谷(現早大)を擁する北海高校を一対零で降し三回戦には優勝戦まで勝ち残った熊谷高校と対戦し、二対零で敗退したのであるが、初出場の成績としては、まさに賞賛に値するものがある。大垣北高が、かくも好成績をあげ得た最大の原因をたずねられるなら、私は和田投手の奮闘をあげる以外、他に何物も求め得られないといっても決して過言ではあるまいと思う。和田君は、非常に整ったフォームをした投手で、スピードはあり、特に、内角低目の直球には威力が認められるしドロップにもコントロールがあって、スピードに変化を与えて投げ込むドロップには眩惑的なものがある、そのうえインサイド・ワークも十分心得ているというのだから、優秀投手の列に加わる資格を十分に持っている。大会終了後、アサヒ・スポーツの審判員座談会で、優勝校平安の清水(毎日)二位熊谷高校の服部(大洋)昨廿七年度の優勝校芦屋の植村(毎日)等を退けて、№1に推薦されている事実を見ても、彼がなみなみならぬ投手であることが立証されていると思う。彼の投球フォームが余りにも美麗であること、コントロールがよく、ストライクが多いことから、打者が安心して、立ち向かって来る傾向があるので、意外の不覚を招くといった不利がなかったでもないが、それはよき女房役がおりさえすれば、解決出来る問題で、幸い名古屋軍には野口捕手がいるからこの点安心であり、また本人にとっても幸福である。これほどの優秀かつ有名な投手が昨一ケ年間、全く球界に姿をあらわさなかったことに関しては、彼を知る多くの人の間で大きな話題となっていたのであるが、今度、名古屋軍に入団することになる、彼の進むべき正しき道を、やっと見出したような気がして、彼のために、祝杯を挙げてみたい気持ちにかられる。今後の彼は、このブランク時代に得た尊い体験を十分生かし技量プラス精神力、即ち実力であることを認識し大いに精進努力してもらいたい。

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