1961年
川内工一投手…1㍍80、73㌔、右投右打、長崎西高
同投手は1㍍80、73㌔の恵まれた体格の持ち主で、長崎西高時代にはチームで四番打者をつとめた中心選手。中学時代には陸上競技部に籍を置き、現在のみごとな体格とバネの強さはその当時に作られたものといわれている。夏の予選大会では、県予選で大村高を4-0(奪三振15、被安打3)代表決定戦では諫早高を4-1(奪三振7、被安打7)で西九州大会に出場、唐津実を4-1(奪三振7、被安打7)で破って、今大会に出場した海星高と決勝で顔を合わせ1-6(奪三振2、被安打13)でやぶれ、甲子園出場はならなかった。恵まれた体格にくらべてスピードはなく、技巧派と思わせるピッチング。好不調の差はほとんどなく、将来性があるのも見込まれて阪急入りが実現した。チームで四番打者をずっとつとめていただけに、打力にも捨てがたいものを持っている。昨年の春から今大会にかけての打率は三割三分九厘。
川内工一投手…1㍍80、73㌔、右投右打、長崎西高
同投手は1㍍80、73㌔の恵まれた体格の持ち主で、長崎西高時代にはチームで四番打者をつとめた中心選手。中学時代には陸上競技部に籍を置き、現在のみごとな体格とバネの強さはその当時に作られたものといわれている。夏の予選大会では、県予選で大村高を4-0(奪三振15、被安打3)代表決定戦では諫早高を4-1(奪三振7、被安打7)で西九州大会に出場、唐津実を4-1(奪三振7、被安打7)で破って、今大会に出場した海星高と決勝で顔を合わせ1-6(奪三振2、被安打13)でやぶれ、甲子園出場はならなかった。恵まれた体格にくらべてスピードはなく、技巧派と思わせるピッチング。好不調の差はほとんどなく、将来性があるのも見込まれて阪急入りが実現した。チームで四番打者をずっとつとめていただけに、打力にも捨てがたいものを持っている。昨年の春から今大会にかけての打率は三割三分九厘。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます