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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松本忍

2016-12-10 21:53:53 | 日記
1967年

若武者の名がふさわしい十九歳の左腕松本が、昨年から産経に地元で通算7連敗とふがいない敗戦をつづけていた中日を救った。これまで、出る投手がすべて産経のホームラン攻勢の前にあえなくお手上げといった現状だった。この夜の松本は8連敗にストップをかけたばかりか、待望のプロ入り初勝利を飾ったのだから、中日にとってはまさに救世主といえる。「小僧、おまえが投げるのか」三回板東が高山に一発をかまされ、四回から松本がマウンドに上がったとき、産経ベンチからこんなヤジがしきりにとんだ。当たりに当りまくっている産経ナインにとって、板東に代わって出てきたのが前日1イニングを投げてはいるが、一見ひ弱な、無名に近い松本だっただけに「なんだ小僧」と思ったのも当然だった。ところが回を追うにつれて、産経ベンチから声が出なくなった。「おや、おかしいぞ」五回ロバーツのタイムリーで同点にしたものの、六回には豊田、徳武、武上がカーブをから振りの連続三振。そして最後までそのカーブが打てない。マウンド上の松本はひょうひょうと投げ、九回あとひとりで初勝利というとき代打別部の三ゴロを権藤が一塁に悪投して、別部は二塁に進み、もし一発出ればすべては無になるという大事な場面でも、顔色ひとつ変えず、最後の打者山本八を三ゴロにしとめた。「よくやった」産経戦に勝ってベンチが大喜びする場面などはかってなかったことだが、西沢監督もわざわざマウンドまでかけ寄ると帽子をとって祝福した。プロ入り初勝利の声は落ち着いていた。「登板は急にいわれました。感想?うれしいが、別にどうってことありません。カーブがよかったので、カーブを投げまくりました」童顔をほころばせながらはっきり答える。公式戦には昨年の対巨人二十回戦に初登板、そのとき2/3イニング投げて王を三振にとった記録はあるが、それにしてもこの夜がプロ入り4試合目の投手とはとうてい思えない。松本はさる三十八年、長崎県諫早市北諫早中学から池田スカウトに見いだされ養成選手として入団。当時池田スカウトはよくこんなことをいっていた。「実に頭がよく、運動神経が発達している。それに父親(定吉氏)も勝ち気な人。いったんプロにはいった以上一人前の選手になるまでは郷里に帰さないでほしいといっていた」と。その松本が翌年からは昼は二軍と一緒に野球に励み、夜は名古屋の中央高校に通って今春卒業した。当時養成担当をした村野コーチは「どんなにつらいことがあっても泣きごとは絶対はかなかった」という。技術面のアドバイスをしてきた大友コーチは興奮のおももちで「きょうの松本の好投は決して偶然ではない。昨年に比べてスピードとタマに刀が出てきた。武器はカーブだが、そのカーブを大小自在に投げ分けるのが強みだ。これも養成中に基本をがっちり身につけたからだ」と満足そう。とにかく中日にとっては待望久しかった本格派左腕の出現である。「今後はもっとからだをつくることだな」と近藤コーチ。現在も1㍍78、70㌔。これからぐんぐん伸びるホープだ。養成といえば西沢監督もかつては名古屋軍の養成選手。この若武者を本紙評論家・吉田正男氏は「産経打者の大振りに助けられた面もあったが」と前置きしながらも「コントロールがいい。ピンチにも動揺せず、カーブには自信を持っている」と文句なくほめ「左投手のいない中日投手陣にとってまことに明るい材料だ」といっていた。

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