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スコット・アンダーソン

2024-07-11 21:39:19 | 日記
1990年
ノッポな外人投手がドラゴンズのユニホームを着る。194㌢、86㌔の本格派右腕。二階から投げ下ろすようなストレートは、ゆうに140㌔を超え、角度があって打ちづらいという。加えて縦に大きく割れるカーブ、チェンジアップやシュート、スライダーなど多彩な変化球も大きな武器だ。「キーオ(元阪神)に似たタイプだな。コントロールがいいピッチャーで、右の先発ローテーションの一人として2ケタは勝ってくれるものと確信しているよ」という星野監督のセリフからも分かるようにまとまりのある、安定感に富んだ投手。二十八歳という若さも魅力。八四年にプロ入りして、ほとんど3A暮らし、メジャーにはたった12試合、0勝2敗だが、今季は3A・インディアナポリスで初めて2ケタ勝利をマークするなど、将来性もある。テクニックも持ち合わせていて、右打者にはサイドハンドの投球でかわすピッチングを披露することもあり、日本の野球向きといってもいいだろう。「日本でプレーできる機会ができたことは、非常にうれしい」中日入団が決まったアンダーソンは、国際電話で喜びを伝えてきた。「いま、年齢的にも一番脂が乗っている時期だと思うし、ドラゴンズが優勝するためにできるだけ貢献したい」弾んだ声は、日本でのプレーを心待ちにしているように聞えた。


1987年からの3Aでの4年間の投手成績から見た1試合平均値は安打数=9・2本。奪三振5・5個の数字が残っている。安打数、奪三振はごく普通の投手だが、194㌢の長身の割には与四球数が少なく、コントロールはいい方だ。ボールの切れで勝負するタイプ。


1991年


「こうして正式にサインをして、今は自分の夢が現実に一歩近づいたという感じだ」昨年12月、渡米した中日・足木渉外部長とドラゴンズの正式契約を交わした後に、28歳の青年が見せた笑顔はうそ偽りないものだった。1984年から大リーグに挑戦すること7年間。昨シーズンにはついに念願の大リーグ初登板をモントリオール・エクスポズで果たした。登板した4試合の結果は1勝1敗、18イニングスを投げて被安打12、奪三振16、防御率3.00。初めての大リーグ昇格にしては決して悪い成績ではない。いや、これならば、大リーグでも中継ぎ、あついは運良く先発のチャンスをつかんだとしても不思議ではんかった。というのも、アンダーソンが短いイニングながら大リーグで残した高い三振奪取率は、確かな技術の裏付けがあるからである。195センチの長身から投げ下ろす切れのあるストレートと、落差の大きいカーブはこれまでも威力十分だった。だが、悲しいかな大リーグのレベルではとても海千山千のバッターを相手に投げ勝つことはできない。しかし、今シーズンのアンダーソンにはこの2種類にもう一つ武器が加わったのだ。「カット・フィンガー・ファストボール。このボールが僕のピッチングを一変させたんだ。内角一辺倒だったためにどうしても大リーグでは苦しくなってしまうピッチングが、このボールのおかげで外角の組み立てもできるようになったというわけさ」大リーグでの初先発では6回を1失点。敗戦投手にこそなったものの、エクスポズのブルペンコーチ、ケン・モッカ氏の評価も「他の投手スタッフが今ほど若くなければ、当然ローテーションに入ってくる」と高い。期待のノッポ投手だ。


1992年


195センチの長身から、チームメイトにつけられたあだ名が「ガリバー」だった。そのガリバーが、2年目のシーズンを迎えるに当たってこう言う。「昨年は日本とアメリカの野球の違いに驚くことの連続だったよ。でも、それは今年のためにきっといい経験になるはずだ。何としても、去年を上回る成績を挙げるつもりさ」日本の打者は、豪快にバットを振って「力対力」の勝負をするアメリカとは明らかに違う。投球をじっと見極めてくるし、バントも多用する。そのうえ、塁に出れば投手を幻惑させようとあの手この手を使ってくる。そんなカルチャーショックとの戦いだった1年目だったとすれば、今年はそれを乗り越えなければいけない年なのだ。昨シーズンは完封を4試合もマークしながら防御率は4点台で、9勝7敗。誰も手が出ないピッチングをしたかと思えば序盤でKOされることもたびたびだった。今季はピンチでも逃げず、強気に攻めて欲しい。そうすれば15勝は確実なのだから。

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