プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

若生照元

2024-08-08 16:28:25 | 日記
1959年
「大洋のユニホームを着るとなんとなく身が引きしまるような気がする」と若生はいう。この一年間、公式戦出場を停止されて、歌を忘れたカナリヤの悲哀をいやというほど味わった若生。WHALESのユニホームを着ただけで、あすへの希望に大きく胸がふくらむのだろう。「桑田さん、鈴木さんという先輩がいるからわからないことはなんでも聞いて一日も早くプロの水になれたい。いまでもトレーニングはしているから、スプリング・キャンプに参加するときにはどんなにシボられても負けない自信がある」と意欲を見せる。いまから四年前東北高に三若生ありとプロのスカウトは目を光らせたことがある。ポジションまでみんなピッチャー。どの若生がお目当なのかさっぱりわからないとスカウトをなげかせるエピソードがあったが、忠勇は西鉄、智男は大毎へと進んだ。照元は「西鉄、大毎から誘いを受けたが、大学に入りたかったし、当時は自信もなかった」ということで中大に進学、じっくり腕をみがいた。「みんなコツコツやっているようですね。彼らにも負けたくないし、大洋には後輩の波山も入る。また今年プロ入りした六大学組にも負けたくない。ライバルが多くて弱っちゃう」と苦笑する。激しい気性を丸出しにしたことの言葉は彼の性格の一端を如実に物語っている。「今まではインコースの落ちるシュートを決め球に使っていた。しかしプロではなんといってもスピードが大切だ。だから自分で納得するまでは打ち込まれてもいいから直球で勝負したい」またこの若生にはフォーク・ボールという伝家の宝刀もある。三年の春対農大戦でノーヒット・ノーランの記録をつくり、中大十シーズン振りの優勝に大きく貢献したこの魔球はプロの世界でも立派に通用することだろう。「目標は十勝。それも防御率2.00以下というものなんです。そのためにはもっとコントロールをよくしなければいけない。一本打たれるとすぐカーッときちゃうがつねに冷静に投げるようにしたい。なれるまでは捕手のサイン通りに投げる。どちらかといえば寒い方が強いが、夏でもナイターなら大丈夫」とはっきりいい切る。三原監督を迎えて大きく飛躍しようとする新生大洋にこの若生の右腕は貴重なものになるだろう。


大洋田村スカウト


若生はスピードボールを武器とするオーソドックスな投手だが、スクリューボールももっており、調子がいいときはプロでもそう打たれないだろう。身体もあるし、素質の点からいっても大学球界ではAクラスの投手だ。ただピッチングが単調になる欠点があるからそういう点を十分注意し、早くプロの水になじみさえすれば十勝はできると思う。


中大村野前監督の話


負けず嫌いの性格だからそれがいい面に出れば十勝は軽く出来るだろう。ただ調子の波が多いからうまくその波にのればまとめて勝てるが、その反面つまずく心配もある。大学時代フォークボールをきめ球に使っていたが、これが低目にきまれば面白いピッチングが出来る。ただ疲れたときステップが広くなり腕が小さくなってサイド・スローになる欠点がある。この欠点をどう克服するかが今後の課題だろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 牧勝彦 | トップ | 高島昭夫 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事