プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大畑徹

2024-07-11 21:47:54 | 日記
1983年
毎年、左腕不足に悩まされる大洋にあって待望久しい即戦力サウスポーの入団だ。何しろ大学通算成績は50勝2敗、39連勝などの輝かしい実績は地方リーグという事を差し引いてもいかに魅力たっぷりな素材がうかがい知れる。卒業試験のためプロスタートはちょっぴり出遅れたが関根監督の構想も「夏場あたりから出てきてくれれば・・・」だから焦ることはない。「死ぬ気でやる」が口癖の九州男児。野性的なマスクもスター性十分だ。


1984年


昨年のドラフト1位男も、肘の故障で1年間を棒にふった。「周囲の期待が大きすぎて、それに応えようと気負いすぎました」と反省する本人。あせりは禁物だ。今年は自分のペースを忘れずに調整して、一軍定着を狙いたい。それだけの力は絶対ある。


1985年


「見ていてくださいよ!」が最近の口グセ。その言葉通り、草薙キャンプでは快速球とキレ味鋭いカーブをビシビシと投げこみ、大いに首脳陣やマスコミの注目を集めた。グラウンド外の表情も、かつての寡黙ぶりからひょうきん人間へと180度の大変身。冗談を連発しては周囲の爆笑を誘っている。左腕欠乏症、大洋投手陣の特効薬となるか!


1986年


「ぼくにも意地があります」昨年暮れの移籍入団発表の席で、キッパリと言った。58年、折角のドラフト1位で入団しながら、大洋ではついに勝てなかった。悔しかったことだろう。その気持ちを、新天地でたたきつけることだ。切れ味鋭いストレートとカーブは、まだまだこれから伸びる素質を十分に秘めているはずだ。「ゼロからの出発」を決意して背番号は0。心機一転のマウンドに期待したい。


1987年


「イチからじゃなく、ゼロから再出発したい」の意気ごみも、むなしかった。九州の大学リーグで豪腕を誇った左腕からのスピードボールは、大洋でも日本ハムでもことごとくはじき返されている。心機一転、昨年から投球フォームを変えた。オーバーハンドからサイドスローへ。たとえワンポイントでもいい。一世を風靡した西武・永射のように実戦に強いマウンドさばきが見られるかどうか楽しみだ。

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バートサス

2024-07-11 21:43:37 | 日記
1990年
陽気なジョーク好きの助っ人だ。ヤクルトの新外人、ティム・バートサス投手(30)は6日、神宮球場でさっそく初投げ、約50球のピッチングを披露した。まるで大相撲の新小結・曙が投げているよう。201㌢は現役最長身だ。5日に来日したばかりとあって、その体の割りにはこの日のピッチングは迫力不足だったが、「速球には自信がある。146~150㌔は出せるよ。スライダー、カーブ、チェンジアップのほかに今はフォークも練習中だ」とアピール。

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スコット・アンダーソン

2024-07-11 21:39:19 | 日記
1990年
ノッポな外人投手がドラゴンズのユニホームを着る。194㌢、86㌔の本格派右腕。二階から投げ下ろすようなストレートは、ゆうに140㌔を超え、角度があって打ちづらいという。加えて縦に大きく割れるカーブ、チェンジアップやシュート、スライダーなど多彩な変化球も大きな武器だ。「キーオ(元阪神)に似たタイプだな。コントロールがいいピッチャーで、右の先発ローテーションの一人として2ケタは勝ってくれるものと確信しているよ」という星野監督のセリフからも分かるようにまとまりのある、安定感に富んだ投手。二十八歳という若さも魅力。八四年にプロ入りして、ほとんど3A暮らし、メジャーにはたった12試合、0勝2敗だが、今季は3A・インディアナポリスで初めて2ケタ勝利をマークするなど、将来性もある。テクニックも持ち合わせていて、右打者にはサイドハンドの投球でかわすピッチングを披露することもあり、日本の野球向きといってもいいだろう。「日本でプレーできる機会ができたことは、非常にうれしい」中日入団が決まったアンダーソンは、国際電話で喜びを伝えてきた。「いま、年齢的にも一番脂が乗っている時期だと思うし、ドラゴンズが優勝するためにできるだけ貢献したい」弾んだ声は、日本でのプレーを心待ちにしているように聞えた。


1987年からの3Aでの4年間の投手成績から見た1試合平均値は安打数=9・2本。奪三振5・5個の数字が残っている。安打数、奪三振はごく普通の投手だが、194㌢の長身の割には与四球数が少なく、コントロールはいい方だ。ボールの切れで勝負するタイプ。


1991年


「こうして正式にサインをして、今は自分の夢が現実に一歩近づいたという感じだ」昨年12月、渡米した中日・足木渉外部長とドラゴンズの正式契約を交わした後に、28歳の青年が見せた笑顔はうそ偽りないものだった。1984年から大リーグに挑戦すること7年間。昨シーズンにはついに念願の大リーグ初登板をモントリオール・エクスポズで果たした。登板した4試合の結果は1勝1敗、18イニングスを投げて被安打12、奪三振16、防御率3.00。初めての大リーグ昇格にしては決して悪い成績ではない。いや、これならば、大リーグでも中継ぎ、あついは運良く先発のチャンスをつかんだとしても不思議ではんかった。というのも、アンダーソンが短いイニングながら大リーグで残した高い三振奪取率は、確かな技術の裏付けがあるからである。195センチの長身から投げ下ろす切れのあるストレートと、落差の大きいカーブはこれまでも威力十分だった。だが、悲しいかな大リーグのレベルではとても海千山千のバッターを相手に投げ勝つことはできない。しかし、今シーズンのアンダーソンにはこの2種類にもう一つ武器が加わったのだ。「カット・フィンガー・ファストボール。このボールが僕のピッチングを一変させたんだ。内角一辺倒だったためにどうしても大リーグでは苦しくなってしまうピッチングが、このボールのおかげで外角の組み立てもできるようになったというわけさ」大リーグでの初先発では6回を1失点。敗戦投手にこそなったものの、エクスポズのブルペンコーチ、ケン・モッカ氏の評価も「他の投手スタッフが今ほど若くなければ、当然ローテーションに入ってくる」と高い。期待のノッポ投手だ。


1992年


195センチの長身から、チームメイトにつけられたあだ名が「ガリバー」だった。そのガリバーが、2年目のシーズンを迎えるに当たってこう言う。「昨年は日本とアメリカの野球の違いに驚くことの連続だったよ。でも、それは今年のためにきっといい経験になるはずだ。何としても、去年を上回る成績を挙げるつもりさ」日本の打者は、豪快にバットを振って「力対力」の勝負をするアメリカとは明らかに違う。投球をじっと見極めてくるし、バントも多用する。そのうえ、塁に出れば投手を幻惑させようとあの手この手を使ってくる。そんなカルチャーショックとの戦いだった1年目だったとすれば、今年はそれを乗り越えなければいけない年なのだ。昨シーズンは完封を4試合もマークしながら防御率は4点台で、9勝7敗。誰も手が出ないピッチングをしたかと思えば序盤でKOされることもたびたびだった。今季はピンチでも逃げず、強気に攻めて欲しい。そうすれば15勝は確実なのだから。

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大畑徹

2024-07-11 21:16:37 | 日記
1982年
「左では立教の野口以上」とは明大の島岡監督。140㌔の速球、縦に割れる大きなカーブは、左腕不足のプロ野球にとって大きな魅力だ。性格も「向こうっ気が強く、逃げるのが大嫌い」というようにプロ向きである。中央ではほとんど無名の存在だったが、ことしの日米大学野球選手権大会のメンバーに初めて選ばれてから「九州に大畑あり」と知られるようになった。九州では数々の記録を塗り替えた「記録男」でもある。福岡六大学野球で、完全試合、一試合10連続三振、一試合16奪三振、そして、山中(法大ー現在住友金属監督)の記録を2勝上回る大学通算50勝。「好きな野球ができるし、やりがいもある。ここまできたら、やはりやってみたい」と、本人の気持ちはプロ入りに傾いている。希望の球団はセ・リーグ。「好きなバッティングができるし、お客さんも多いからですからね」と笑う。打撃にも非凡な面を持ち、この秋のリーグ戦では、わずかの差で首位打者を逃した。ほとんどの球団があいさつに訪れたが、とくに大洋と中日が熱いラブ・コールを送っているという。だが、父親の清さんは「プロの世界は甘いものじゃないし、身分の保証もない。私は社会人に行ってほしいと思い悩んでいるところなんですよ」と複雑な表情を隠せない。社会人からは、プリンスなどから誘いの手が伸びている。昨年のドラフトで、大学の一年先輩の中原朝日投手が日本ハムに3位で指名された。エースのプライドの高い大畑だけに、プロ入りに当っては「それ以上で指名されること」と、もう一つ父親の説得が、大きなキーポイントになりそうだ。


「うれしいですね。大洋は好きな球団です。いいチームだと思います」九州球界の雄、九産大・大畑徹投手(22)=178㌢、76㌔、左投げ左打ち=は、指名後の記者会見で喜びに顔をほころばせた。九州産業大からは初めての1位指名だ。この日、大畑は午前十一時過ぎから、大学機内の九産大球場で待機していた。母校の不祥事件で、大学本部が報道陣をロックアウトしているため、異例の球場内会見となった。大洋から電話が入ったのは、午前十一時二十四分。すぐにその場で記者会見。「1位に指名させていただいたという電話です。ありがとうございました、と答えました。1位指名は光栄です。秋のリーグ戦が終わってから、プロ入りを考えました。監督さんや大学の理事長、それに両親と相談してから、はっきり決断したいと思います」大畑は社会人の熊谷組に入社が内定している。父親の清さん(56)はドラフト前に「プロの世界は厳しいところ。私は社会人に入ってほしいんです」と、息子のプロ入りには反対の考えを明らかにしている。だが、大洋が大畑の意中の球団であり、しかも1位指名という大畑のプライドを十分に満足する結果が出たので、プロ入りはまず間違いない。「親父は自分で口説きます」と決意の固いところも見せる。意中の球団は大洋、中日、西武の三球団だった。合宿所で「いつもと変わりない朝を迎えた」という心臓の持ち主。池田監督も「向こうっ気が強くて、プロ向きの性格」と太鼓判を押す。残るは契約に関しての話し合い。「自分からいくらとは言えませんが、多ければ多いほどいいです」今後の抱負を聞かれて「ストレートで三振の取れるピッチャーになりたい。三振を取ってみたいのは原、掛布さん。ライバルは野口(立大)です」ときっぱり言い切った。「これまでの人生で一番うれしい日」と言う大畑。「大好きな」江夏投手を目標に、プロへ第一歩を踏み出そうとしている。

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