プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三村勲

2024-06-01 11:53:34 | 日記
1956年
同主将の語るところによれば昨シーズン来負傷欠場中の三村選手は、キャンプ・イン当日一応広島入りしたが足部の負傷がゲーム開始までには完全に治らず、なお数ヶ月を要する見込みで数ヶ月後にも必ず完治する自信が持てないので、遠慮深い三村選手の性格からしてこれ以上カープ球団へ迷惑をかけることを深よしとせず、退団の決意を固めたそうである。退団すれば小鶴・金山・三村選手らで経営するロビンス・タクシーの会社の再建の仕事をする予定だそうだ。昨シーズン初めのオープン戦でも盛んにホーマーを飛ばし、セ・リーグ第一号ホーマーを放って期待せられた三村選手が不幸公式戦中に負傷して、最早やその元気なプレーがみられないことはカープ・ファンにとって残念であり寂しい限りである。

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小野坂清

2024-06-01 09:49:25 | 日記
1964年
「思ったよりうまい。練習ではさっぱり威力のない球を投げていたが、登板させてみるとびっくりしたよ。左打者を押さえれば合格だと思っていたが、右打者もうまく料理した。予想外の収穫で、うちは助かるよ」試合に負けたが、小野坂の好投に木塚代理監督はうれしそうな表情だった。四回投げて2安打、4三振はりっぱ。試合が終わったあと、小野坂は「追い風でカーブがよく曲がったようです。ふあふあ投げているうちに終わっちゃった感じ。きょうはカーブ、シュート、シンカーを投げてみたが、ブレーキのきいたカーブがとくによかったですね。これにスピードが加わったら…と思います」といっていた。スピードはないが、それがかえって国鉄打者のポイントを狂わせたようだ。ケガの功名といったところ。近鉄にはこの型の左投手がいなかっただけに、小野坂の初登板の好投は大きい。土井の一年先輩、大鉄高卒業後、不二越鋼材で投げていたが、恩師片田先生は「土井、伊藤、中井(阪神)らといっしょにやっていたが、頭はすばらしくよかった。ピンチに立っても冷静な男で、しっかりしているから、じゅうぶん通用するのではないか」といっていたことがある。

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上田武司

2024-06-01 09:36:30 | 日記
1964年
身長1㍍81で十七歳という本格派投手。投手をやり出してからまだ四ヶ月たらずだが、柔軟なからだから投げおろす速球は、将来のエースといわれるくらいの逸材だ。川上監督も上田のことになると目を細めながら「どうだ、いいだろう。三年先が楽しみだ」と上きげん。100㍍11秒7の俊足。「入団した当時はバッティングに生きたいと思っていたが、最近は打撃練習をしていないので自信がなくなった」というが、投げる球はカーブ、シュート、フォークボールと豊富だ。現在は「スピードとコントロールをつけること」に専念しているそうだ。「プロ野球の連中はもっと強いと思っていたが、大したことないですね」といい切る根性の持ち主である。目標は「真っ向から勝負するピッチャー」といっている。バッティング投手をやってコントロールをつけようとしているためフォームが小さくなったのは心配の種だが「ぼくは来年が勝負です」といいながら練習する金の卵だ。

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