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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山中巽

2017-09-19 23:30:38 | 日記
1962年

前評判の悪かった山中(中日=中京商)の方が上背(1㍍83)を利し真っ向から投げおろす重いタマとスライダーで門岡をリードしている。いまからフォーク・ボールなどの変化球を多用しているのと、走者が出るとコントロールが悪くなるのが気がかりだが、本番でのデビューは門岡よりコントロールがよく投球術にひいでているが、なにぶんにも球威不足であまり多くは望めまい。
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織田光正

2017-09-19 23:21:14 | 日記
1959年 観音寺一高時代

織田は本格派投手のいない県下では随一の正統派投手。最近はアウドロに制球力がつきシンカーにも自信を増した。ただ決め球のドロップのキレがいまひとつ心もとないが、キレさえ増せば持ち前の豪球に一そう威力を加えることになろう。
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山本康夫

2017-09-19 23:15:50 | 日記
1960年 箕島高校時代

今年はどちらかといえば守備のチームで、打線は速球には強いが、技巧派投手にもろさがあり、それを改めることに重点をおいている。本格派のエース山本は一・八㍍の長身で左腕から投げおろす速球、ドロップには威力があり、県下有数の投手。毎試合三振を十個以上とっている。一時肩をこわしていたが最近ようやく復調、持ち前の速球を投げられるようになった。夏の大会までには完全に立ち直るという。

山本が大黒柱で、山本が調子を出し、いま一歩試合運びにうま味が出ると夏の予選大会でも一波乱起こしそうだ。


串本をわずか一点におさえた箕島の山本投手は母の遺影の入ったお守りを抱いての登板だった。去る八日の練習中に母親の久子さん(42)が病気で急死、一時はがっくりしたが、せめて大会での雄姿を亡き母にみせたいとの願いから身につけてきたという。ベンチに引きあげた山本投手は「しばしばピンチに見舞われたが、なにくそとがんばった。とにかく第一戦に勝て、母も喜んでくれるでしょう」と流れる汗をふきながら思わずニッコリ。
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