goo blog サービス終了のお知らせ 

プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小野仁

2025-08-03 16:51:09 | 日記
1998年
昨年8月30日の広島戦で、プロ初先発を見事な白星で飾った。堀内恒夫・現ヘッドコーチ以来、31年ぶりのルーキー初先発勝利は、秋田経法大付高時代に、高校生では初めて、五輪候補としてドラフトから除外される凍結選手になった大器ぶりを証明した。持ち味は、長い腕を生かした切れのいい速球だ。この春の宮崎キャンプでも、400勝投手で大先輩の金田正一さんから、大きなフォームで投げることをアドバイスされ、先発を任される大型左腕としての歩みを早めた。今季は「速球を生かすためにも、緩い変化球をマスターしたい」と投球の幅を広げることにも取り組んでいる。プロ1年目は、細かなコントロールに気をつかい、大胆さを欠く面も見られたが、「今年は、打者に向かっていく思い切りのいい投球を見せたい」と意気込んでいる。


1999年


昨季は、左の先発不足に泣いた巨人。今季、首脳陣は、小野、岡島、平松のローテーション入りに期待を寄せている。中でも小野は、入団以来、何度も先発のチャンスを与えられながら勝ち星が伸びず、昨年も2勝止まり。制球難が災いし、最速で150㌔近い速球を生かせなかった。


高校2年時に既に甲子園大会で快速球が注目され、3年時には高校生として初めてアマチュアの全日本に選出され、世界最強豪・キューバチームが誇れるリナレス・キンデランの三、四番から三振を奪っているのだ。ともに149㌔を記録する快速球で奪った三振で、この快投後小野は、「10年に一人」の形容で語り続けられる。高校卒業後入社した日本石油では本来のスピードが戻らず、高校時代から指摘されていた制球難も克服できず、96年アトランタ五輪では2試合、2回1/3投げて防御率19.29の記録だけが残った。プロから即戦力の活躍が期待される社会人選手にとって、この成績は致命傷だ。しかし、この年のドラフト会議で小野は2位指名され、巨人入団を果たしている。いかに小野の持つ素質が破格か、このことだけでもよくわかる。プロ入団後、アマチュア時代の欠点を持ち越した小野は苦戦する。1年目の97年は1軍で11試合に投げ1勝0敗、防御率は6点台、2年目の昨年は15試合に投げ2勝7敗、防御率は5点台だった。「カーブのコントロールをよくするよう心がけています。フォークは下(二軍)では勝負球に使って三振の数も多かったんだけど、一軍では使わなかったんです。左投手で成功している人は皆、カーブがいいですから、カウントを取る球にもしたいし、勝負する球にもしたい」課題のコントロールに対しては「記録的に見てもそれほど悪いとは思わない」と言う。「ストレートでもカーブでもストライクは取れるが、勝負球が甘い。しかし、それまでの過程ではいいボールがいいコースにいっている」というのが小野の自己分析だ。


2003年


昨年秋から横手投げをスリークォーターに戻し、完全復活を目指す。秋田経法大時代から才能を絶賛された未完の大器。課題となる精神面のタフさと制球力が増せば、新天地で一軍に定着し、先発で2ケタ勝てる力はある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊藤彰 | トップ | 伊藤剛 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

日記」カテゴリの最新記事