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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山崎善平

2017-09-17 17:57:54 | 日記
1957年

中日山崎善平外野手はこのほど同球団を退き、名古屋市愛知マツダ株式会社に就職が決定した。また夏目順三投手も山崎外野手とともに同社に入社した。
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菊川昭二郎

2017-09-17 11:44:03 | 日記
1962年

野球の選手にしては珍しく色が白くて、一見やさ男に見えるが、グローブを持ってグラウンドに立てば、出足の速さとフィールディングの的確

さでは九州高校野球のピカ一的存在だった。鎮西高校一年のときから野球部にはいりこの三年間は遊撃オンリーに勤めあげてきただけに、守備の堅さは群を抜いている。打撃も二年まで甘さが指摘されていたが、三年にはいると打率もぐんと伸び、二、三年の全国高校予選は3割4分8厘とかなりよい当たりを見せている。プロ入りしてもっとも心配されるのは、1㍍73の身長と65㌔の体重が、プロ選手として小さすぎはしないかということ。同校中原野球部監督は「将来は阪神の吉田遊撃手のような選手になってもらいたい」と、期待をかけている。そして「体力をカバーするのは、からだの動きしかない」と練習ではいつもダッシュの連続だった。ベースを一周するのに一年のときは16秒かかたが、いまでは14秒5で回るほどまでなった。菊川選手がプロ入りできたのも、この守備の堅さが買われたことはもちろんだ。だが、本人はもとより、関係者がもうひとつ心配しているのは、打撃がどこまで伸びるかという問題。中原監督は「打てないプロ選手ほど魅力のないものはない」というが、もっともな話。平本同校野球部長も「高校で3割以上を打っていてもプロ入りする選手はみなそれぐらいは打っているのだからたいしてたよりにはならん」という。「菊川選手は、守備を買われてプロ入りしたとはいえ、これから打撃も並行して伸ばしてもらいたい」と回りの人たちは激励する。本人も「吉田さんを手本にして、守備はもちろん、打撃もコツンと当てて行くタイプの選手になりたい」と、将来を夢みている。熊本市には、川上巨人監督を輩出した熊本工業など高校球界の名門校があるが、菊川選手のいる鎮西高は野球部が発足したのが、戦後二十二年。しかもここ数年前までは、熊本市においてすらもCクラスのチームでしかなかった。したがってプロ球界には、先輩らしい先輩がおらず、この点菊川選手は心細そうだが「自分だけをたよりに全力を尽くすだけ。鎮西野球部の伝統はこれから私たちが築いて行く」と、力強く語るあたり、後輩思いの一面がよくあらわれている。菊川選手は三年になると、一年先輩の岡田選手(阪急二軍)のあとを受けてキャプテンにおされた。ふだんは冗談がうまく部員をいつも笑わせるが、いざ練習となると白球に生きるそのままにガラリと人が変わると後輩たちはいう。タフな菊川キャプテンのもとで練習する部員たちは、ついて行くだけでほとんどがアゴを出し、平本部長は「菊川君は下級生からいちばんコワがられていたようだ。それで彼がいるとチームはいつもピシッとしまりができていた」と名キャップぶりをほめる。鎮西高野球チームは、さいきん熊本県内でもAクラスにのしあがってきたが、昨年もことしも全国高校野球ではクジ運に恵まれず苦杯をなめている。三十五年には中九州大会で大分県代表高田高と第一回戦で顔が合い、門岡投手(現在中日)にしてやられ、三十七年には同じ中九州大会で大分商に延長戦で敗れている。菊川選手にとって高校球児の夢・甲子園の土は踏めながったことが、なによりの心の残りなのだ。だが、予選における名守備ぶりは球団スカウトの目を引かずにはいられなかった。「大会が終わると近鉄はじめ四つの球団から話があった」と中原監督はいっている。菊川選手は、はじめ大学に進む予定だったが、家庭の事情で進学を断念せざるえなくなり、菊川選手を見込んで通いつめた近鉄の熱意に引かれて球団入りが決まった。体力のハンディを動きの速さでどれだけ克服できるか、また心配される打撃をどこまで伸ばしきるかが、菊川選手のプロ生活のすべてを決めるカギなのだ。
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佐藤公博

2017-09-17 10:57:34 | 日記
1961年

エース米田が出遅れている阪急投手陣で目をひいている一人が、ことしノンプロ東洋高圧北海道から入団した佐藤公博(24)だ。早くも新人王の呼び声がかかっている佐藤は、ペナント・レースでも活躍するだろうか。

「こんなにいいとはおもわなかった」キャンプで佐藤にほれこんだコーチ陣は二十六日の大洋三回戦で好投した佐藤に大よろこび。戸倉監督などは「どこといって欠点はない。フォームもできているし、速球ののび、カーブの切れも申し分ない。コントロールだってあれだけやれれば十分。スタートからローテーションにいれられるだろう」と大変な期待のかけようだ。身長1㍍75、プロ選手としては大きな方ではないが、日本一の大洋を、たとえ2イニングでも無走者に押えただけにホップする球、カーブの切れ味はさすがだ。女房役の岡村捕手に佐藤のピッチングを解剖してもらった。「牧野さんより佐藤さんの方がペナント・レースでは勝ち星をあげそうな気がする。レギュラー・バッティングでバッテリーを組んでおればすぐわかるがストレートが打者の手もとでのびるので、打者はつられてボール一つぐらいストライク・ゾーンからはずれても手を出して凡フライになっている。カーブだっていいし、シュートも小さく落ちるが、投手の生命は球ののび。高いストレートでつれるところに、佐藤さんのすばらしさが証明されていると思う」

佐藤はシンの強い選手だ。こんな話がある。いくらスピード・ボールを投げても、まだ成績をあげても「体が小さいからな」といわれることに発奮した佐藤は毎朝早く起きると四㌔、五㌔のランニングをはじめた。このハード・トレーニングは函館工から高圧にはいっても続いた。身長をのばすのには役に立たなかったが?下半身とくに腰が強くなり新人年活躍はこうして誕生したのだ。キャンプ・インしたころは牧野付きのコーチだった伊勢川コーチも最近は佐藤の指導にいそがしい。「佐藤は巨人の堀本のようにノンプロの経験があるので、適当に息抜きするコツを知っている。体もはたで小さい小さいというが、バランスがとれている。いまはまだ研修期間だから比較的短いイニングしか投げていないが、これから徐々に投球回数をのばしていってスタミナをつければもう大丈夫」最後に佐藤にマイクを向けてみよう。「好投したといっても真剣勝負(ペナント・レース)で勝たない間は大きなことはいえません。米田さんのような速い球を投げること、これがぼくの目標であり、夢です」ボツリと話すが、希望は大きい。
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岩瀬光時

2017-09-17 09:33:15 | 日記
1963年

捕手のミットに小気味よい音をたてるのが岩瀬のスピード・ボールだ。別府キャンプで投球練習にはいってからまだ二日目というのにもうかなりのスピードが出ている。「まだセーブしているんですよ」と岩瀬はテレるが高木捕手は「スピードでは左投手のナンバー・ワンですよ」と太鼓判を押している。ベテランの西尾、中山は左の技巧派だが、岩瀬は正統派、この岩瀬も昨年は人に知られぬ悩みがあった。それは0・3度という近視のことだ。中日球場のネット裏からのスコアボールドのメンバー掲示板がかすかに読みとれるほどだから、普通の人だったらあまり気にならないが、プロ野球選手ではそうもいかない。ウエスタン・リーグの試合で登板したとき捕手のサインの見間違いで一発打ち込まれたこともあったらしい。杉浦新監督がシーズン・オフに岩瀬に要望した第一項目が「度のあったメガネをかけること」だった。だが別府キャンプでピッチングをする岩瀬の顔にはメガネがみえない。それでももうサインは絶対に間違えないという。それはコンタクトレンズをはめたからだ。すでに中日では山中投手がコンタクトレンズをはめているが、岩瀬がその仲間入りしたことはまだ同僚もほとんど知らないほどだ。しかし「もうだいぶ訓練したから苦にならなくなった」そうである。昨年のキャンプについて「一年生だったしすぐストライク・ボールの数をとられたのでストライクを投げるのに精いっぱい。気持ちのうえであまり余裕がなかった」と反省する。反省のできるのはやはり一年間、プロでメシを食べて経験を積んだからにちがいない。それでもウエスタン・リーグでは三勝をあげ二軍のエースにノシ上がったのは昨年の実績。連投の疲れから一時フォームがバラバラになったが、シーズン・オフにシャドー・ピッチングで再びシャープな腕の振りを思い出したそうだ。だから別府キャンプでもフォームについてはコーチ陣からひとことも注文がない。「昨年は投げおろしで投げたつもりでボールが回転し横になっていたことがあった。もっとも自分では視力が悪かったので張り合いもなかったがもう大丈夫です」どちらかというと、おとなしい性質だが、それだけに、もうだいじょうぶという強いことばはよほど自信がないといえぬことだ。ペッパーゲームのとき加藤コーチの相手役に指名された右に左に打球を追うのも岩瀬だ。これは機敏性を養うための特殊訓練だが、それだけ岩瀬の力量が買われていることになる。杉浦監督も「キャンプで岩瀬を鍛えて早く一軍にあげたい」と期待をかけている。まだ全力投球には間があるが岩瀬の快速球はことしの中日の推奨株、こんなことを岩瀬にいうと、彼はほおを赤らめるほど純真な青年だが「コースぎりぎりのコントロールをつける」という目標に毎日一生懸命取り組んでいる。
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平尾邦彦

2017-09-17 09:04:25 | 日記
1962年

このほど久留米商の平尾邦彦(17)投手=右投げ=を獲得、近く正式契約を行うことになった。同投手は身長1㍍75、体重65㌔、下手投げで、武器は沈むシュートだが、カーブは甘い。
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松本雄作

2017-09-17 08:51:56 | 日記
1962年

北原代表と島岡明大野球部監督の最後の話し合いも終わり別部捷夫外野手(22)=鳴門高-明大=の入団が今、明日中に正式発表される。また、松本雄作外野手(22)=福岡工高ー明大農学部四年=の獲得にも成功し、近く入団が発表される。松本外野手は身長178㌢、76㌔、三十三年春の甲子園大会に五番打者として出場、三十四年、明大入学、ことし春の六大学リーグ、早明二、三回戦には先発メンバーとして右翼を守っている。事情があって今夏野球部をやめたが、長打力をみこんだ国鉄が入団交渉をすぐはじめ、韓国遠征前の十一月上旬にすでに練習生として合宿入りし、練習に励んでいる。練習をみた飯田コーチも松本の力のあるバッティングをほめている。
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