→沢田教一写真展
招待券が当たったので、行ってきた。
ベトナム戦争の写真で賞を取り、若くして殉職した
ということぐらいしか知らなかったが、
今回の展示では出身地の青森の風景や
そこで暮らす素朴な人々、働く人や子どもたち・・・
そんな写真も撮っていたと知った。
三沢の米軍基地で働いたのが縁でUPI通信社に入社、
65年ベトナムに赴任、66年「安全への逃避」でピュリッツァー賞受賞、
70年カンボジアで銃撃され34歳で死去。
戦争初期のころは米兵の表情もまだ明るいが、
戦況が長引くにつれ、
険しい表情、放心したような表情の写真が増えていく。
写真は時系列に展示されていて、順を追って戦況の悪化もわかる。
捕虜になったベトナム兵のカメラを睨むキツイ視線、
家から追い出された子ども、母親のおびえた表情・・・
かたや、まだ余裕のあった都市部では着飾った若い女性も。
ギャップがありすぎ。
まともな精神を保てなくなっていく米兵、
自分と同じアジアの顔をしたベトナムの人々、
敵も味方も同じ年頃の若者だ。
女性や子どもは日本にでもいそうな普通の人たち。
アメリカの従軍カメラマンとしてそんな人たちを撮り、
報酬を得ている自分。
矛盾に葛藤しただろうし、罪悪感もあっただろうし、
恐怖心も功名心もあっただろう。
「安全への逃避」に写る母親に抱かれた子が健在で、
「沢田さんが岸に引っ張り上げて安全なところに連れて行ってくれた」
と語るビデオも会場で上映されていた。
中高年の来場者が多かったが、ちらほら若い人の姿も。
たまたま前の記事が息子ファミリーのベトナム旅行。
沢田氏が存命なら、今のベトナムを見て何を思うだろうか。
存命なら、またどこかの戦場へ赴いただろうか。
・・・などと考えながらゆっくり見て回っていたら、すっかりお昼を食べそびれ、
遅いランチを。
平日限定ランチ。串カツ8本コース、1000円也~(^-^)v
串カツをお店で食べたのは初めてかも。
大根(煮物)やこんにゃくなど摩訶不思議なものもあり。
→ここ
殉死ではなく、殉職だと思います。
当たり前ですが日本でも写真を撮っていたのですね。
今は肖像権等で人物を撮るのがとても難しい時代です。
それ以前に、今の日本人の顔、昔と違ってささくれているかも、です。
今も世界のあちこちが戦場です。
戦場カメラマンがいない世界が理想です。
こんにちは。
殉職に訂正しました。ご指摘、ありがとうございましたm(__)m
沢田氏は戦場カメラマンと言われるのが嫌だったそうです。
「ベトナム戦争の仕事が一段落したら
米国で風景や子どもの笑顔を撮りたい」と。(妻サタさん談)