ささくれ立っていた頃、好きであることと尊敬することが
違うものだと気づいて荒れていた。
そこに、信頼することも加わった。
つながっている事象ではあるけど、違うものなのだった。
前者2つが違うというだけなら、荒れて済んだ。
3つ目の信頼することは、荒れるだけで済まなかった。
そしてその荒れていた頃から数年後。
そこに受け容れることが加わった。
受け容れることと信頼することとの間には深い深いつながり
があって、人を信頼しなかった私は、礼をもって接することで
そこをクリアしようとした。
いい結果になるわけがない。
私の場合の「思いやりをもって人に接する」ことは、表面だけ
礼儀正しくしていることだけに他ならなかった。
勘違いをした人はしなだれかかってきた。
いつまでもすがりつこうとした。
そして、私はそんな人々をうまく切ることができなかった。
ある時は一刀両断に、ある時はじわじわぎこぎこと。
尊敬できる人がいることは幸せだと思う。
でも、好きな人がいることはもっと幸せで、
人を信頼できることはそれよりまた幸せで、
人を心から受け容れられることはさらにそれよりも幸せだと思う。
まだまだたくさん歩かないとたどりつかない。
違うものだと気づいて荒れていた。
そこに、信頼することも加わった。
つながっている事象ではあるけど、違うものなのだった。
前者2つが違うというだけなら、荒れて済んだ。
3つ目の信頼することは、荒れるだけで済まなかった。
そしてその荒れていた頃から数年後。
そこに受け容れることが加わった。
受け容れることと信頼することとの間には深い深いつながり
があって、人を信頼しなかった私は、礼をもって接することで
そこをクリアしようとした。
いい結果になるわけがない。
私の場合の「思いやりをもって人に接する」ことは、表面だけ
礼儀正しくしていることだけに他ならなかった。
勘違いをした人はしなだれかかってきた。
いつまでもすがりつこうとした。
そして、私はそんな人々をうまく切ることができなかった。
ある時は一刀両断に、ある時はじわじわぎこぎこと。
尊敬できる人がいることは幸せだと思う。
でも、好きな人がいることはもっと幸せで、
人を信頼できることはそれよりまた幸せで、
人を心から受け容れられることはさらにそれよりも幸せだと思う。
まだまだたくさん歩かないとたどりつかない。