おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

枠にはまること

2008-09-22 20:57:45 | Weblog
はまっている時には、どれが枠なのかさえ分からない。
柔軟性や創造力を持てばいいと言われても、きっとその枠を
自覚しない限り「あ、そうか」はやって来ない。



その枠は、どうやって見つけるのか。
枠に気づいた人は、どうやってそれを枠だと認識したのか。



それは、常識にとらわれないことにも通じるけれど、多分もっと
他の意味合いも含まれているような気がする。
常識と個々の持つ枠は必ずしも一致しないから。
個々の枠は個性を含むかも知れないし、そうなると主観的に
自分を見ている間は枠を外せないということになる。



どこに自分の目を置けばいいか。
置けないのなら、代替法をどうするか。

お金を手許に残す

2008-09-22 20:19:02 | Weblog
物質的に満たされているのに、無理矢理何かを買おうとする。
せっかく手許にチケットがあるのだからと、理屈をつけて
余分な物を買おうと歩きまわる。
そして結局、何も買わずにそのまま帰って来る。



やればできるじゃん。
手許にお金があること。



その前に、余計な出費をしてしまった後悔があるからだ。
悪くはないけど、金額と内容が釣り合わない。
ということは、結果的には悪いということか。



欲しいものだけ手に入れて、さっさと引き上げればよかった。
だけど手許にお金が残せたことは、自分の物差しでは合格。



悪くないじゃん。

スタンスの変化

2008-09-22 17:37:46 | Weblog
その人はスタンスを変えていた。
それで、今までと同じように話していると不快感を持ったりした。
それは結局、その人のスタンスのせいではなく自分の投影を見て
いるからだ、と、きっと言うに違いない。
スタンスの変え方が自分拠りになったから。



だからといってその人を全否定するわけでもなく、自分も同じ質の
スタンスで向き合えばいいという、ただそれだけのことだ。
今まで、どうだっただろう。
変におべっか使ったりしていなかったか。
変に自分を打ち出したりしていなかったか。



自分拠りに身を置かれて、動じるようでは自分の基盤ができていない
ということになる。
となると、本質をくぐるってヤツを一度通過しないといけないのかも
知れない。なぜならその部分については納得したから。