今ではレプリカカーが一般道を走る光景は普通に感じてしまって
いるのは私だけ?
ショップを始めたきっかけを書きたいと思います。
旅行代理店に勤め営業周りをしていた時に立ち寄ったF1ショップ
(当時はベネトンショップ)のオーナーさんの人柄に魅力を感じ、
誘われるまま旅行会社を辞めF1ショップの店長として新たなスタート
をきったのがもう14年前。
F1ブーム全盛の時期で、F1グッズは何を出しても売れていた時代
でした。
当時私はセリカST162に乗っていましたが(最初に購入したST165
は1年で廃車)、F1の他にWRCにもすごく興味を持ち、
当時のGr.Aのセリカやデルタに感銘を受け、いつかはこんなカラーリング
の車を街で乗る事を夢見ていました。
WRCショップが誕生したきっかけですが、ベネトンチームがF1に参戦して
いた時代、A.ナニー二というイタリア人ドライバーがヘリの事故で片腕を切断
するという事故に遭いF1界を引退したのですが、なんと翌年にDTM選手権
にてアルファー「MARTINI」でレース界に復帰。
「MARTINI」(ワインで有名)の日本代理店に出向きMARTINIに関するグッズ
やウェア、販促品等の販売契約を結びF1雑誌にナニーニ選手の復帰を祝って
MARTINI商品を紹介したところ、F1ファンに発信したつもりでしたが殺到した
問合せのほとんどがランチャデルタオーナーの方々で、
(当時、WRCはMARTINIカラーのランチャデルタが常にトップに君臨
していました。)
その時出合ったのがデルタオーナー、現在のカラーリング施工職人桑○氏でした。
桑○氏のデルタを初めて見た時にカッコイイステッカーが貼ってあり、
私はスグに「このステッカーどこで買ったの?」と聞いたところ、ウチが看板屋
だから自分で作ったと聞き、とっさにステッカーを頼んでいました。
試しにステッカーも販売したところスゴイ反響・・・。
その時に思ったことは、F1に限らずWRCのグッズやウェア、ステッカー等
探している人が世の中には沢山いるのではないかという事です。
その後とった行動は、TTE・RALLYART・PRODRIVEなどへ営業!
とてもやりがいのある仕事で、
特にTTEではウェアデザインの依頼も受けデザインもしました。
又、D・オリオールがTTE(ST185)にてチャンピオンを獲得し、
日本人初のTTEワークスドライバー岩瀬選手がサファリで4位入賞した年
に日本で記者会見が行なわれましたが、関係者として控え室でドライバーの
方達と一緒にいれた時は夢のようでした。
その時、初めて本物のST185セリカ(ワークスカー)も間近で見る事が
出来、ますますレプリカを作ることの夢が膨らんだ瞬間を思い出します。
こうしてF1ショップだった店も徐々にWRCショップへと変わっていきました。
つづく・・・
いるのは私だけ?
ショップを始めたきっかけを書きたいと思います。
旅行代理店に勤め営業周りをしていた時に立ち寄ったF1ショップ
(当時はベネトンショップ)のオーナーさんの人柄に魅力を感じ、
誘われるまま旅行会社を辞めF1ショップの店長として新たなスタート
をきったのがもう14年前。
F1ブーム全盛の時期で、F1グッズは何を出しても売れていた時代
でした。
当時私はセリカST162に乗っていましたが(最初に購入したST165
は1年で廃車)、F1の他にWRCにもすごく興味を持ち、
当時のGr.Aのセリカやデルタに感銘を受け、いつかはこんなカラーリング
の車を街で乗る事を夢見ていました。
WRCショップが誕生したきっかけですが、ベネトンチームがF1に参戦して
いた時代、A.ナニー二というイタリア人ドライバーがヘリの事故で片腕を切断
するという事故に遭いF1界を引退したのですが、なんと翌年にDTM選手権
にてアルファー「MARTINI」でレース界に復帰。
「MARTINI」(ワインで有名)の日本代理店に出向きMARTINIに関するグッズ
やウェア、販促品等の販売契約を結びF1雑誌にナニーニ選手の復帰を祝って
MARTINI商品を紹介したところ、F1ファンに発信したつもりでしたが殺到した
問合せのほとんどがランチャデルタオーナーの方々で、
(当時、WRCはMARTINIカラーのランチャデルタが常にトップに君臨
していました。)
その時出合ったのがデルタオーナー、現在のカラーリング施工職人桑○氏でした。
桑○氏のデルタを初めて見た時にカッコイイステッカーが貼ってあり、
私はスグに「このステッカーどこで買ったの?」と聞いたところ、ウチが看板屋
だから自分で作ったと聞き、とっさにステッカーを頼んでいました。
試しにステッカーも販売したところスゴイ反響・・・。
その時に思ったことは、F1に限らずWRCのグッズやウェア、ステッカー等
探している人が世の中には沢山いるのではないかという事です。
その後とった行動は、TTE・RALLYART・PRODRIVEなどへ営業!
とてもやりがいのある仕事で、
特にTTEではウェアデザインの依頼も受けデザインもしました。
又、D・オリオールがTTE(ST185)にてチャンピオンを獲得し、
日本人初のTTEワークスドライバー岩瀬選手がサファリで4位入賞した年
に日本で記者会見が行なわれましたが、関係者として控え室でドライバーの
方達と一緒にいれた時は夢のようでした。
その時、初めて本物のST185セリカ(ワークスカー)も間近で見る事が
出来、ますますレプリカを作ることの夢が膨らんだ瞬間を思い出します。
こうしてF1ショップだった店も徐々にWRCショップへと変わっていきました。
つづく・・・