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南北朝(日本)時代と漫画家・車田正美先生の作品を瞑想する部屋。

【戦闘妖精・雪風】愛機とのコミュニケーション

2011年02月06日 12時30分26秒 | 戦闘妖精・雪風

「人間の直観は」と手を休めず少佐は言った、「精密ではないが正確だよ。めったに故障しない」

Ⅰ 妖精の舞う空/『戦闘妖精・雪風<改>』

なんのことだ?
―――と思い、これ(↓)で腑に落ちました。

高度はフィート、距離はマイル、速度はノット、それが自然というものだ、とブッカー少佐は言う。長年親しんできた単位系の使用を禁止されるのは常識を否定されるようなものだろうから、少佐の苛立ちとストレスはわからないでもない零だったが、慣れの問題だろうと言うと、違う、と反論された。ブッカー少佐に言わせると、メートル法というのは人間の身体感覚を無視した非常に不自然な人工的な単位で、人間の肉体がそれを認めない、こんな非人間的な単位はない、となる。

アンブロークン アロー/『アンブロークン アロー 戦闘妖精・雪風』

なるほど。ロイヤルマリーン航空隊、FAF戦闘機のパイロットとして最前線で戦い、生き残った「勝者」らしい考えです。当然だ。その直観が彼を生かしたのだから。これは、アフォーダンス(affordance)ですね。

アフォーダンス-新しい認知の理論 (岩波科学ライブラリー (12))

アフォーダンスはジェームス・ギブソン(1904-1979年)という知覚心理学者が1960年代に完成させた理論で、
環境(周囲の状況)から知覚を経て入力された刺激を、脳だか心だか、とにかく「中枢」が情報として処理し、意味を創造して出力(行為)する、
という従来の「知覚モデル」を覆した概念です。
詳しくは書籍をあたっていただくとして、1941年、「空軍心理学テストフィルムユニット」に参加したギブソン先生は、そこで分析したパイロットの認識の「正しさ」にショックを受け、これは今までの「知覚モデル」では説明できん、と考えたらしいんですね。

行為の意味は、「・・・できる」という価値は、知覚する側が創造するのではなく、すでに環境の側に存在する。物は人間に意味を、価値をアフォードする(もたらす、与える)。

実際、試しました。階段を下りる時、自分の両足の指が段の縁を「掴み」、後ろに「蹴って」いるのを確認して、ちょっと感動しました。

アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)

「極論を言えば」とピボット大尉。「各自、勝手に行動すべし、ということになる。」

Ⅶ グッドラック/『グッドラック 戦闘妖精・雪風』

まさにこういうことになっている。体が。
コケずに下りる、という結果に合意した体の各所が、光学的な変化を捉えた「見え」から(面の)硬さ、勾配、段差などを見積もり、姿勢制御に必要な動きを勝手にコントロールしているんですわ。互いに連携しつつ。いちいち「わたし」が命令したりしません。「わたし」がなにをしているのかといえば、良きに計らえ、と思うくらいでしょうか。
ただし、バカな「ヘッド」は体に裏切られるでしょうね。
行為は人間と環境(物)のコラボレーション、相対的な関係の上に成り立ち、相補的である、と実感できます。こうなると、どこまでが「わたし」なのか、怪しくなってくるな。

さて、ブッカー少佐が認めたくない、物理的な絶対値(※01)を基準にするメートル法に対して、生き物を基準にした「生態学的値」に基づく測定法を「生態学的測定法(エコ・メトリクス)」といって、
※01:光が真空中を2億9,979万2,458分の1秒間に進む長さ。アインシュタインの相対性理論によれば、観測者や光源の運動によらず、常に一定である。「光速度不変の原理」(『ニュートン別冊 光とは何か?』ニュートンプレス)。

  • 「手や膝をつかずに脚だけで登れる」バーの高さ
    ⇒股下の長さの0.88倍
  • 「肩を回さなければすり抜けられないところ」
    ⇒肩幅の1.3倍以下
  • 「手を使わずに座れるイスの高さ」
    ⇒脚の長さの0.9倍
  • 「7メートル先にあるバー」の高さ
    ⇒脚の長さの1.07倍よりも低いなら「またぐ」、高いなら「くぐる」

これらの値(というか比率)は、たとえば体格差があっても見出すことができる人間の「不変項(invariant)」です。

  • 1フィート(足)
    =12インチ
  • 1マイル
    =2歩(左右1歩ずつ)×1,000
  • 1ノット
    =紐の結び目×1カウント

は人間(の行為)を量の基準とし、国際単位系(SI)が定着した今でも感覚として生きています。日常レベルで。慣れの問題ではなく、意識しようがしまいが、体が知っている人間の普遍性なんですね。少佐が主張しているのは「エコロジカル・リアリズム」で、彼は、人間のよりどころはそこにある、と親友に云いたかったわけです。

なのに、なのにですよ。「人間」という知覚システムを最大に駆使しているはずの特殊戦のエースパイロットが、こんな憎まれ口をたたいている。

ジャムは人間じゃないんだから、そういうのを相手にするにはうってつけなんじゃないかと零が言うと、少佐は反論しかけて言葉に詰まったあげく、『認めないからな』と言って、黙った。ジャムもメートル法も認めないが、どちらも非人間的だというのは認める、ということだろう。

アンブロークン アロー/『アンブロークン アロー 戦闘妖精・雪風』

深井零その人がジェイムズ・ブッカーのこだわりを肯定する証左だというのに、当人はまったく自覚していない。非人間的、どころか知覚システムとしてのパイロット・零は肉体という愛機とのコミュニケーションに優れた、人間であることを最大に発揮する人間らしい人間ですよ。初めから。
深井大尉が帰還するかぎり、少佐は自分の単位系を捨てないだろうに。少佐も報われないなあ。

*

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