project-REN

南北朝(日本)時代と漫画家・車田正美先生の作品を瞑想する部屋。

【戦闘妖精雪風(OVA)】フール・オン・ザ・ヒル(OP5)

2011年01月31日 23時57分13秒 | 戦闘妖精・雪風

知覚認知と知性について。『戦闘妖精雪風(OVA)』について。
たぶん、劇場版『機動戦士ガンダム00』(2010年)が終わるまで観られなかったんだと思う。終わったら、観たくなったから。それなのに、いきなりOPERATION5(2005年)から入っていいですか。

*

フェアリイ星からの壮絶な撤退戦の末、FAFと異星体ジャムのコミュニケーション(戦争)は超空間<通路>の消滅とともに途絶。
雪風(B-3)と深井零中尉は公式記録上、M.I.A。
ジェイムズ・ブッカー少佐は休暇中か予備役か退役か、丘の上でブーメランを飛ばしている。
ジャーナリストで『THE INVADER』の著者、リン・ジャクスンが彼を訪ねてくる。

(J.B)「それでも不思議なもんで、全然、悲しくなかった。どうしても、あいつが死んじまったとは・・・思えないんです。・・・きっと、今もどこかで元気に暮らしてる、そんな気がして・・・しょうがないんですよ」

で、あ、これはいるな、と思ったんですよ。零が、あそこに。
なんでそう思ったのか知りたくて、

を聴く。が、そのままでは歌詞がしっくりとこない。ちょっと『雪風』ふうに対訳をつけてみました。READY?

*

Day after day alone on a hill,

来る日も来る日も、丘の上で独り、

The man with the foolish grin is keeping perfectly still.

その男 《1》 はバカみたいな笑みを浮かべて、じっと動かない。

But nobody wants to know him,

でも、誰も彼と係わろうとはしない、

They can see that he's just a fool,

きっと、彼がただのバカに見えるんだろう、

And he never gives an answer.

彼も、問いに答えたりはしないから。

But the fool on the hill sees the sun going down,

それでも丘の上のバカは、沈んでゆく太陽を、

And the eyes in his head see the world spinning 'round.

その頭の中の目 《2》 は、ぐるぐる回る世界 《3》 を見ている。

《1》 とりあえず、

  • the man=ジェイムズ・ブッカー
  • 歌い手(観測者)=リン・ジャクスン

でいってみましょうか。え、ほかに解釈のしようがあるかって? ありますよ。
《2》 「the eyes in his head」は物事を見通す力、高度な見解、頭に宿る知性を支える比喩としての視覚でしょうね。
《3》 この曲は青盤によれば、地動説を唱えて断罪されたガリレオ・ガリレイをモチーフに作られた、とか。The existence of God(神の存在)について交わされた意見から、という資料もありますね。
E pur si muove.それでも(地球は)動いている。
今ならわかる、ガリレイの知性。なのに、信じてもらえずに押し込めの刑。

さて、ここまで聴いて、あの人、かわいそうだけどちょっとおかしいよね、という境遇っぽいブッカーさん、とてもバカだとは思えませんが、いったいどういうバカということにされているんでしょうか。

Well on the way head in a cloud,

ずっと空想に耽りながら、

The man of a thousand voices talking perfectly loud.

その、千の声を持つ 《4》 男は、はっきりと大声で話している。

But nobody ever hears him or the sound he appears to make,

それなのに、彼の声、彼が立てているらしい音は、誰にも聞こえない、

And he never seems to notice.

彼はそれに、気づいていないようだ。

But the fool on the hill sees the sun going down,

それでも丘の上のバカは、沈んでゆく太陽を、

And the eyes in his head see the world spinning 'round.

その頭の中の目は、ぐるぐる回る世界を見ている。

《4》 これはむちゃくちゃ引っかかった。「man of a thousand voices」。千の声って。ただのやかましい迷惑行為には思えません。誰にも聞こえないのに、なんだ、この矛盾。

と称賛された名優、ロン・チェイニー(1883年04月01日-1930年08月26日)は両親が聾者だったことから、幼くしてパントマイムを覚えたそうですが、もしかしてこれは、

  • 手話(Sign language)

のことですか?
もっと突っ込むと、男が1人、あたかも誰かと話をしているような身振り手振りを交えて「談笑」していたら、一人芝居をしているように見えるわな。つまり、「声無き声」で話をしている(ように見える)光景です。
もうひとつ、「聞こえない」の意味ですが、

ご存じ、ドナルドダックはその、あまりにもやかましい声のせいで、
「なにを云っているのかわからない」
「話が通じない」
とリアクションされてしまう不憫なキャラ。ドナルドダック効果、なんて遊びもありますが、「聞こえない」は「理解できない」ということなんですね。

聴くにつれ、「丘の上のバカ」がバカじゃなく、ちゃんと理由があって口を閉ざしているというか、誰にも理解されないことを諦観しているというか、いったいなにがあったんですか、少佐。

And nobody seems to like him,

きっと地球の人間全部が、彼を嫌っているんだろう、

They can tell what he wants to do,

彼がしたいことを、わかったつもりになって、

And he never shows his feelings.

彼も、自分の喜怒哀楽を見せたりはしないから。

But the fool on the hill sees the sun going down,

それでも丘の上のバカは、沈んでゆく太陽を、

And the eyes in his head see the world spinning 'round.

その頭の中の目は、ぐるぐる回る世界を見ている。

Ohh, oh, oh, oh, oh, oh, ohh,
Round and round and round and round and round,

He never listens to them,

彼は人の云うことを聞かないし、

He knows that they're the fool,

あいつらの方がバカだと知っている、

They don't like him.

自分が嫌われている、ということも。

The fool on the hill sees the sun going down,

丘の上のバカは、沈んでゆく太陽を、

And the eyes in his head see the world spinning 'round.

その頭の中の目は、ぐるぐる回る世界を見ている。

Ohh, Round and round and round and round,
Ohh,...

そして、あの劇的な「コペルニクス的転回」が。

丘から遠ざかる車を運転するリンがふと、バックミラーで後方を見遣るとそこに「2人」が映っていた。驚いて急停止、180°振り返る。
ブーメランに興じるブッカーが180°振り返り、手を振ってくれる。
リンの視界に、零は映らない。

思うに、バックミラーに映ったのは「ジェイムズ・ブッカーの視界」。
鏡像は前後が逆転した自己の視野ですが、頭の中だけで視線を180°回転させて「鏡の中」に視座を置くと、正対した他者の視野と一体化します。この時初めて、左右が逆になる。
車を止めたまま、もう1度前を向けば、リンは零を観測できたはず。それを思いつかなかったとしても、一流のジャーナリストとして見たものを無かったことにはできないでしょう。知覚したからには、そこに現象がある。知覚をもたらした存在がある。

ということは、ジャックには見えるわけだ。丘の上にたたずむ親友の姿が。

どちらがアポをとったのか不明ですが、リンの訪問はブッカーにとって「零の存在証明」の実験であり、
俺以外に見えないのがおかしいのか、俺に見えるのがおかしいのか、
正気か、狂気か、
という悩みを解決してくれるかもしれない第三者の介入だったんじゃないでしょうか。
丘に上ったリンと挨拶を交わし、近況などを話しながら彼女を観察し・・・これはダメだ、ジャムの侵攻に警鐘を鳴らし続けた「地球人の目」にも見えてない、と覚った時―――。

もう「丘の上のバカ」として振る舞うしかない、と思うんですよ。彼は。

ことによると、地球に帰還してすぐに彼は親友の「帰還」に気づいたけれども、FAFにそれを信じてもらえず、暇を出されたのかもしれない。“傷痍軍人”として。
世間は、狂人には狂人らしく振る舞ってほしいと思うものです。安心するために。
そういう人々と“共犯”になることで、無視と放置という名の自由が手に入るのであれば、あの少佐はやりかねん。狂うほどヤワには見えないから。これは困った、と苦笑して、自分の置かれた悲劇であり喜劇でもある立場を、冷静に受け容れて。
こんなに、ここにいるのになあ、おまえ。

来る日も来る日も、丘の上に「バカ」はやって来る。零の生存を確認するために。
その遥か上、青い空を突っ切る旅客機はさしずめ「南冥を指して飛ぶ鵬」であり、今まさに「胡蝶の夢」を見ている深井零が生きていることを確信しつつ、ブーメランを飛ばし続けるジェイムズ・ブッカーの「知性」なのでしょう。
それにリン・ジャクスンが気づけば、世界は変わる。
そう考えると、『戦闘妖精雪風(OVA)』はハッピーエンドなんじゃないかと思います。

*

【戦闘妖精・雪風】愛は負けても、親切は勝つ
【戦闘妖精・雪風】愛機とのコミュニケーション
【戦闘妖精・雪風】1904年1月1日午前0時

【戦闘妖精雪風(OVA)】豆とピーチが云いたかったこと(OP1)
【戦闘妖精雪風(OVA)】戦士のパーソナルネーム(OP3)
【戦闘妖精雪風(OVA)】フール・オン・ザ・ヒル(OP5)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。