「おれは余計者として生まれたんだ」 コーヒーメーカーの前に立ったまま、零は振り返らなかった。「おれが生まれてすぐ両親は別れた。育ての親はプロだったよ。同じような子供が何人もいた。実にしあわせな毎日だった」
Ⅰ 妖精の舞う空/『戦闘妖精・雪風<改>』
きっと、非言語系言語に耳を傾けなければ生きられなかったんだろうなあ。深井零。
いえ、ね、生い立ちやフェアリイに追いやられた経緯がはっきりせず―――零が「たいした罪とも思えない」だけで、むちゃくちゃなことをしでかした可能性はありますが―――なんとも云えないけれど、育ての親はプロだった、でちょっと考え込みましてね。
育てのプロがいるのなら、産むプロもいそうだ。生産ラインをマネージメントする「ブリーダー」も。
零は、自分(=余計者)が生まれたせいで両親が別れた、と感じているふしがあって、それでもその思いは、あるカップルが一度は愛し合ったことを前提にしている。愛したのだから「別れた」と云える。
それも幻想だとしたら。
捨てられてすら、いないとしたら。
デザイナーベビーではないにせよ、ある遺伝的形質、DNAの表現型を期待して抽出された男女が彼の両親だったとすると、本人の解釈よりも事情はドライです。
ああ、その2人は国家公務員でね、君を産むのは仕事だったんだ、などと暴露された場合、それがどうした、俺には関係ない、とブーメラン戦士は―――
云ってほしいな。云っていい。
地球に帰還した零を、日本海軍省の開発部が拉致未遂。
親が元をとりに来た。原価(cost)の回収でしょう、これは。
カネ(tax)を払えなければカラダで払え、懲役の次は労役。これじゃ逃げますよ。ムリ。日本政府は国益のために、(家族)愛キャンペーンでも張って人口を維持しているんでしょうか。
こんな親に育てられたら、言葉自体が「嘘の証明」、言葉は信じられない、という信念が立ち上がってもおかしくはない。
零が非言語系世界から世界を見てきたのであれば、もの云わぬ戦闘知性体との出会いは宿命的です。雪風は『A.I.』(2001年)に登場したスーパートイ、TEDDY(テディベア)のように2000年も隣にいてくれる「友達」ではないけれど。
そういえば上官とのファースト・コンタクトもボディ・ランゲージだったっけな。
「愛は負けても、親切は勝つ」
言いえて妙だとわたしは思う――しかも過不足がない。『ジェイルバード』(Kurt Vonnegut/ハヤカワ文庫SF)
親切は行為であり実体、必ず形がある。零は愛のなんたるかを気にせず、他人に親切にしたり、親切にされたりすればいいと思うよ。
最近、ロボティクス(ロボット工学)の本を読み始めたんですが、もしかして零は、AIBO(エンターテインメントロボット)よりもルンバ(掃除ロボット)をかわいいと思うタイプではなかろうか。
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【戦闘妖精・雪風】愛は負けても、親切は勝つ
【戦闘妖精・雪風】愛機とのコミュニケーション
【戦闘妖精・雪風】1904年1月1日午前0時
【戦闘妖精雪風(OVA)】豆とピーチが云いたかったこと(OP1)
【戦闘妖精雪風(OVA)】戦士のパーソナルネーム(OP3)
【戦闘妖精雪風(OVA)】フール・オン・ザ・ヒル(OP5)