森井教授のインターネット講座(神戸大学大学院工学研究科教授 森井昌克)

1996年から2009年3月まで朝日新聞に連載してました森井教授のインターネット講座のネット版(もどき)です。

読売新聞の取材と担当記者さんの考えを推測するに...

2006年10月08日 15時02分29秒 | Weblog
読売新聞の記事:『米で心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ』に記載されています、私のコメントに対しまして、先日来、補足とそれに対するコメントに対する回答(すべての質問に対する回答になっていませんが...)をさせていただきました。

その後もその回答等に関して、直接ブログにコメントを頂いたり、当該掲示板のスレッドに意見を頂いています。その中で、「コメントが歪曲、さらに捏造されているではないか! 厳重に読売新聞に抗議すべき」との意見がいくつか見られますし、「抗議しない理由は?」との問い合わせもいくつかありました。それについて、簡単ですが回答させていただきます。

まず、私は、あのように書かれたコメント(あのコメントが正確には私の真意を伝えていないことは、ブログに先日書かせていただきました)が歪曲、さらに捏造であると強く抗議するには至らない内容であると考えているからです。これは読売新聞社と私の間ではなく、担当記者と私の間での問題として考えているからです。私は、「ネットの負の側面」という表現を使っていませんが、「ネットでは差別なく、そして区別なく誰でも発言でき、それが誹謗中傷であっても、正当な意見であっても、さらに価値ある情報であっても、同じ『文字』として存在する。それがネット(掲示板?)だ」というような表現をしました。誹謗・中傷に論点を置けば、「ネットの負の側面」という語句が頭を過ぎるのは理解できなくもないのです。記者さんとの電話取材の内容については、ブログで先に要約(数行でまとめているだけですが)させていただきました。「根拠のない誹謗中傷は問題だ」ということも確かに言いましたが、それはネットの雑音であり、雑音を取り除くフィルタ (もっとも、そのフィルタの性能は区々であり、設計原理も個々のマスコミ組織によって異なるのですが...) を備えた既存のマスコミとは性質が異なるのだ、というようなことも、表現は異なるとしても強く言っております。

抗議の件を含めて、なぜ紙上でのコメントをするのか、続けるのかということですが、それについもブログで投稿(昨日)した通りです。結局は誰かのコメントが掲載されることになるのです。したがって、自分の意見を述べ、あるときは記者さん自身に意見し、さらに情報提供および説得し、できるだけ正確に(内容的には私個人の意見であり、世論に受け入れられない場合もあるのですが)掲載されるように努めています。実際、捏造、歪曲に近いコメントをされる場合もなくはありません(最近は滅多にありませんが)。一度、そのような目にあった組織・機関からの取材はお断りしています。逆に、取材を受けてコメントをしたからといって、必ずしも掲載されるわけではありません(私が記者さんにとって受け入れられないコメントをする場合があるからでしょうが...)。新聞の場合、採択率は50%ぐらいでしょう。

担当記者さんの弁護をします。恐らく担当記者さんと接触された方はおられないでしょうから。ただ、取材を受けて以降は、連絡を取っていませんので正確ではなく、推測部分も含みます。なお、この担当記者さんとは今回が初めてではなく、以前から電話取材のお付き合いがあります。F2Fの面識はありません。

まず、記事ですが、もちろん、この担当記者さんが主となって書いているはずですが、責任取材ではないので、デスク等、場合によっては複数の手が入っている可能性があります。そして、この担当記者さんが、どの程度の取材に基づいて、さらにどの程度、内容を把握、理解して書いているかということですが、掲示板で書かれているように、最初からネットに批判的な立場で書いているわけではありません。すくなくとも最終的に紙面に掲載された表面的な内容で満足していないはすです。ブログにも書きましたように、私へのコメント取材においては、「さくらちゃん」関係に限定せず、個別にもその名前は出していませんが、当然、その支援団体等にも取材をされているようでした。今回の記事では、あえて「ネットの負の側面」という記述をし、それがネット全体の否定につながるように解釈されてしまったわけですが、これはこの記者さんの本意ではないはずです。あまり詳しくは話されませんでしたし、それに即して私も詳しくは書きませんが、何がしかも問題意識は持っておられるようでした。「負の側面」という表現を使った以上、「ネットの正の側面」を考えておられるのだと期待しています。