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prairieのひとりごと

だれでも自由に投稿できますが、その内容については各自の責任です。

本にして欲しかった記事

2023-06-10 08:55:03 | 日記

 科学朝日の記事には、他にも「理系学者から見た
江戸時代」とかが面白かったですね、関東で大豆が
多く採れるになリ、幕府が水運を整備したために、
銚子や野田で、醤油が作られるようになりました。
それまで上方からの”下り物”の醤油(薄口醤油)が
濃い口に置き代わったのだそうです。安価になった
せいでしょうかね。
 こういう事柄が、当時の各藩の実際の石高や物の
生産量の記録と突き合わせて記述されていました。
 また、濃い口醤油を使ったうなぎの蒲焼が焼かれ
るようになったそうです。それ以前は、ぶつ切りに
したものを串に刺して囲炉裏で焼いたもので、油が
多すぎてまずいものだったそうです。これが川辺に
生えているガマの穂のような形で、”蒲焼”となった
そうです。
 開いて焼いたものは、その姿から”いかだ焼き”と
言ったそうですが、なぜかこの言い方自体は廃れて
しまって、”蒲焼”の名前の方が残ったのです。^^; 

 それぞれの時代を、統計などと対比して解説して
いましたから、面白かったです。

 また、家政学の研究者は、”塩のひとつまみ”の量
に関する研究で、何人かの女子学生に協力して貰い
実際に塩を摘んでもらった(一人10回ほど)結果、
その量は個人差はあるも、ほぼ一定の量だったとの
研究結果も載っていました。
 料理上の”ひとつまみ”と”少々”の違いについての
考察もありましたね。塩をつまむ指ときのが三本か
二本かの差なのだとか。

 他にも、鳥や恐竜の体の仕組みを、航空機設計者
から見た考察など、面白い記事がありました。

 今の科学雑誌と言うと、絵になりそうな生物写真
や、派手な宇宙のイラストのみがメインの科学雑誌
がほとんどです。しかも、本屋の店頭では怪しげな
UFO とか、未確物生物とかのトンデモ本とかと一緒
のコーナーに置かれています。科学雑誌を怪しげ本
と一緒にするなッ。(:_;)
 そういうわけで、この類のコーナーには立ち寄る
ことはなくなりました。

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記憶に残っている本

2023-06-09 09:30:00 | 日記

 昨日に書いた「日本故事物語」は昔、朝日新聞社
が出していた月刊雑誌「科学朝日」に、連載されて
いたと記憶しています。「日本故事来歴物語」とか
のタイトルでした。
 この本(日本故事物語の方)は教授の死後に弟子
であった慶応大学生らの編纂で、新たに発刊された
書籍なのです。面白い語源が載っている本です。
 この連載記事によって「ことば」の面白さに気が
付いたわけです。それまでは、国語なんて大っ嫌い
でしたね。

 大学生の頃はロシア生まれのアメリカの物理学者
のジョージ・ガモフが書いた「ガモフ全集」です。
これは科学啓蒙書で、自然界の基本的な物事を学び
ました。この本は、兄から「読め!」と命令された
のが始まりです。買ってはくれませんでしたがね。
全12巻の本で、相対論から始まって、数学や化学、
天文学、生物学、原子力など、科学全般に渡わたる
科学啓蒙書です。科学会の進展により内容が陳腐化
しそうなものですが、科学界全般を把握するのには
充分なものでした(原子力の話が一番つまらないと
思いました)。
 中でも好きだったのが「123・・・無限大」と
言う本で、無限大には三種類あることを知りました
(そういえば、高校の数学授業でも教わりましたが
そのときは???でした)。
 線上の点の数と平面上の点の数が同数であること
も知りました。ほかには・・・止まらなくなりそう
なので。止めておきます。

 いずれにしても、この二つの本が、私の思考回路
のベースにあることは確かです。

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江戸の三店(さんたな)

2023-06-08 09:30:00 | 日記

 玄冶店、大黒店、百軒店を「江戸の三店」と言う
そうです。(元慶応大学教授:銀座にあった大店の
息子)の書籍「日本故事物語」より)
 そう言うわけで「百軒店」は「ひゃっけんだな」
と読みます。
 
 https://www.asahi.com/articles/ASR676THNR67OXIE027.html

 再開発で、昔の呼び名を復活させようということ
でしょうね。
 数十年前に渋谷を歩いていたら、街中の放送で、
「ひゃっけんてん」と言っていて、違和感を覚えた
ことがあります。幸いなことに、朝日新聞はちゃん
としたふりがなを明記していますね。(^_^) 

 子供の頃に歌謡曲で流行った「お冨さん」の歌の
中で、「玄冶店」が出てきます。この歌は歌舞伎の
「切られ与三郎」が基となっています。今でも上演
しているのだろうか・・・
 「玄冶店(げんやだな)」は歌舞伎では与三郎が
お冨さんへ声掛けで「おかみさんへ、お富さんへ、
いやさ、お冨」と啖呵を切って「しがねえ恋の情け
が仇」という場面が有名です。
 江戸時代の歌舞伎では、正式な名称を避けること
が一般的(当時の個人情報保護?)で、「玄冶店」
は「源氏店」と替えていたそうです。ほかに忠臣蔵
では、「大石内蔵助」のことを「大星由良之助」と
言い替えています。

 「大黒店(だいこくだな)」については、これと
いった文献や記録に接したことはありません。
 「百軒店」は渋谷、「玄冶店」は日本橋界隈なの
だそうですが、「大黒店」がどこにあった地名なの
かも知りません。

 (しかし、何でこんな古いことを思い出したのだ
ろうか・・・^^; )

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盆踊り

2023-06-07 09:01:43 | 日記

 盆踊りといえば、富山での「おわら風の盆」の
夫婦踊りもなかなかのものです。

 https://www.youtube.com/watch?v=Gus_AS_V0uI

 (夫婦踊りは10分くらいから)

 ゆっくりとした踊りで、夫婦夫々の作業を所作
にした踊りのようで、しっとりした夫婦愛に満ち
なかなかのものです。田畑の仕事が一段落して、
夫婦が互いに慰労している様子を表しているので
しょう。地区によっては踊り方が少し異なるよう
です。

 こっちも子ども達が引き継いているようです。
5 歳くらいの子もいるようで、大人たちへの憧れ
があるのでしょうね。(^_^) 

 https://www.youtube.com/watch?v=BR8Majqb-SU


 男の人は、黒っぽい作業服姿でキビキビとした
踊りが特徴です。この姿が田んぼの案山子の原型
になったのかもしれません。

 同じ盆踊りであって、阿波のは”動”で八尾のは
”静”でしょうか。

 なお、この地名は「八尾」と書いて「やつお」
と言うそうです。なお、大阪府の都市は「やお」
ですね。

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徳島経済を支えていたもの

2023-06-06 09:30:00 | 日記

 阿波踊りは天保年間あたりから続いているよう
です(天保連というのもあります)から、数百年
の歴史があります。天保の頃には飢饉もあって、
厳しい世の中だったと思います。徳島は藍の生産
で潤っていたためなのか、街中で大騒ぎする祭り
が開催出来て、今に続いているのでしょう。昔の
徳島経済の力強さが感じられます。

 祭の 1ヶ月ほど前から、街のあちこちで夫々の
連が練習を始めるようです。
 次世代、次々世代の子供たちも練習に参加する
様子がYoutube で見られます。女踊りといえば、
黒塗りの下駄をカチャカチャ鳴らすのが特徴です
が、女の子が10歳位になると買ってもらえるよう
で、大人に混じって、見様見まねで練習している
様子が見られます。それより小さい子は、運動靴
で踊っています。きっと、女の子の場合は、連の
揃いの浴衣と下駄を買って貰えるのが、大人への
入り口となっているのかもしれません。練習には
子供も混ぜて貰っているようで、こういったこと
を通じて、地域のまとまりが育まれるのかもしれ
ませんね。
 一度は行って現地で観たいものと思いますが、
どうせ行くなら、祭りの 1週間前に行き、街中の
それぞれの連の練習風景を見てみたいものです。

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