外灯の鈍い光が、沈んだような深い闇に消えては浮かんでいく。まるでその闇から這い出すようにして、銀色のかぶりが顔を覗かせた。ぼう、と姿を見せた上司を前に、イヅルは掌を吐いた息に寄せる。けれど少しも暖かくはならなかった。
「寒いですね。」
「せやなあ。」
笑むこともなく言うと、曖昧にギンが答える。しかし自分の思うこととは違う風に取られたようで、イヅルはそっとギンに近付いていった。
「違いますよ。外は勿論のこと、あなたのその色が。」
「いろ?」
「髪の色は薄いし肌の色も薄いし、せっかく瞳は紅くていらっしゃるのに、開いたかと思うと閉じておしまいになるし。」
それに、隊長の目の色も寒いんです。確かに紅いのに、寒いんです、と勝手なことばかり言う部下をそのままの表情で見つめながら、ギンが返した。
「イヅルかて人のこと言えへんのに、酷いなあ。」
「僕は髪まで銀色ではありませんから。」
「そんかし目は蒼いやろ。」
「…。」
こういうところを見ていると、ギンとイヅルの外見に対する長所と短所は上手く交差している。暖かさと寒さを補い合うような色彩は、見る目には鮮やかだが実際に生まれ持った人間は嫌に目立って適わない。
茂る木々はまるで人間の存在そのものを覆い隠すような濁った色をしている。空の闇よりもかなり深い。ギンは「寒いなあ」と再度呟き、ふとイヅルの手を握った。虚退治の帰りとはいえ時刻は遅く、冬であるということも手伝って目にも鬱蒼とした夜が広がっている。
「…綺麗です、ねえ。」
陰惨な夜を見つめ、イヅルがうっとりと呟いた。その意味が理解出来ず、ギンは首を傾げてしまう。例えば一人でここを歩いてみるとする。すると普通ならばたちまち不安に足が速まるであろう。そのような場所に足を留めているのにも関わらず、イヅルは平然と上空を見ている。
「…そうかあ?」
「ええ、綺麗です。人間も風景も、その場に息づく生命も全て沈めてしまうようで、とても美しい。」
それは水であろうと同じことである。闇よりも際立って見える木々すらも、それはむしろ闇の一部として見られているように感じる。周囲の全てを飲み込み、そしてなお魅了してやまないのだと、イヅルが淡々とした口調で続けた。確かに闇というものは畏怖の代名詞とも言えるが、古来から人々が闇に懸想してきたのは事実である。花火であろうと灯りであろうと、それらは闇の中でなければ映えぬものであるのだから。
「…全部消してまうもんは、怖ないんか。」
「いいえ、深い闇に喰らわれることに、恐れを抱いたことは一度もございません。」
「そんなら、闇やないもんに喰らわれるんはどうや。」
「闇意外に、僕を喰らうものなどありませんでしょう。」
「おったら、どないする。」
「…ですから、闇意外に堕ちるつもりはございません。放っておけば全てを侵食するものなのですから、抗おうとも闇は僕を蝕むでしょう。そうなれば、それまでに何に喰われようとも最終的には闇に沈むことになります。」
やはり、と思いギンは眉をひそめる。イヅルが何を言いたいのか、何となくではあるが理解出来たような気がしたのだ。光を蝕み、生命を陥れ、そして自らをも沈める。そのような姿に何を比喩したのか、推測することが。
「…不服ですか?」
眉尻を下げてイヅルが問う。ギンは何も答えないまま、イヅルに背を向けた。ギンが既に悟っていることは知っていたが、敢えて口を開く。イヅルの口元は、僅かに笑んでいた。
「ともすればこの世の全てにも成り得るのに、敢えてそれをせずに光の影にいらっしゃる。それが何なのか、お分かりでしょう?」
それは酷く、あなたに似ていました。
ぽつりとイヅルが呟くと、ギンがゆっくりと振り返る。イヅルは微笑みを絶やさないまま、泣いていた。はらはらと滑り落ちる涙は、頬を濡らすより先に闇によって冷えていった。イヅルの頬を暖めるようにして、ギンが袖を添えてやると、金糸がはらりと流れ、隠された右目が晒された。
その右目に、そっと唇を落とす。これまで闇に隠れていた瞳は、イヅルの指ほどには冷えておらず、心地良い温度である。ともすれば帯に手をかけてしまいそうになるが、そればかりは押し留めた。そのかわり、腰に腕を回してきつく抱き締める。イヅルの目が、ゆっくりと閉じられた。
互いの身体が冷え切るまで帰ることはやめようか、と、どちらともなくふと思った。
闇よりも先に、あなたに飲まれたいと思うのです。そうすれば共に、闇に堕ちることが出来ます。
今となっては思い出せないが、いつだったかイヅルがそんなことを話していたな、とギンは思い出す。おそらくこの先それが叶えられることはない。しかし闇に飲まれる前にイヅルを侵してしまえれば、とギンも同じく願う。その願いだけは、あの頃のまま美しく残されている。
それは限りない真実。
■あとがき■
少々暗い話ですね…。(汗)今の本誌展開などとは違う視点の「別れ」を書いたつもりですので、ネタバレ表示は致しておりません。いや、死ネタでもありませんよ。何となくそれっぽいですけれども。(涙)
「寒いですね。」
「せやなあ。」
笑むこともなく言うと、曖昧にギンが答える。しかし自分の思うこととは違う風に取られたようで、イヅルはそっとギンに近付いていった。
「違いますよ。外は勿論のこと、あなたのその色が。」
「いろ?」
「髪の色は薄いし肌の色も薄いし、せっかく瞳は紅くていらっしゃるのに、開いたかと思うと閉じておしまいになるし。」
それに、隊長の目の色も寒いんです。確かに紅いのに、寒いんです、と勝手なことばかり言う部下をそのままの表情で見つめながら、ギンが返した。
「イヅルかて人のこと言えへんのに、酷いなあ。」
「僕は髪まで銀色ではありませんから。」
「そんかし目は蒼いやろ。」
「…。」
こういうところを見ていると、ギンとイヅルの外見に対する長所と短所は上手く交差している。暖かさと寒さを補い合うような色彩は、見る目には鮮やかだが実際に生まれ持った人間は嫌に目立って適わない。
茂る木々はまるで人間の存在そのものを覆い隠すような濁った色をしている。空の闇よりもかなり深い。ギンは「寒いなあ」と再度呟き、ふとイヅルの手を握った。虚退治の帰りとはいえ時刻は遅く、冬であるということも手伝って目にも鬱蒼とした夜が広がっている。
「…綺麗です、ねえ。」
陰惨な夜を見つめ、イヅルがうっとりと呟いた。その意味が理解出来ず、ギンは首を傾げてしまう。例えば一人でここを歩いてみるとする。すると普通ならばたちまち不安に足が速まるであろう。そのような場所に足を留めているのにも関わらず、イヅルは平然と上空を見ている。
「…そうかあ?」
「ええ、綺麗です。人間も風景も、その場に息づく生命も全て沈めてしまうようで、とても美しい。」
それは水であろうと同じことである。闇よりも際立って見える木々すらも、それはむしろ闇の一部として見られているように感じる。周囲の全てを飲み込み、そしてなお魅了してやまないのだと、イヅルが淡々とした口調で続けた。確かに闇というものは畏怖の代名詞とも言えるが、古来から人々が闇に懸想してきたのは事実である。花火であろうと灯りであろうと、それらは闇の中でなければ映えぬものであるのだから。
「…全部消してまうもんは、怖ないんか。」
「いいえ、深い闇に喰らわれることに、恐れを抱いたことは一度もございません。」
「そんなら、闇やないもんに喰らわれるんはどうや。」
「闇意外に、僕を喰らうものなどありませんでしょう。」
「おったら、どないする。」
「…ですから、闇意外に堕ちるつもりはございません。放っておけば全てを侵食するものなのですから、抗おうとも闇は僕を蝕むでしょう。そうなれば、それまでに何に喰われようとも最終的には闇に沈むことになります。」
やはり、と思いギンは眉をひそめる。イヅルが何を言いたいのか、何となくではあるが理解出来たような気がしたのだ。光を蝕み、生命を陥れ、そして自らをも沈める。そのような姿に何を比喩したのか、推測することが。
「…不服ですか?」
眉尻を下げてイヅルが問う。ギンは何も答えないまま、イヅルに背を向けた。ギンが既に悟っていることは知っていたが、敢えて口を開く。イヅルの口元は、僅かに笑んでいた。
「ともすればこの世の全てにも成り得るのに、敢えてそれをせずに光の影にいらっしゃる。それが何なのか、お分かりでしょう?」
それは酷く、あなたに似ていました。
ぽつりとイヅルが呟くと、ギンがゆっくりと振り返る。イヅルは微笑みを絶やさないまま、泣いていた。はらはらと滑り落ちる涙は、頬を濡らすより先に闇によって冷えていった。イヅルの頬を暖めるようにして、ギンが袖を添えてやると、金糸がはらりと流れ、隠された右目が晒された。
その右目に、そっと唇を落とす。これまで闇に隠れていた瞳は、イヅルの指ほどには冷えておらず、心地良い温度である。ともすれば帯に手をかけてしまいそうになるが、そればかりは押し留めた。そのかわり、腰に腕を回してきつく抱き締める。イヅルの目が、ゆっくりと閉じられた。
互いの身体が冷え切るまで帰ることはやめようか、と、どちらともなくふと思った。
闇よりも先に、あなたに飲まれたいと思うのです。そうすれば共に、闇に堕ちることが出来ます。
今となっては思い出せないが、いつだったかイヅルがそんなことを話していたな、とギンは思い出す。おそらくこの先それが叶えられることはない。しかし闇に飲まれる前にイヅルを侵してしまえれば、とギンも同じく願う。その願いだけは、あの頃のまま美しく残されている。
それは限りない真実。
■あとがき■
少々暗い話ですね…。(汗)今の本誌展開などとは違う視点の「別れ」を書いたつもりですので、ネタバレ表示は致しておりません。いや、死ネタでもありませんよ。何となくそれっぽいですけれども。(涙)