Doll of Deserting

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青若葉の。(ギン+藍+日)

2006-04-02 13:56:46 | 過去作品(BLEACH)
 すらりと姿を現した桃源郷は、未だその手をしっかりと繋いだままである。細やかに絡めた指の隙間を更に埋めるように、抱いた腕に頭をぎゅうと押し付け、さも心地よさげにしているので、寝巻きの襟元を片手で直しながらふと微笑んだ。
 惜しくはあったがその手を放してやり、立ち上がってから無造作に放られた死覆装に手をかける。陽は薄暗く落ちており、夜明けは未だ来ず、月は張り付いたようにしてそこに身を留めていた。対して陽は空と闇との離別を今か今かと待ち望んでいるのだろうが、そうことを急がれてはこちらが困る。
 ギンは、昨晩糊付けをするかのようにぴたりと畳まれた隊長羽織をするりと肩から掛け、最後に傍らで淑やかに寝息を立てている顔を僅かに一瞥してから、自室を去った。





 皐月ならではの、甘やかな風が吹いている。明け方であるというのに、まるで寒風とは異なる穏やかな流れぶりであった。どっしりとした趣を持たせる椅子は、痩身であるギンが腰掛けようと少しも傾く気配がない。けれどもこの気候は大変具合が良かった。一昨年辺りから、この期日になると深夜よりここでひっそりと陽が昇るのを待っているのだが、今年の他はいずれも随分と肌寒かったのを覚えている。
(……にしても、ヒマやなあ。)
 試しにとばかりがくんがくんと椅子を揺らしてみるが、何かが起こる様子など全くなく、重苦しい息を吐く。すると少しばかりして視線の端に暖色光がぽっかりと芽吹いたので、訝しげな表情で見やれば厚い硝子の壁に覆われた瞳がこちらを向いていた。
「…何してはるんですか。」
「いや、何。どうも眠気が来ないからぼちぼちと廊下を歩いていたんだけど…こんな時間に空き部屋から灯りが見えれば、施錠のし忘れかと思って気になるじゃないか。」
「そらえろうすんません…けど、分かってはりましたやろ?」
 ボクがおること、と荒んだ笑みをやれば、藍染は馬鹿にするような素振りでくすりと返した。
「毎年毎年、この日になると君はいつもここで夜を明かすね。」
「せやねえ、することもあらへんのやけど。」
 ギンがなぜ決まった日になるとここで一夜を明かすのか、藍染は知っていた。現世の風習に色濃く携わるようになってきた尸魂界において、近年ようやく出回った新たな行事の中にエイプリルフールというものがある。この日ばかりは誰も彼もたった一つだけ嘘をついても良いという行事らしいのだが、ギンは興じず、そればかりか四月一日には副官とも顔を合わせようとしない。
 存在そのものが偽りであるかのような振る舞いが常であるのに、年に一度罪を許される日、なぜそれにあやかろうとせぬのか、藍染には不思議でならなかった。
「…他愛ない冗談を、言っている余裕はないということかな。」
「せやかてそうですやろ。取り返しのつかへん嘘、イヅルにつかなあきまへんの。それやったらこないなところで阿呆みたいに何度も泣かせられるわけないやん。」
 自分の発す一言が、イヅルにとってどれだけ価値のあるものなのか、もしくは罪深いものなのか、理解している。そもそも近いうちにイヅルを裏切り、この場を去らねばならぬのに、それまでの間になぜわざわざ軽口を叩いてイヅルを度々追い込まなければならないのだ。
 自分の行く末を知るまでは、幾たびも奔放にイヅルを裏切り、追い込み、冗談だと軽くかわしてやる日々が愉快で、大事であった。その度に見せるイヅルの反応、表情一つ一つが堪らなく可愛らしく、またいとおしくもあった。この日が訪れる際には気分が目まぐるしく、どうすれば新たな顔がお目見えするのかと、そればかりを模索していた。
けれども今、己の行く末を知った今、限られた時のあるまま、僅かばかりでも目尻の下がった表情を拝みたいと思う。濡れた目尻を、造り上げている暇はない。
「せやけど、今でもイヅルはこの日を怖がっとるんです。何もせえへんでも、ボクがそこにおるだけで何ぞ企んどるんやないかて思うとる。眦下げて困ったように笑って、今年は何もせえへんのですか、て聞くんや。」
「…それは、おそらく違うよ。ギン。」
 気まぐれに何かを仕掛けてくるギンに騙され、ころころと表情を巡らせる生活を楽しんでいたのは、イヅルとて同じであろうと思う。常に毅然とした態度を心がけ、息を抜く暇も持たぬイヅルが表情を和らがせていたのは、ギンを追い回していた時分のみであったのだ。
それが近年突如として落ち着き、以前のような勝手をやめた。イヅルにしてみれば助かったというよりむしろ、他の人間と遊戯に興じているのではなかろうかと、少しばかり寂しく思っているのやもしれぬ。
「吉良君は、どれだけ偽られようと虐げられようと、お前のことが好きだったんだよ。だからそう尋ねられるのは、彼なりに期待してるんじゃないのかな。彼は、お前に好きに生きて欲しいと思ってるんだからね。」
「…好きに、生きとるんやけど、なあ。」
 途切れ途切れに返すと、藍染が苦笑する。この男も変わったものだ、と。五番隊でギンの上に就いていた頃は、目を伏せる様など早々お目にかかれるものではなかった。けれどもイヅルとの交際の中、ほんのりと色のない頬が彩りを見せ始めたと思う。
「…そろそろ朝になる。今年は少し部屋の外にでも出てみたらどうだい?」
 穏便に薦めているようだが、その声色にはどこか催促するようなきらいがあった。おもむろに眉をひそめると、無理にとは言わないが、と再び苦笑が漏れる。そうして藍染は眼鏡を押し上げてから、灯篭を提げて部屋を出て行った。
 




この日に隊主会というものが存在しないのは救いである。年に一度訪れる風習ではあるが、過去に一度たりとも、エイプリルフールと隊主会が重なった日はなかった。
 ならばお望み通りに、と、藍染が出て行った後一目をはばかるようにしながら廊下を歩く。僅かながら陽光が芽吹く中、出勤し就業を開始している者は未だいない。これならば、と散歩をするような気持ちで足を速めると、あちらから人影が見受けられ身構えたが、どうやら三番隊ではないと認識し身を竦めた。
「十番隊長さんやないの。こない早うから結構なことですなァ。」
「…声を慎め、市丸。」
「何ぞ聞かれたないことでもあらはりますの?」
「まあ、そんなところだ。」
 常ならばギンと鉢合わせただけで霊圧を上昇させ、顔をしかめている日番谷であったが、どうしたことかいやに大人しい。ギンはにこりと清浄ではない笑みを浮かべ、日番谷の方へ向き直った。
「…逢引きでもしはりますの?」
「馬鹿言え。大体こんな早ぇ時間からアイツが起きてくるわけねえだろ。」
 以前までは茶化す度目くじらを立てていた日番谷であったが、少しばかりあしらいというものを知ったらしく、乱菊との関係を僅かに仄めかしながら上手くかわした。面白くないとは思わぬが、子供は子供らしいところが重宝がられるものを、残念だとは感じる。
「そんなら、なしてこないな時間から起きてはりますの?」
「お前に関係ねえだろ。」
「教えてくれはりませんと、あることないこと乱菊に吹き込むで。」
 ギンの言葉全てに乱菊が欺かれるとは思わぬが、ギンと乱菊の絆というものは想定するより深い。日番谷は暫し不本意というような表情を浮かべ、眉をひそめながらようやく口火を切った。
「…毎年この日には、現世の下らねえ遊びがあるらしくてな。」
「あァ、エイプリルフール言いますねん。」
「ああ、それで毎回毎回松本が張り切りやがって、要らん世話まで増やされてるからな。今年は誰より早く俺が騙してやろうと思ったわけだ。」
 それだけのことだといかにも不味そうな顔をしたので、ギンが微かに苦笑の色を見せる。すると日番谷が何が可笑しい、と気に障ったような素振りをした。ギンは、細められた目尻を僅かに下げ、笑みを広げる。
「…若いなァ。」
「若い、だと?」
「そうや、大事にしい。そないなこと、そのうちよう出来へんようになるんやから。」
「…松本もお前と同年代じゃなかったか?」
「乱菊は性格や。余計なこと考えへんですぐ動きよる。せやけどボクらみたいな歳になったらな、すぐ余計なこと考えてまうからあかん。」
「…ジジィみてえなこと言いやがって。」
「ジジィやもん。」
 歳で言うたらキミもジジィやろ、と茶化すように言ってから、やや目を伏せる。歳のことを指摘されると、常のギンならば何かと理由を付けて抗ってくるのにも拘らず、容易く肯定を返した様子に日番谷は訝しげな表情を浮かべた。
 奪われれば奪い返し、欺かれれば欺き返し、突き落とされれば突き落とし返す。そのように容易い、当たり前のことが、歳を経るにつれて叶わぬようになる。奔放で、縦横無尽であったギンですら、このところ僅かではあるが落ち着き払った素振りを見せるようになった。
 それを嬉しく思って良いはずなのに、日番谷は少しばかり哀しかった。





 青い、青い大地である。若い芽が次々と陽光に翳り、青鼠色の影を量産している、青い青い大地である。若齢の象徴であるかのようなそれは、今日という期日を覆うように重なっている。
 ギンは、諦めたような様子で自室へ戻った。すると中では、イヅルが出勤の際の身支度をしている。ギンが襖を開くと、イヅルはひどく驚愕したようであった。けれどもすぐに表情を和らげ、「朝餉のご用意が出来ておりますよ」と笑う。
 消えぬようにと手を握って休んだものを、やはりギンは消えていた。だが、再び自分の元へと帰結した様を見て、この男の影を懸命に追った頃のことを追憶する。ふと、懐かしい気持ちになった。
 ギンは、眦を下げてイヅルの方を一瞥すると、何を思ったのか口を開いた。


「さいなら、イヅル。」
「え…?」
「ご苦労さん、今までおおきに。」

 
 一瞬耳を疑ったが、先ほどまで失念していた風習を思い出し、ふと微笑む。


「はい、ありがとうございます。」
「さいなら、イヅル。」



 偽りになればいいと思う。今日という日に呟いた言葉ならば、全て偽りになればいいと。




『さいなら、イヅル。』





 この翳りに浮かされ、若かりし罪と共に、偽りとなれと。 




*あとがき*
 本当はエイプリルフール当日に上げる予定だったのです。(汗)
 藍染隊長達があちらへ行ってしまうのが、あと数十年ほど遅れていたらというパラレル。
 その間に愚かな遊びをし尽くしてひどく落ち着いてしまった大人と、大人らしい遊びばかりを覚えてしまった子供と、とうの昔に落ち着いてしまって新しい遊びを模索している大人。

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