国家による殺人の代表が戦争と死刑だ。1989年に国連総会で死刑廃止国際条約が採択され死刑廃止が国際社会の潮流となり、死刑廃止国141か国(事実上廃止の30か国含む)に対し死刑が残っているのは日本、中国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)など57か国となった(2016年末現在)。しかし日本では死刑廃止は遅々として進まない。それどころか、法務省は逆行することを行っている。
「答弁不能」の金田勝年法相は、委員会採決抜きの「奇策」による共謀罪成立(6月15日)から1か月ほどたった2017年7月13日、西川正勝さん(大阪)、住田紘一さん(広島)の死刑を執行した。退任3週間前の最後の「仕事」だった。西川さんは再審請求中で、きわめて異例だった。
昨年の年末12月19日、上川陽子法相は東京拘置所で2人の死刑執行を行った。2人とも弁護士付きで再審請求中、しかも一人は事件当時19歳の少年だった。執行2日前の12月17日にフォーラム90が上川法相の地元・静岡で集会を行い、袴田秀子さん(巌さんの姉)が上川事務所に死刑廃止の要請書を届けた直後のことだった。
安倍政権は、2006年から07年の第一次のときに10人、第二次で21人、合計31人に死刑執行したことになる。
1月25日(木)夕方、衆議院第二議員会館地下の会議室で「上川陽子法務大臣の死刑執行に対する抗議集会」が開催された(主催:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、アムネスティ・インターナショナル日本、監獄人権センター、「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク)。
安田好弘弁護士から報告があった。安田さんはドキュメンタリー映画「死刑弁護人」(監督: 齊藤潤一 東海テレビ 2012年)の主人公である。
安田弁護士は元少年Sさんの死刑確定直前に弁論再開の申し立てを最高裁に行ったが却下された。そして、再審請求を弁護団2チームで準備していた。まず1チームが責任能力がなかったことを新たな鑑定書も付けて争い、もしそれが却下された場合は事実関係で争うことにし、重要な証人とコンタクトを試みていたところだった。また12月19日の執行の日、別件で東京拘置所へ行っていたときに事務所から執行の連絡を受け、S君の母が遺体との面会を望んだのに、遺体引き取りを条件とする当局に「引き取りとは関係なく会わせろ」と当局と交渉し、母だけ対面できた。
以下、安田さんの報告の一部を紹介する。
松井喜代司さんは再審請求中だった。裁判所は再審を認めるか棄却するか決定するに当たり、当事者の意見を求めなければならないという規定が刑事訴訟法にある。ところが裁判所から求意見が届いていて意見提出前にもかかわらず、法務大臣が死刑を執行した。
再審請求中の死刑執行は昨年7月の西川さんの執行に次ぎ、2人目のケースである。ただ西川さんの場合、当局は「同じような再審事由で再審請求する。これは事実上死刑執行を妨害するものだ」という理由をつけていた。ところが今回は、個別事案については答えられないので差し控えるが、一般的問題として「関係記録を十分に精査し、刑の執行停止と再審事由の有無について慎重に検討し、これらの事由がないと認めた場合、はじめて死刑執行命令を発することができる」と答えた。法務大臣が判断し「再審事由がない」と判断し執行した。今回の場合、再審の理由があると主張し、裁判所から意見を求められその準備をしている最中に、裁判所の判断を得ずして自分たちで判断したということは、行政の司法への介入であり、もっといえば司法そのものを否定している、三権分立制度を否定していることになる。
また「関係記録」はすべて検察が保管しているから、再審請求すると裁判所は検察に請求するのですべての資料が裁判所にいっている。法務省が記録を十分に精査できるはずがない。だから担当検察官に聞いたのだろうが、これでは行政が行政に事由があるか聞いただけ、ということになる。
憲法32条「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」とあるが、これは近代憲法、人権思想の根本の部分だ。しかも裁判は司法権に独占されている。この権利を奪っている。
よく刑事訴訟法で「死刑確定後、6箇月以内に死刑を執行しなければならない」と書かれているという話が出る。しかし但し書きで「再審請求したときは、その手続が終了するまでその期間に算入しない」と書かれている。6か月以内に再審請求していたときは死刑執行してはいけない。では6か月を超える場合どうなるか、これはなにも書いていない。死刑執行してよいとは書いていない。法務大臣は、いままでは4年か5年たってから執行してきた。
運用が変わったのであれば、新たに法律をつくって定めなければありえないことだ。なぜなら再審は、誤判を糺し人権侵害をなくそうという制度なのだから、6か月経過してもその趣旨を生かさなければならない。規定がないところで自分たちの権利を行使する以外のなにものでもない。司法権の侵害であると同時に、法律なくして市民の命を奪う独断専行だと、わたしは思う。
少年への死刑について述べる。永山則夫さんの処刑から20年たつがS君の死刑が執行された。18歳を超えた場合は死刑を宣告できるとある。しかし少年法で死刑を執行してよいとは書かれていない。
死刑宣告と執行は違う。なぜなら宣告は裁判上の問題だが、執行は行政上の問題だからだ。法務大臣が執行権をもっている。一方大臣は死刑から救う権限ももっている。彼は19歳のときに事件を犯し25年刑務所のなかで拘禁されている。彼の人生のなかでのこの拘禁の長さを考えると、生き直したのと同じくらいの長さになる。もう一度彼の死刑執行の意味を考え直してもよかったと思う。少年の更生を期待するのが少年法1条の理念だ。執行について、別の事件では、1条の理念が適用されている。ところがこの点について、法務相は何一つコメントしていない。会見で記者が、情報公開をどうするのか重ねて追及すると、情報公開するとその人たちのプライバシーの侵害になると答えた。周辺の人の名誉を棄損することになる。しかし名前も生年月日も、行状も全容を細かく発表している。まるで「高札」を書面で全国に流しているようなものだ。そんなことをしておきながら、何がプライバシーや人権への配慮だ。
再審請求中の94人の確定囚をやろう、弁護士がついていても本人が再審請求していてもやろうという意志表示だと思う。中のひとの精神的ダメージは非常に大きい、安心して眠れないのではないか。
菊田幸一・明治大学名誉教授から国連関連のニュースが2つ伝えられた。
1966年国連自由権規約が採択され、日本も1974年に批准した。この規約の手続き規定として死刑廃止条約(第2選択議定書)がある。規約批准国は死刑廃止に向け努力すべきなのに日本には一向にその姿勢がみられない。国連は定期的に意見書を出しており、昨年も日本の死刑に関し4,5項目違反のおそれがあるとコメントした。しかし日本政府はこの指摘に対する答弁書でことごとく反論を出し続けている。日弁連は、政府の答弁書に対する詳細な批判と反論を発表する予定である。
もうひとつ、昨年9月29日、国連で死刑問題に対する決議を行ったが、日本は反対意見を出した。おもな理由は日本の世論の8割が死刑存置だからというものだ。しかし生命権は絶対的なものであり、普遍的権利である。しかし、世論は相対的なものであり、普遍的な権利や理念に対抗できるようなものではない。
なお2016年10月日弁連は「2020年までに死刑廃止をめざすべき」という宣言を可決している。さらに市民、宗教界、学界などとともに死刑廃止の運動を展開しようとしている。
最後に「再審請求中の死刑執行は、憲法32条にある裁判を受ける権利をおかすものであり、違憲であってけっして許されてはならない。憲法を遵守すべき上川陽子法務大臣は自ら憲法違反を行ったことになる」「再審請求中の者への死刑執行は、冤罪を晴らす機会を閉ざすことに他ならない」「まだ成長過程にあり更生の可能性のある事件当時少年であった者への死刑執行は避けるべきである」「上川法務大臣に今回の執行に対して強く抗議するとともに、再び死刑の執行をしないことを強く要請する」という集会決議(一部抜粋)を参加者一堂で採択し、集会を終えた。
☆2月17日から23日まで、渋谷のユーロスペースで7回目の死刑映画週間「死刑という刑罰」が開催される。「獄友」(監督:金聖雄 2018年)、「白と黒」(監督:堀川弘通 1963年)など8本の映画が上演され、日替わりで森達也さん(映画監督)、坂上香さん(映像ジャーナリスト)らのゲスト・トークが行われる予定だ。
「答弁不能」の金田勝年法相は、委員会採決抜きの「奇策」による共謀罪成立(6月15日)から1か月ほどたった2017年7月13日、西川正勝さん(大阪)、住田紘一さん(広島)の死刑を執行した。退任3週間前の最後の「仕事」だった。西川さんは再審請求中で、きわめて異例だった。
昨年の年末12月19日、上川陽子法相は東京拘置所で2人の死刑執行を行った。2人とも弁護士付きで再審請求中、しかも一人は事件当時19歳の少年だった。執行2日前の12月17日にフォーラム90が上川法相の地元・静岡で集会を行い、袴田秀子さん(巌さんの姉)が上川事務所に死刑廃止の要請書を届けた直後のことだった。
安倍政権は、2006年から07年の第一次のときに10人、第二次で21人、合計31人に死刑執行したことになる。
1月25日(木)夕方、衆議院第二議員会館地下の会議室で「上川陽子法務大臣の死刑執行に対する抗議集会」が開催された(主催:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、アムネスティ・インターナショナル日本、監獄人権センター、「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク)。
安田好弘弁護士から報告があった。安田さんはドキュメンタリー映画「死刑弁護人」(監督: 齊藤潤一 東海テレビ 2012年)の主人公である。
安田弁護士は元少年Sさんの死刑確定直前に弁論再開の申し立てを最高裁に行ったが却下された。そして、再審請求を弁護団2チームで準備していた。まず1チームが責任能力がなかったことを新たな鑑定書も付けて争い、もしそれが却下された場合は事実関係で争うことにし、重要な証人とコンタクトを試みていたところだった。また12月19日の執行の日、別件で東京拘置所へ行っていたときに事務所から執行の連絡を受け、S君の母が遺体との面会を望んだのに、遺体引き取りを条件とする当局に「引き取りとは関係なく会わせろ」と当局と交渉し、母だけ対面できた。
以下、安田さんの報告の一部を紹介する。
松井喜代司さんは再審請求中だった。裁判所は再審を認めるか棄却するか決定するに当たり、当事者の意見を求めなければならないという規定が刑事訴訟法にある。ところが裁判所から求意見が届いていて意見提出前にもかかわらず、法務大臣が死刑を執行した。
再審請求中の死刑執行は昨年7月の西川さんの執行に次ぎ、2人目のケースである。ただ西川さんの場合、当局は「同じような再審事由で再審請求する。これは事実上死刑執行を妨害するものだ」という理由をつけていた。ところが今回は、個別事案については答えられないので差し控えるが、一般的問題として「関係記録を十分に精査し、刑の執行停止と再審事由の有無について慎重に検討し、これらの事由がないと認めた場合、はじめて死刑執行命令を発することができる」と答えた。法務大臣が判断し「再審事由がない」と判断し執行した。今回の場合、再審の理由があると主張し、裁判所から意見を求められその準備をしている最中に、裁判所の判断を得ずして自分たちで判断したということは、行政の司法への介入であり、もっといえば司法そのものを否定している、三権分立制度を否定していることになる。
また「関係記録」はすべて検察が保管しているから、再審請求すると裁判所は検察に請求するのですべての資料が裁判所にいっている。法務省が記録を十分に精査できるはずがない。だから担当検察官に聞いたのだろうが、これでは行政が行政に事由があるか聞いただけ、ということになる。
憲法32条「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」とあるが、これは近代憲法、人権思想の根本の部分だ。しかも裁判は司法権に独占されている。この権利を奪っている。
よく刑事訴訟法で「死刑確定後、6箇月以内に死刑を執行しなければならない」と書かれているという話が出る。しかし但し書きで「再審請求したときは、その手続が終了するまでその期間に算入しない」と書かれている。6か月以内に再審請求していたときは死刑執行してはいけない。では6か月を超える場合どうなるか、これはなにも書いていない。死刑執行してよいとは書いていない。法務大臣は、いままでは4年か5年たってから執行してきた。
運用が変わったのであれば、新たに法律をつくって定めなければありえないことだ。なぜなら再審は、誤判を糺し人権侵害をなくそうという制度なのだから、6か月経過してもその趣旨を生かさなければならない。規定がないところで自分たちの権利を行使する以外のなにものでもない。司法権の侵害であると同時に、法律なくして市民の命を奪う独断専行だと、わたしは思う。
少年への死刑について述べる。永山則夫さんの処刑から20年たつがS君の死刑が執行された。18歳を超えた場合は死刑を宣告できるとある。しかし少年法で死刑を執行してよいとは書かれていない。
死刑宣告と執行は違う。なぜなら宣告は裁判上の問題だが、執行は行政上の問題だからだ。法務大臣が執行権をもっている。一方大臣は死刑から救う権限ももっている。彼は19歳のときに事件を犯し25年刑務所のなかで拘禁されている。彼の人生のなかでのこの拘禁の長さを考えると、生き直したのと同じくらいの長さになる。もう一度彼の死刑執行の意味を考え直してもよかったと思う。少年の更生を期待するのが少年法1条の理念だ。執行について、別の事件では、1条の理念が適用されている。ところがこの点について、法務相は何一つコメントしていない。会見で記者が、情報公開をどうするのか重ねて追及すると、情報公開するとその人たちのプライバシーの侵害になると答えた。周辺の人の名誉を棄損することになる。しかし名前も生年月日も、行状も全容を細かく発表している。まるで「高札」を書面で全国に流しているようなものだ。そんなことをしておきながら、何がプライバシーや人権への配慮だ。
再審請求中の94人の確定囚をやろう、弁護士がついていても本人が再審請求していてもやろうという意志表示だと思う。中のひとの精神的ダメージは非常に大きい、安心して眠れないのではないか。
菊田幸一・明治大学名誉教授から国連関連のニュースが2つ伝えられた。
1966年国連自由権規約が採択され、日本も1974年に批准した。この規約の手続き規定として死刑廃止条約(第2選択議定書)がある。規約批准国は死刑廃止に向け努力すべきなのに日本には一向にその姿勢がみられない。国連は定期的に意見書を出しており、昨年も日本の死刑に関し4,5項目違反のおそれがあるとコメントした。しかし日本政府はこの指摘に対する答弁書でことごとく反論を出し続けている。日弁連は、政府の答弁書に対する詳細な批判と反論を発表する予定である。
もうひとつ、昨年9月29日、国連で死刑問題に対する決議を行ったが、日本は反対意見を出した。おもな理由は日本の世論の8割が死刑存置だからというものだ。しかし生命権は絶対的なものであり、普遍的権利である。しかし、世論は相対的なものであり、普遍的な権利や理念に対抗できるようなものではない。
なお2016年10月日弁連は「2020年までに死刑廃止をめざすべき」という宣言を可決している。さらに市民、宗教界、学界などとともに死刑廃止の運動を展開しようとしている。
最後に「再審請求中の死刑執行は、憲法32条にある裁判を受ける権利をおかすものであり、違憲であってけっして許されてはならない。憲法を遵守すべき上川陽子法務大臣は自ら憲法違反を行ったことになる」「再審請求中の者への死刑執行は、冤罪を晴らす機会を閉ざすことに他ならない」「まだ成長過程にあり更生の可能性のある事件当時少年であった者への死刑執行は避けるべきである」「上川法務大臣に今回の執行に対して強く抗議するとともに、再び死刑の執行をしないことを強く要請する」という集会決議(一部抜粋)を参加者一堂で採択し、集会を終えた。
☆2月17日から23日まで、渋谷のユーロスペースで7回目の死刑映画週間「死刑という刑罰」が開催される。「獄友」(監督:金聖雄 2018年)、「白と黒」(監督:堀川弘通 1963年)など8本の映画が上演され、日替わりで森達也さん(映画監督)、坂上香さん(映像ジャーナリスト)らのゲスト・トークが行われる予定だ。