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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「解説」が秀逸な東京国立近代美術館コレクション展

2020年06月20日 | 美術展・コンサート
やっとコロナ禍で休館していた博物館・美術館がオープンし始めたので、竹橋の東京国立近代美術館MOMATコレクション展に行った。この美術館は、高校生のころ行き始めたので、なじみ深くほっとする場所だ。ただ再開とはいうものの、完全再開ではなく、事前にチケットを購入し1時間ごとの予約を行って、はじめて入場できるシステムだ。
今回見に行ったのはコレクション展、いわゆる平常展示だ。この美術館には13000点ものコレクションがある。しかも教科書に出てくるようなレベルの絵や重文もいくつも所蔵している。今回の展覧会も3000平方メートルに200点以上の作品が並ぶ大がかりなものだ。コレクション展は何度かみたはずだが、何しろ所蔵品が13000点と膨大なので、行くたびに珍しい作品がみられる。

今回改めて気づいたのだが、いくつかの作品には短い解説が付いている(日英中韓4か国語)。全作品に付いているわけではないが、この内容がかなり秀逸なのだ。もちろん絵なり彫刻なり好きなようにみればそれでよいのだが、バックグラウンドの説明やこういう視点からみればよいというアドバイスなど、まったく知らないこと、初めて気づくことが多く、わたくしには有益だった。
またこの美術館は、日本人作家による近代画中心だとばかりだと思っていたが、セザンヌ、ルソー、ココシュカ、パウル・クレーなど海外の作品もかなり収蔵していることや、現代美術でレベルの高い作品を収集していることがわかった。またコレクション展はこの美術館所蔵のものばかりなのでほとんどの作品は撮影可能で大変ありがたい。好きな作品はたいていカメラに入れたが、このブログは写真集ではないので、掲載点数に限りがある。そこで下線を付けた作品はできるだけネット検索した(クリックしてご覧いただきたい)。

4階  1室ハイライト
ハイライトとは「コレクションの精華」(中国語表記では精彩作品とあった)とのことで、18点の作品が並んでいた。そのなかからいくつか印象の強い作品を紹介する。

まず小倉遊亀「浴女 その一」(1938)があった。美術館の絵葉書としても有名で、わたくしも高校生のころから好きな絵のひとつだ。何度見ても、ゆったりした気分になれる絵でほっとする。解説には「作者の関心は、タイル張りの湯船に温泉がゆらめいて、縦横の格子模様がユラユラとひしゃげる様子にあった」と書かれていた。だからこちらもゆったりするわけだ。
菱田春草「梅に雀(1911)は、絶筆(死のひと月前)の菊の扇に近い時期で、軸物としては最後の作、亡くなったのはこの年の9月14日だ。
原田直次郎「騎龍観音」(重文 1890)は龍の上に観音菩薩が乗っている構図で、いまならアニメで評判になりそうだ。当時は「サーカスの綱渡りのよう」と不評で護国寺に奉納し、この美術館にくるまで本殿に飾られていたそうだ。

岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」(重文 1915
約100年前の代々木の風景、左の新しい石塀は山内侯爵家(容堂の孫)のもの。「坂道を上から押さえつけるように横切る黒い棒の正体は、画面右外にある電柱の影」という短い解説があった。代々木といってもJR代々木駅の南西方向、参宮橋のあたり(旧・山谷町)のようだ。
劉生の絵の右隣はセザンヌ「大きな花束(1892-95)、左隣はゲルハルト・リヒター(1932―)の霧のわく山の写真をぼかして描いた「シルス・マリア(2003)だった。近代美術館なので、なんとなく日本人作家の美術館だと思っていたが、海外作家の作品でもよいものを選び購入しているようだ。
古賀春江(1929)も有名だが、「鳥と飛行船、魚と潜水艦、女性と工場というふうに自然のものと人工のもののペアが見つかる」という解説があり、わたしは気づかなかった視点だったので、なるほどと納得した。

丸木俊は位里と描いた「原爆の図」で有名だが、戦後すぐ1947年の絵があった。タイトルは「解放され行く人間性」、絵もどっしり堂々とした裸婦立像だった。「女性の解放」でなく「人間性の解放」としたところに「画家はより大きな『解放』を見据えていたようにも思える」と説明が書かれていた。

4階 2-5室 明治の終わりから昭和のはじめまで(1900―1940年代)

3室「芸術家に霊感を与える ミューズ」に、萬鐵五郎「裸体美人」(1912)があった。黒田ら教師への反抗心から、新婚の妻の真っ黒な鼻の穴や腋毛を見せる姿を描いたもので、卒業制作だった。
このすぐ近くにオスカー・ココシュカの「アルマ・マーラーの肖像(1912 偶然にも萬の作と同じ制作年)が展示されていた。最初の夫がグスタフ・マーラー、没後ココシュカと恋愛関係にあったが、その後再婚したのは建築家・グロピウスという「伝説の女性」のまさに「美しいとも恐ろしいともみえる」肖像画だった。

5室「クラシックは新しい?」の大沢昌助岩と人(1940)には、登場人物の左側の画面外への視線と見る人の絵に対する視線との交錯を軸にした巧みな構図が私たちの想像力をかきたてるという説明があった。
大沢の絵というと、抽象画か版画風の平面的な絵が多いという印象があったので、意外に感じた。
話は変わるが、3階10室バウハウスの企画コーナーに、古賀春江がパウル・クレーの作品(雑誌カイエダール7号掲載)を模写したスケッチが2点あった。これもわたくしにとって意外な作品だった。

3階は「昭和のはじめから中ごろまで」(1940―60年代)の作品があった。当然、戦争画と敗戦直後の絵から始まる。戦争画は1943年に開催された第2回大東亜戦争美術展の370点の出品作から選んだ6点だった。1941年12月8日上海を占領した日本軍の行進(示威行進というらしい)がモチーフの松見吉彦「十二月八日の租界進駐(1942年頃)、零戦が敵機を撃墜する小堀安雄「イサベル島沖海戦(1943)など、「戦勝気分」を高揚させる絵が並んでいた。そのなかに大東亜戦争美術第二輯という写真集の藤田嗣治の謹寫「天皇陛下伊勢の神宮に御親拝」のページが開かれていた(たぶん現物は遺族の意向もあり展示できないのだろう)。いまも皇室賛美の風潮が高まりつつあるが、美術家が(すすんで)こういう絵を描く戦時中とはレベルが違うことがわかる。しかし、いつこの時代に戻るかわからないような「装置」が構築されつつあることも事実だ。

一方、戦争直後のものでは古沢岩美「餓鬼」(1952)の迫力は半端ではなかった。隣に岡本太郎「燃える人(1955)があったが、引けをとらなかった。
陸軍を創設したが敗戦で権威を失墜した山県有朋騎乗する銅像を背景にした、右足の膝下と右目を失った傷痍軍人の手前は「快楽」かと思ったが、戦地の日本軍の行為と解説にあった。慄然とする。古沢は「兵卒としての私の戦争への総決算的作品」と呼んだが、当時の批評家から「醜悪きわまる」と酷評されたそうだ。
8室「円と前衛」では、わたくしは昔から好きだった靉嘔(あい・おう)の「アダムとイヴ(1963-67)がいまもやはり最も好きだった。また瑛九の2点の作品を再認識した。「れいめい(1957)は紺色の円が基調になっている。空や宇宙、つまりマクロコスモス的な光景(明け方)とも見え、同時に細胞や生命の誕生すなわちミクロコスモス的な光景も想起させるとの説明があった。
9・10室でバウハウスと日本という小特集を開催していた。バウハウス開校がほぼ100年前の1919年という縁だ。もちろんチェアやティーポットがいくつもあり、パウル・クレーの作品がいくつかあった。10年近く前にベルリンのバウハウス資料館でみたのを思い出した。そのなかでカンディンスキー「全体(1940)色・形両方の緻密な構成に目を瞠らせられた。

秋岡美帆「ながれ」「よどみ」「そよぎ」(1988)
2階は昭和の終わりから今日まで(1970-2010年代)で、2つのテーマがあった。11室は自然を凝視し、自然と向かい合う「見つめる眼、感じる自然」で児玉靖枝と秋岡美帆の大きな作品がメインだった。秋岡はぶれた写真をイメージとして使い、大画面に印刷したもの、児玉は絵の具を3層、4層と塗り重ね「奥から光が染み出してくる」ような空間のなかで「画家の眼差しを通して桜の気配を感じ」る作品「ambient light ― sakura(2002)だった。2人ともわたくしは知らない人だったが、3月に工芸館でみた築城則子の縞模様の織作品を見たときと同じように印象が強かった。
もうひとつの12室は「彫刻か絵画か、具象か抽象か」というテーマで、彫刻ではアンソニー・カロが分岐点になるとのことでラップ(1969)という抽象的な彫刻が展示されていた。またロバート・スミッソン「スパイラル・ジェッティ(1970)は映像によるものだったが、幅4.6m、全長460mの長大ならせん模様の突堤をトラクターで制作する作品だった。先日亡くなったクリストの作品を彷彿とさせる。
絵画は、たとえば辰野登恵子Work 86-P-1(1986)が展示されていた。辰野といえば抽象画作家で有名だが、解説には「左上の肌色の卵型の丸に注目」すると、赤い上半身と右腕に支えられた頭部のイメージにも見えて」くるとあり、これもなるほどと納得した。
このように「解説」により学ぶところの多いコレクション展だった。

北脇昇「クォ・ヴァディス」
2階で小企画・北脇昇一粒の種に宇宙を視る」を開催していた。小企画というものの40点もの作品が並ぶ立派な個展になっていた。わたくしは、もともとシュールレアリスティックな「クォ・ヴァディス」(1949)やSF的な「空港(1937)、今回は展示されていなかったが「独活」(うど)が好きだった。今回まとまった作品群に幾何学的、デザイン的な作品がかなりあることを知った。解説によれば「世界の背後にある見えない法則」を解明し世界観のモデルを示すものだそうだ。「周易解理図(乾坤)(1941)は、上が陽(+)の乾で暖色の天を意味し、下が陰(-)の坤で寒色(緑と紫)の地を表すそうだ。

☆4階の皇居を見下ろせる休憩室は「眺めのよい部屋」と名付けられている。皇居の石垣が美しく、向こうには大手町のビジネス街の高層ビル群、手前の歩道には皇居周回ジョギングのランナーが小さく見える。本当に眺めがよい。かつてここにカウンター形式でサンドイッチやコーヒーなどの軽食喫茶があったのを思い出した。
さらに4階室外に植田正治の写真作品「カコとミミの世界」、屋外には木村賢太郎 「七つの祈り」ら3点の立体作品が展示されており美術館としてのパワーを感じさせる。
木村賢太郎「七つの祈り」についてはひとつ思い出がある。高校生のころ近代美術館で連続講座があり聞きに行った。だれだったか覚えていないが、河北倫明クラスの高名な評論家が講師で、この作品のスライドをみながら「七つの重ね餅、いや祈りでした」といって聴衆が笑ったことを覚えている。「そうか、
美術作品は、自分の好きなように眺めればよいのだ」と納得し、変な自信をもてるようになった。
 
住所:東京都千代田区北の丸公園3-1
電話: 050-5541-8600
開館日:火曜日~日曜日(月曜祝日のときは火曜休館 展示替期間・年末年始は休館)
開館時間:10:00-17:00(金・土の夜間開館は現在中止)
入館料:一般500円、大学生250円、65歳以上と高校生以下、18歳未満は無料

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
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