あめ~ば気まぐれ狂和国(Caprice Republicrazy of Amoeba)~Livin'LaVidaLoca

勤め人目夜勤科の生物・あめ~ばの目に見え心に思う事を微妙なやる気と常敬混交文で綴る雑記。
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風の中の津軽

2014-12-23 23:33:46 | 日替わりchris亭・仮設店舗
以前、『捏造の世界史』という本をご紹介しました。あちらはアメリカで話題をさらった捏造事件がメインでしたが、今度は日本で起きた事件の本をご紹介しましょう。歴史書籍レビュー、第百十三回です。


斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』(新人物往来社)

まずタイトルの「東日流外三郡誌」が読めない方が大半かと思われます(私も知りませんでした)が、「つがるそとさんぐんし」が正解で、「つがる(東日流)」は青森県の西側、津軽地方のことです。
11世紀に津軽の内陸部には鼻和郡、平賀郡、田舎郡の三郡が置かれたのですが、それ以外の海沿いの地域(現在の青森市を含む)は郡域から外され、「外浜」「西浜」という名の「津軽の外」扱いをされる地域となりました。しかしそれから時代がさらに下ると、便宜上「外浜」「西浜」も三つの郡(江流末郡、馬郡、興法郡)に分けて呼ぶようになり、これを「外三郡」というのだそうです(外三郡自体実在しなかった、あるいは有名無実だったという説あり)。

「東日流外三郡誌」は、青森県五所川原市に住む和田喜八郎という人物が「自宅で発見した」と主張する「和田家文書」と呼ばれる古文書群の代表格。三春藩(現在の福島県三春町)の藩主である秋田千季の命により、縁者である秋田孝季と喜八郎の先祖である和田吉次が中心となって編集した、旧石器時代から中世に至るまでの外三郡の歴史についてまとめた書物というものでした。
そしてそのまとめられた歴史の内容は、古代日本には『古事記』や『日本書紀』には書かれていない王朝が存在し、大和朝廷は一度その王朝に滅ぼされており、その東北王朝が意見対立で東西に分裂、東側勢力が「蝦夷(えみし)」と呼ばれるようになったという、これまでいかなる書物にも書かれていない「事実」のオンパレード。1975年に青森県市浦(しうら)村の村史の補足資料として世に出されると、たちまち古代史マニアの間で評判となりました。
一方で、内容の矛盾点等から、これを後世の捏造、すなわち偽書であるとする意見も出される中、ついに1992年、「和田家文書は現代に作られた偽書であり、その内容は著作権侵害である」として裁判を起こされるに至ります。

その裁判をきっかけに、「和田家文書」問題を報道し続けた津軽の地元紙「東奥日報」の記者がこの本の著者である斉藤光政。この本は「歴史に興味があるだけの、一介のサツ回り(県警担当)」だった一人の新聞記者が、報道する立場から偽書事件にどのように関わり、また巻き込まれていったかを振り返った手記に近いルポです。

報道の当事者だけあって、当時の新聞記事が主軸になっており、新聞記事が日付順になるような時系列で描かれています。事件が一般に知られていくようになる順序なので、出来事そのものの時間軸が前後してもわかりづらさを感じず、著者と同じ目線で事件に向き合うことができます。
ただ、読者が著者と同じ目線を持つだけに、「当時の著者の視点」と「現在の著者の視点」が混在しているのに居心地の悪さを感じるのが残念な点。

なお、あくまで題材は「偽書事件」であって「偽書」ではないため、和田家文書が描いていた歴史の内容は「問題点」として提示されるに過ぎません。「外三郡」とは何か、という説明もなかったので、このレビューの最初の段落の記述は私がざっと調べて書いたものです。間違っている可能性があることをご承知おきください。

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