あめ~ば気まぐれ狂和国(Caprice Republicrazy of Amoeba)~Livin'LaVidaLoca

勤め人目夜勤科の生物・あめ~ばの目に見え心に思う事を微妙なやる気と常敬混交文で綴る雑記。
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算命学でも占星術でも

2014-10-28 10:58:01 | 日替わりchris亭・仮設店舗
公開場所を自分のブログに移してしまったので、定期的に戦国時代の本を取り上げないとアイデンティティを失ってしまう気がしています。第百五回歴史書籍レビュー、二十回ぶりの戦国時代(日本の)です。


小和田哲男『呪術と占星の戦国史』(新潮社)

「苦しい時の神頼み」という言葉があります。現代の信仰心の薄い人ですら苦しい時には思わず神に頼るものなのですから、過酷な戦国時代を生きた人々にとって「神頼み」がなくてはならぬものであったことは想像に難くありません。
今回紹介するのは、その「難くない想像」を史料をもって肉付けする本といえるでしょうか。いわば「オカルティズム」のようなものが、戦国時代においてどれだけの役割を担っていたかをまとめた一冊です。

内容は多彩なもので、武将たちの信仰を集めていた神仏について書かれた第一章、合戦における「呪術者」というポジションにスポットを当てる第二章・三章、士気を高める占いや縁起担ぎを語る第四章・五章、数多の命が失われる戦場における「祟り」の意識を考察する第六章、城跡にまじないの痕跡を探す第七章、と充実したラインナップです。
最後の第八章は「呪符」についてまとめたものでかなり高度な内容となっており、ややとっつきづらいですが、それ以外の章はわかりやすく、多くの史料とフィールドワークに裏打ちされた記述には説得力があります。
また、合戦に際してのくじ引きや夢占いに関する記述など、単独で抜き出しても面白いエピソードも採られており、読み飽きない内容になっています。

戦国大名の「外交」』に書かれていた「神に誓った内容であることを示すために様々な神仏の名が列挙された書状」に対して得た知的好奇心を、十分に満たしてくれた本でした。

知らないものを知ろうとして

2014-10-21 10:55:26 | 日替わりchris亭・仮設店舗
第百四回歴史書籍レビューは、ひと月半ぶりに小説を取り上げます。


冲方丁『天地明察』(角川書店)

前回紹介した『遊芸師の誕生』の191ページには、次の記述があります。
「算哲は三五歳の時に碁界から退き渋川助左衛門春海と名を改め、幕府の天文暦法の専門家となって数々の著作を残した。これが、碁打ちが将棋指しより優れているという主張の根拠にもなった。」
後半は碁打ちに幕府から与えられる俸禄が将棋指しよりも高かったという話題を受けての文。将棋囲碁の優劣はおいておくとして、江戸幕府お抱えの碁打ちが、天文学者に転身して業績をあげたという事実は、碁界からも注目に値する事件だったということでしょう。
この(二代目)安井算哲こと渋川春海が、今回紹介する小説『天地明察』の主人公です。

やはり江戸城で碁を打つ身分であった(初代)安井算哲の、遅い実子として生まれた春海。当然安井家の跡継ぎということになりますが、彼には年の離れた義兄(初代算哲の養子)の算知がおり、碁の腕前は義兄の方が優れているというのが春海の実感でした。そのためどうしても家業に今一つのめり込めない日々。彼が代わりに没頭したのが算術でした。

おっとりしてマイペース。およそ武士の居並ぶ江戸城にそぐわないように見える一介の碁打ちが、いかにして天文の道を究めるに至ったか。挫折と葛藤、恋愛も少し織り交ぜながら軽妙なタッチで綴られる人物伝です。

文庫版はわざわざ上下組になっていますが、さほど長いわけではなく、また読みやすいのであまり時間はかかりません。一点気になるとすれば、「読みやすすぎる」こと。戦国時代に興味がある人であれば、例えば羽柴秀吉には「秀吉」という諱(いみな)の他に「筑前守」という官位名や「藤吉郎」という通称があったことをご存じかと思います。近世までの日本では身分の高い人は諱を避けて官位名や通称で呼ぶのが礼儀であり、現在でも当時の人名に関して「本多平八郎忠勝」とか「石田治部少輔三成」という風に2種の名前を併記する表記がされることがありますが、特に混乱したりすることはないでしょう。
しかしこの小説では、官位名を併記する際に英語圏のニックネームのように二重引用符をつけるという、他で見たことのない表記を使っています。他にもこういった表記が随所に見られます。

この小説が本屋大賞や吉川英治新人賞など数々の文学賞に輝いたのには、こうした工夫にも理由があるのかもしれません。もし、このように過剰にも思えるほど「わかりやすい」ものでないと、いまどき歴史小説にヒット作は生まれないのだろうかなどと考えると、歴史小説好きとして少しさみしい読書でもありました。

零和不完全な僕ら

2014-10-14 10:45:00 | 日替わりchris亭・仮設店舗
現在、囲碁は三大タイトル戦の一つ「名人戦」が開催中で、4局終わって2勝2敗と白熱の展開。将棋も最高格のタイトル戦の一つ「竜王戦」の第1局が明後日に控えています。私は将棋は指せず観戦するだけのいわゆる「観る将」、囲碁についてはさっぱりですが、こんな本を読んでみました。歴史書籍レビュー、第百三回です。


増川宏一『遊芸師の誕生 碁打ち・将棋指しの中世史』(平凡社)

囲碁と将棋はどちらも日本において古くから人気のあるボードゲーム。「棋士」や「棋道」という言葉はどちらのゲームにも使うことができる、という点からもわかるように、昔からセットのように扱われてきました。
この2つが日本のボードゲームの中で特別なものである理由の一つとして、囲碁棋士・将棋棋士を徳川幕府が引き立て、俸禄を支給していたという事実があります。この本は、いかにして囲碁将棋が日本に広まり、ついには幕府が職業棋士を公認するに至ったのか、その過程をまとめた本です。

囲碁が日本に伝来したのは奈良時代前後、将棋の伝来についてはあまりはっきりしていないもののおそらく同じ頃ですが、漢字が読めないと遊べないためにやや普及が遅れた面はあるようです。どちらにせよ、中世になると公家や僧を中心に愛好者も増えて、盛んに遊ばれるようになっていました。
一方で、囲碁将棋は明確に勝負のつく遊びであったことから、賭けの対象にもなりました。むしろ、賭けになるので広まったと言えるくらいです。

この本ではそんな中世における囲碁将棋普及の実像が、様々な日記などの記述から読み解かれていきます。ある時は賭博の遊興、ある時は公家の収入源、ある時は密談の口実。世情の移り変わりとともに囲碁将棋の立ち位置も変化していく様は、さながら将棋の駒の取り合いのようで、思った以上にシステマティック。戦法などには一切触れないので、ルールを知らない囲碁の方もさほど苦なく読むことができました。

最後には「今後の課題」として、近世における話題とともに、これまでの囲碁将棋史観がいかに偏ったものであったかが力説されており、説得力のある内容となっています。ただし、この本自体が27年前と古いものであり、この本による問題提起がその後どのように結実したのかしなかったのか、新しい研究を見てみたいというのが正直な読後感でした。

ソウルフード喰ったの誰?

2014-10-07 22:33:37 | 日替わりchris亭・仮設店舗
食いしん坊の自覚はさほどありませんが、これまで多くの「食」関連の歴史本をレビューしてきました。黄門様のお食事だったり、麺類フィールドワークだったりといわば気楽なコンセプトのものばかりでしたが、今回は少し重めのテーマを。歴史書籍レビュー、第百二回です。


上原善広『被差別の食卓』(新潮社)

「秘密のケンミンSHOW」のようなご当地ネタを扱うテレビ番組などでは、「ソウルフード」というフレーズがよく登場します。日本だと「郷土料理」とか「ある国・地域だけで特に好まれる食べ物」程度の意味で使われますが、本来は「ソウルミュージック」などと同じように、アフリカ系アメリカ人の食べ物という意味の言葉です。

アフリカ系アメリカ人のルーツが奴隷として連れてこられた黒人であることは今さら言うまでもありませんが、かつての奴隷を初めとする「虐げられる人々」の間には、独特な食文化が根付くことがあります。
この本は、アメリカ、ブラジル、ブルガリア、ネパールと世界各地を巡り、「被差別者」たちの食風景とその発祥に迫ったルポです。

作者自身被差別の出身であるということで、その立場が眼差しにも反映されているばかりでなく、取材対象の人々に切り込む武器ともなっています。
そこから生まれる説得力がこの本の強みでしょう。「抵抗的余り物料理」という表現もなるほどと思わされます。

世界各地の食卓を訪ねたしめくくりは、作者のルーツを日本で再確認。恥ずかしながら近所の串カツ居酒屋でときどき食べる「さいぼし」の起原が被差別にあるとは考えたことがありませんでした。今度食べるときは味わいも違って感じられるような気がします。