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基本へ返れ

2005-04-01 02:56:22 | 人権・憲法・法律
人権擁護法反対集会まであと4日。そこで再びこの件について基本に立ち戻って問題点を視点を変えて整理してみたいとおもいます。

本法案は人権侵害一般を禁じていますから、労働問題などのように適用除外となっている事項を除いて、人権侵害救済の一般法となります。議論の過程では表現行為に関心が集中しましたが、実際は教育における事項や男女機会均等、政教分離などあらゆることにつき、人権委員会という行政機関が口を出す社会を作る法律です。

以前の論考では以下のような点を憲法の観点から問題にしました。

1.「法律からの人権保障」という【法の支配】の原理に反するのではないか
→歴史的に人権侵害の主体だった行政権を法律で縛るだけでは人権を守ることはできなかった(治安維持法など)
→その歴史の教訓から「法律からも人権を守る」必要があると認識され日本国憲法は【法の支配】を採用した

2.人権の定義、人権委員および人権擁護委員の任命基準が不透明(国籍条項も含む)
→強制調査・勧告・公表を能動的・機動的に行い、国民生活に多大な影響を及ぼす可能性が高い、強力な権限を持つ機関にも関わらず、その職務範囲や選任方法が不透明
→身分保障がなされるため解任もほぼできない

3.行政委員会の職務として適切か
→これまでの行政委員会の職務は表現の自由(憲法21条)に直接の影響を及ぼすものではなかったが(ただし、国家公安委員会は国家存立の基礎を扱うので特例はありうる)人権委員会はそうではない
→そのような職務が行政委員会の職務として適切か

4.行政強制による表現の自由への萎縮効果の懸念
→表現行為

5.2~4を含めて表現の自由への配慮がほとんどない
表現行為を規制する立法は明確でなければならない(明確性の原則)
→広範囲な規制を含む立法はそれだけで違憲の推定を受ける
∵表現行為への萎縮効果を排除する

以上のように、【法の支配】という極めて観念的なものを除いては主に表現の自由との関連が問題となります。教育現場などへの影響は法律上の問題というよりそれを適用する場面での不法行為の問題です。それはこういう法案を《実際上の配慮から》通過させるべきではないという、立法上の政治的理由にはなりますが、理論的な意味での憲法・法律問題とはなりません。そしてこの政治的理由については各種ブログで散々書かれているので、わたしは憲法・法律問題に焦点をあてようとおもいます(続く)。

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