先日公開した記事「クインデチレで解読するサビアン占星術」で、筆者はサビアンシンボルの象徴が、太陽と反対側165度のアスペクト「クインデチレ」の位置にあるサインおよび支配星の影響を受けているという趣旨の解説をした。今回はその説をさらに展開させる。
◆『神の指』は『神の木』
クインデチレ・アスペクトのうち特に注目される165度のアスペクトをチャート上に描くと、以下の図の赤線で描いた線を辿ることになる。
これで思い出されるのが、クインデチレよりずっと知名度の高い「ヨッド」というアスペクトだ。150度で構成されるこのアスペクトは、「神の指」とも呼ばれ、表象される物事をある特定のテーマに限定して作用させる働きを持つ。“逃れられない宿命”と凶相に分類されることもあるが、特定の能力を発揮するための非常に強力なアスペクト見ることも可能である。
図を見るとクインデチレの165度アスペクトはヨッドより狭いエリアで成立する。そしてこのアスペクトも“容赦のない動機づけ”“強迫観念”“激変”など非常に鋭い影響力を持ったアスペクトとして取り上げられている。
これらの宿命的なアスペクトは、どうしてそのような力を持つのだろう。180度のオポジションが強力であるのは図像的にも合理的に理解出来るが、165、150度といった角度がはたして特別な意味を持つのかどうか、アスペクトの形態からはすぐにイメージが繋がるものではなかった。
ところが、これらの宿命的なアスペクトを眺めていると、ふと思い当たることが脳裡に浮かんだ。これは「神の木」ではないか、と。いわゆるこれは神秘思想カバラの「生命の樹」がモチーフとなる形ではないかと気づいたのである。
「神の指」が神の木、つまり「生命の樹」なら、これらのアスペクトから特別な意味が引き出されているとしても、何ら不思議ではないのである。
◆生命の樹の「枝葉」がサビアン占星術の世界
ユダヤ神秘思想の根幹でありまた最高の叡智が凝縮された象徴画である「生命の樹」は、神の世界と人間の世界の構造を10個の「セフィラ」とそれを繋ぐパス(枝)によって表現されている。そしてそれは、諸力の根源である神の世界を根として上部に、そして人間世界の諸事象を枝葉として下に、いわば逆さまの木として描かれているのである。
カバラの「ゾハール(光輝の書)」には、“生命の樹は上より下に伸びゆく、それはすべてを照らす太陽のような存在である”と記されているという。
サビアンシンボルにおける詩文的な象意は、太陽が入居するサインの反対側、つまり夜空にあたるサインの象意が投影されているものであることを先述の過去記事で説明したが、このプロセスを「生命の樹」を使って図像化すると、実にしっくりとこの説を表現出来るのである。
上部の根に当たる部分に太陽、そして幹が伸びた先の下に地球、そしてその背後の宇宙に伸びる枝葉がサビアン世界を表す夜空に当たる。太陽から発せられる根源的な光が、地球というフィルムを通して、夜空の天幕に実像世界を表象するサビアンシンボルとして映し出されるシステムであり、それがカバラ「生命の樹」の示す神的エネルギーの展開プロセスとよく符合している。
また生命の樹のそれぞれのセフィロトは占星術で取り扱う惑星に対応すると考えられている。
カバラ「生命の樹」とサビアン占星術という、これまで全く別の論理体系として存在していたこの2つは、この図を通してはじめて、一つの占星術論理体系の中に生きているということを理解することが出来るようになるのである。
◆おわりに◆
さて一方的に自説を飛ばしまくってしまったが、いかがだろうか。実はサビアン占星術の出自にはよく分からないところがあって、例えばサビアン占星術を大きく発展させたディーン・ルディアは神智学主義者であったことを、先頃出版された「世界史と西洋占星術」(鏡リュウジ氏監訳)で知ったところである。また「サビアン」の語源とは、イスラム化以前のシリア~イエメンで信仰されていた、古代カルデアの流れを受け継ぐ「サービア星教」に行き着くようである。松村氏などはおそらくサビアン占星術のニューエイジ的な背景を知った上で、その影響力を密かに切り離すべくサビアンシンボルの数理システム化を遂行しているように思われる。
いずれにせよ、こういった諸々の論理が一つのテーブル上に乗せることが可能であるところが、占星術の本当の奥深さなのだと思う。
◆『神の指』は『神の木』
クインデチレ・アスペクトのうち特に注目される165度のアスペクトをチャート上に描くと、以下の図の赤線で描いた線を辿ることになる。
これで思い出されるのが、クインデチレよりずっと知名度の高い「ヨッド」というアスペクトだ。150度で構成されるこのアスペクトは、「神の指」とも呼ばれ、表象される物事をある特定のテーマに限定して作用させる働きを持つ。“逃れられない宿命”と凶相に分類されることもあるが、特定の能力を発揮するための非常に強力なアスペクト見ることも可能である。
図を見るとクインデチレの165度アスペクトはヨッドより狭いエリアで成立する。そしてこのアスペクトも“容赦のない動機づけ”“強迫観念”“激変”など非常に鋭い影響力を持ったアスペクトとして取り上げられている。
これらの宿命的なアスペクトは、どうしてそのような力を持つのだろう。180度のオポジションが強力であるのは図像的にも合理的に理解出来るが、165、150度といった角度がはたして特別な意味を持つのかどうか、アスペクトの形態からはすぐにイメージが繋がるものではなかった。
ところが、これらの宿命的なアスペクトを眺めていると、ふと思い当たることが脳裡に浮かんだ。これは「神の木」ではないか、と。いわゆるこれは神秘思想カバラの「生命の樹」がモチーフとなる形ではないかと気づいたのである。
「神の指」が神の木、つまり「生命の樹」なら、これらのアスペクトから特別な意味が引き出されているとしても、何ら不思議ではないのである。
◆生命の樹の「枝葉」がサビアン占星術の世界
ユダヤ神秘思想の根幹でありまた最高の叡智が凝縮された象徴画である「生命の樹」は、神の世界と人間の世界の構造を10個の「セフィラ」とそれを繋ぐパス(枝)によって表現されている。そしてそれは、諸力の根源である神の世界を根として上部に、そして人間世界の諸事象を枝葉として下に、いわば逆さまの木として描かれているのである。
カバラの「ゾハール(光輝の書)」には、“生命の樹は上より下に伸びゆく、それはすべてを照らす太陽のような存在である”と記されているという。
サビアンシンボルにおける詩文的な象意は、太陽が入居するサインの反対側、つまり夜空にあたるサインの象意が投影されているものであることを先述の過去記事で説明したが、このプロセスを「生命の樹」を使って図像化すると、実にしっくりとこの説を表現出来るのである。
上部の根に当たる部分に太陽、そして幹が伸びた先の下に地球、そしてその背後の宇宙に伸びる枝葉がサビアン世界を表す夜空に当たる。太陽から発せられる根源的な光が、地球というフィルムを通して、夜空の天幕に実像世界を表象するサビアンシンボルとして映し出されるシステムであり、それがカバラ「生命の樹」の示す神的エネルギーの展開プロセスとよく符合している。
また生命の樹のそれぞれのセフィロトは占星術で取り扱う惑星に対応すると考えられている。
カバラ「生命の樹」とサビアン占星術という、これまで全く別の論理体系として存在していたこの2つは、この図を通してはじめて、一つの占星術論理体系の中に生きているということを理解することが出来るようになるのである。
◆おわりに◆
さて一方的に自説を飛ばしまくってしまったが、いかがだろうか。実はサビアン占星術の出自にはよく分からないところがあって、例えばサビアン占星術を大きく発展させたディーン・ルディアは神智学主義者であったことを、先頃出版された「世界史と西洋占星術」(鏡リュウジ氏監訳)で知ったところである。また「サビアン」の語源とは、イスラム化以前のシリア~イエメンで信仰されていた、古代カルデアの流れを受け継ぐ「サービア星教」に行き着くようである。松村氏などはおそらくサビアン占星術のニューエイジ的な背景を知った上で、その影響力を密かに切り離すべくサビアンシンボルの数理システム化を遂行しているように思われる。
いずれにせよ、こういった諸々の論理が一つのテーブル上に乗せることが可能であるところが、占星術の本当の奥深さなのだと思う。
(またいろいろ言ってすいません)