おだにゃら記

地元小田原市中心のゆるゆるフィールドワーク備忘録。
歴史、神社関連、あとはいろいろ。

福浦の子乃神社

2021年10月24日 23時30分00秒 | 神社

撮り鉄の聖地の子之神社 で、南関東から東海にかけて子之神社が多いと書いた。
今回は福浦の子之神社。


子之神社は醍醐院のすぐ隣にある。
醍醐院の階段を降りずにそのまま脇から行ける。そのせいで立派な参道の石段を撮り忘れてしまった。




丁寧な由緒書き。
前回書いたカツラゴ海岸の竜宮岩に金色の神霊が降臨したのを祀ったのが創建。
それ以前に真鶴半島は龍王御一家がいらしてたのだけどこの金色神霊は違う神様なのかな?

子之神社の名や由緒には諸説ある中、子宝子育てや安産の神ともされており、ここではそれを前面に出してる。


恋愛成就、子宝などにご利益のある美女石。


どちらも子供を連れている狛犬。
ここにしかない大変珍しいものだそうだ。

素晴らしい装飾彫刻。
これは司馬光の瓶割。瓶に落ちて溺れた友人を救うために高価な瓶を割ったお話。

これはわからない。なんだろ。


これはよく見かける王質の囲碁。
囲碁を打つのに夢中になってるうちに数百年経ってしまったというお話。


脇障子には三国志の張飛。


こちらはもちろん関羽さん。


摂社、淡島神社。

摂社、龍神社(龍宮御霊神社)
祭神は海住大神。この神が竜宮岩に降臨した神様なのだろう。

なお、この子之神社は道路からの参道が右に90度曲がって境内に至るのだけど、おそらく昔の参道はまっすぐ海岸から、竜宮岩から伸びていたのだと想像する。


境内はそれほど広くない。


輝く福浦の海が見える。




夏の終わりの福浦 醍醐院

2021年10月16日 23時22分00秒 | 
アップが遅くなってしまった。
夏の終わりに福浦を訪ねた。


福浦は真鶴半島の西側のつけ根に位置する集落。真鶴町ではなく湯河原町に属する。


美しい福浦港の様子。
小さいけれど落ち着ける雰囲気。




港の東側はカツラゴ海岸といい、ダイビングショップや有名な食堂がある。



柵を降りた岩場に、かつて竜宮鼻とか竜宮岩などと呼ばれた奇石があった。




なんてカッコいい風景。
関東大震災で崩れなければ現在でも観光の目玉になっていたはず。淋しい。

ここが竜宮城への入口という伝説もあるそうで、
入口が消滅してしまった今はもう竜宮城には行けないのだろうか。



海岸の山側のこの巨大な煙突はいったい何?と不思議に思ってたら
「真鶴道路(真鶴ブルーライン)の換気塔」だそうで。びっくり。
最近の車は昔ほど排気ガスが出ないので、もうこんな大きいものは必要なくてあまり稼働してないとか。



港から歩いてすぐのところに曹洞宗の寺、醍醐院。
石垣で囲まれて荘厳な雰囲気。福浦には平地はほとんどないので、境内は階段を上がった高台にある。


綺麗に手入れされた気持ちのいい庭。







よく寺社めぐりされる方ならご存知かもしれない、このハートややかんなどの変わったモチーフの石灯籠。
ずっと謎だったのだけど、善導寺型灯籠といって茶人に好まれた形で茶道具が掘られているのだと最近知った。

(いずみストーンワールド善導寺より)

そういえばハートは猪目だって昔テレビで見たのを思い出した。


写真撮れなかったので湯河原町HPから拝借。
町文化財に指定されてる宝篋印塔。大きい。


裏手の墓地へ、そして海に続く細道。



うちの猫たち

2021年10月09日 22時12分00秒 | 
いきなりですが
うちの猫たちの紹介を


るったん(本名るな) 9歳 男の子

セーラームーンに登場する猫ルナから。
娘が命名。


つきちゃん(本名つき) 8歳 女の子

月が綺麗な夜にうちにやって来たので。
るなと同じ意味でいいかなと。


むー(本名こむぎ) 7歳 男の子

るな、つき、とは全然繋がりのない名前に。
以前からこむぎって可愛い名前だなと思ってたので。


るったんはすごく小柄で毛並みがツルツル。
抱っこするとツルツル滑ってしまうほど。
つきちゃんは女の子なのに一番大きい。


るったんとつきちゃんはよく一緒にいる。



むーは大人になっても性格が子猫のまま。
遊びたがり寂しがり屋。よく私の後をくっついてまわる。


夜も私と寝ること多し。
いつの間にかいなくなってるけど。


3匹とも知人のお宅から貰い受けた子たち。

猫の首輪は私のハンドメイド。
ハギレを縫ってマジックテープで止めてるだけ。
市販の首輪は硬くて猫に負担がかかるので使用してない。

こんな感じで
時々猫たちのことを書く…かもしれない🐈🎀




10月の日向薬師を歩く

2021年10月07日 23時49分00秒 | 
夏のような暑さの続く10月初旬。
伊勢原の日向薬師を歩いてきた。


日向薬師のPに駐車して、参道から日向薬師に詣でて、浄発願寺まで歩き、日陰道を通ってPに戻る…
と、このマップの真ん中部分を歩いただけなんだけど、
最近膝の具合が良くないこともありのんびりお詣りしながら2時間以上かかった。



日向薬師参道入口に立つ門柱。



ここからが本当の参道らしい。
階段にびびったが意外と大丈夫だった。


仁王門右の阿形像


左の吽形像
あぁカッコいい…


仁王門を過ぎるとぐっと雰囲気が上がる。空気が変わったような。



マメヅタがびっしり。
私はシダの栽培をしてるのでこういう場所のシダを見るのは大好き。


これは見事なイワヒバ。
色が不思議。青緑…というか、ほぼ青に見える。



あの階段を登ると日向薬師、宝城坊本堂に到着。
参道入口に書いてある通り、普通に歩いて15分くらい。木の根が張ってたり歩きにくい箇所もあるけどなだらかな山道。膝の痛い私でもあまりつらくなかった。


日向薬師 本堂。
迫力ある茅葺き屋根。大きい。

元は日向山霊山寺といい、716年行基による開山。
時代時代の権力者達に保護され、子院12坊を持つ大寺院に発展したが明治の廃仏毀釈により衰退。現在は宝城坊とわずかな遺物宝物を残すのみとなった。

つくづく廃仏毀釈って虚しい。

このお堂は万治3年(1660)の再建。数回の大修理を経て今日に至る。








お堂の隣の宝殿では国の重要文化財に指定されてる仏像の他、様々な文化財が見られる。
こんなに多いとは知らなくて驚いた。




足利基氏ってサラッと書いてますけど、
尊氏の息子さんで初代鎌倉公方さまですよ。
すごいなぁ。





日向薬師を出て車道を歩く。
秋の里山の景色を眺めながら快適なウォーキング。でも暑い。汗だく。



浄発願寺の本堂。
野菜の無人販売などしていてアットホームな印象。
とりあえず茄子を買った(無人販売大好き)


この三重塔がいきなり眼前に現れるのはインパクト大。


本堂脇の地蔵像。
浄発願寺は放火、殺人以外の罪人を受け入れ赦す、男性の駆け込み寺だったそうだ。


帰り道は日陰道を通った


日陰道入口の神明橋




かつてはこの一帯にも霊山寺の子院が立ち並んでいたはず。
今は静かな田園が広がる。

日陰道は彼岸花が有名らしいが、シーズンはもう終わったようでものの見事に何もなかった。


それでも控えめな可愛い花達が迎えてくれた。






それにしても暑かった。景色は秋なのに気温は真夏。いつになったら涼しいウォーキングができるのか。

この暑さだし緊急事態宣言は解除されたし仕方ないのかもしれないが、すれ違う高齢ハイカーグループにノーマスクが多いのがちょっと気になった。


三島神社の謎 いきなり解決

2021年10月01日 23時05分00秒 | 神社
小田原成田あたりから大井町、開成町にかけて三島神社が多いのはなぜだろう、ということを
で書いたんだけど、
大井町の三嶋神社のウェブサイトに明快な答えが載っていた。
源頼朝が勧請したからだって。

そのうちわかればいいな と思ってたんだけど早かった。あっさり解答編。
しかも公式サイトで至極簡単に、そして源頼朝という面白くもなんともない結果。

成田の三島神社の河野家先祖が普及に関係してるのかも、なんて密かに想像していたのに、河野家が信奉してるのはあくまでも成田だけみたい。
勝手な妄想を抱きながらこの間成田の三島神社を参拝し、総裁選で忙しかったであろう神様のお邪魔をしてしまい大変申し訳なかった。


三嶋神社ウェブからイラストお借りした。
大井の三嶋神社と仲間達。わかりやすくて綺麗なイラストだ。

そして気づいた。
私、三島神社は全部で6社と書いたけど実は
7社だったんだ。多分金手あたりを数えていなかった。なんて杜撰。
でも本当は大井の三嶋神社を中心に7社だったそうで全部で8社ということになる。

あ、ちょっと待って、開成町の吉田神社は?
あそこは元は三島社で、明治になって合祀されて吉田神社に改名されたって、境内の由緒にもハッキリ書いてあるのに、なぜこの図に加えてないのかしら? と新たな疑問。仲間じゃないの?



改めて大井町の三嶋神社へ。
頼朝が勧請した8社の三島神の最初にして中心地。古くは大井宮といったらしい。
なお、三島ではなく三嶋と書く。


ニの鳥居で北に直角に曲がるけどこれは近代の道路事情のせいで、
本来ならこの方向が参道だったのだろう。
この先の住宅地に参道の面影が窺える。







篆書体(てんしょたい)の扁額って珍しいかも。この書体だけで異国ムード。


拝殿横の稲荷社を新築中だった。




本地仏、薬師如来像が安置されているお堂。
隣はかながわの名木100選に選ばれている樹齢300年のムクノキ。

薬師如来像は神奈川県の重要文化財。
新編相模国風土記には運慶作!とあるけど違ったようだ。
毎月12日に開帳されるので是非拝見したい。


摂社厳島神社。
昔は池で囲まれていたらしい。


今も堀のように跡が残ってるので、またお水引いたら素敵だと思う。


参道横の社叢
木々の下にひっそりと咲く彼岸花。

勝手に妄想していた三島神社の謎は一応解決したが、
別資料の縁起によると頼朝がこの地に三嶋神を勧請したのは山木判官夜襲と同年の治承4年だそうだ。
ここに三島神社を8社建ててから霊夢を見て山木を襲う決心をしたという。
ということは、旗揚げの前にここまで来てたの?流人なのに自由過ぎる頼朝。
てっきり鎌倉入りの後で落ち着いてから打倒平家のために勧請したと思ってた。


やっぱりもやもやと謎は尽きない三島神社たち。
またその内なにかわかるといいな。