おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


吊り橋怖くない 鮎壺の滝

2023年09月28日 20時36分00秒 | お出かけ
前回の記事では書ききれなかったのですが
割狐塚稲荷神社に参拝した時に近くの鮎壺の滝にも寄りました。


割狐塚稲荷から鮎壺の滝までは500メートルほど、
長泉町に行ったら両方の溶岩の様子を見学するのがおすすめです。



現在鮎壺広場と駐車場が工事中で、
県道87号線沿いの小さい駐車場を利用しなくてはならないのですが、
かなりわかりにくいです。



駐車場の前に案内が。
ここから道を下ります。



途中の石造物たち。
右のちょっと変わった道祖神は元文六年のもの。 


徳川家康の重臣、天野康景が完成させたという本宿用水は鮎壺の滝から取水されてるそうです。

天野康景は興国寺城主でしたが
いろいろあって出奔…(いつか触れたい)
南足柄市沼田の西念寺に蟄居しそのまま亡くなりました。

そのため西念寺近辺から小田原市内には天野姓が多いです。



工事中の鮎壺広場。
年内には完成するそうなので、
私はちょっとタイミング悪かったみたいです。



工事中の広場を過ぎるといきなり鮎壺の滝の上流部分が見えてきます。





こんなふうに広い範囲で滝が観察できると知らなかったのでワクワク。



本宿用水の取水口ですね



滝壺のちょうど上です。
迫力あります。





滝が見えてきました




私は昨年、この上流にある五竜の滝 (裾野市)で
二度と吊り橋は渡らないと誓いを立てたのですが、

この吊り橋は全然怖くないんです!
すごく頑丈に出来てて全く揺れないの。嬉しいなぁ。








吊り橋から見た滝。

五竜の滝ほどの豪快さはありませんが
これはこれで優雅で美しいです。

吊り橋が怖くないので止まってずっと眺めていられます。


鮎壺という名の由来は
ここで鮎が止められて滝壺に群れていたことからだそうです。

取り放題ってやつでしょうか。






元々この地に堆積してた愛鷹ローム層の上に溶岩が流れてきて
その後柔らかい愛鷹ローム層だけが侵食されたためオーバーハングしてこのような滝が形成されました。

溶岩は固いから侵食されないのですね。


滝壺の侵食部分では溶岩樹型が観察できて
最近NHKの番組で紹介されてました。
(番組名は忘れました)
でも一般の方の滝壺への立ち入りはできませんのでご注意を。


五竜の滝でもすぐ近くに住宅があって驚いたのですが
鮎壺の滝では川すれすれに大きなマンションも建ってて
滝の轟音がうるさくないのかな?と不思議に思いました。



溶岩塚に建つ 割狐塚稲荷神社 

2023年09月20日 15時03分00秒 | 神社
長泉町に溶岩塚の上に建つ神社があります。

割狐塚稲荷神社
わりこづか と読みます。


木々で覆われたこの小山が溶岩塚。
この中に社があります。



およそ1万年前、富士山の噴火による溶岩が黄瀬川沿いに40キロメートルも流れ三島に達しました。
その溶岩は三島溶岩と呼ばれ、独特の地形を形成し富士山からの様々な恩恵を与えてくれる結果となってます。

溶岩塚とは溶岩の表面が冷えて固まる時、まだ熱い内部が噴き出て膨らんで割れてカルメ焼き状態で小さな丘になったもの。
以前は三島近辺にたくさんありましたが残ってるものは少ないそうです。



こんな感じで溶岩塚に神社を建てたわけです。


溶岩のある神社は見たことあるけど
(最近だと御殿場市保土沢の浅間神社)
まるごと溶岩の上にある神社というのは初めて。全国でも稀有だと思います。









溶岩塚の割れ目が参道になってて、全部で3ヶ所だったかな、こうして鳥居がずらっと並んでます。

溶岩と鳥居のコントラストが美しいです。



階段も溶岩


神社の名前の由来である「割狐塚」
老狐が割れ目に棲みついていたとの伝説。

今は神社の周りは普通の市街地ですが、昔は溶岩だらけの何もない寂しい場所だったのでしょう。







どこかのテーマパークにありそうな岩山を歩いてるよう。楽しい。
でもこれは本物の溶岩。






可愛らしい狛犬。
親戚のおばさんが飼っていたテリアにそっくり。







社殿の前に立つと自動で扉が開いて音楽まで流れるんです。

びっくりして変な声出ちゃった。



創立年代は不詳、寛永元年(1624)にこの溶岩塚の上に遷座した、
ということですね。
私も少し調べたのですが、一説の出所が不明でこれ以上のことは今はわかりません。
何かわかったら追記したいです。

なぜわざわざ溶岩塚の上に社を建てたのか、富士山の溶岩を神聖視するなら浅間神も祀るべきでは?
珍しい立地ゆえに素朴な疑問が湧いてきます。



夏の終わりにはこんなイベントが開かれてるそうで、
近隣でとても親しまれてる感が伝わってきます。

私が参拝してる間も
5〜6人の男の子たちが隣の公園と溶岩塚を
それはそれは縦横無尽に走り回ってて実に賑やか。

写真撮ってると
「あ、ごめんなさい!」って止まってくれて可愛いの。
こちらこそ邪魔しちゃってごめんなさい。

こんな微笑ましい情景、神様も喜んでいらっしゃることでしょう。




縄状溶岩の様子


石垣ももちろん溶岩



道路を挟んですぐ向かいにある長霊神社


戦没者を慰霊する神社です


こちらの境内にも溶岩があって
溶岩の上に忠魂碑が建てられてます。


日清、日露戦争後に全国に配られた砲弾が綺麗に残されてます。
砲弾マニアさん知ってるかな?



石灯籠に覆いがされてますが何かあったのでしょうか?
倒れやすいのかな?


割狐塚稲荷神社と長霊神社のおかげで市街地にも関わらず貴重な溶岩塚が見れるのはありがたいことですね。





白露を体感 箱根やすらぎの森

2023年09月12日 15時15分00秒 | お出かけ
昨年7月に膝のリハビリハイキングで訪れた
箱根やすらぎの森。

9月も3週目に入り箱根はもう歩きやすい気温になったのでは?
と出かけてみました。



前回はふれあい館からすぐ西の道を芦ノ湖白浜に降りただけなので、
今回はまだ行ったことのない園内をぐるっと歩いてみました。



おむすび広場

残念ながらおむすびは持参しておらず。







人は少なく気持ちいい園内なのですが

暑い!
ものすごく暑い🥵 

この時気温は28℃。
気温より蒸し蒸しが凄いんです。

先週末の台風の影響もあるのか、
ちょうど今は二十四節気の白露。
足元のあらゆるところの草々に露が光っててキラキラうっとり。

でも蒸し暑い。
地面からムワッと熱気が来る感じ。これが白露なのか?白露体感ってやつなのか?
髪の中とか背中に変な汗びっしょり。
伊勢物語のように優雅にしらたまなんぞと言っていられない。








木橋や石畳は滑るんです。
慎重に歩きました。



ゆっくり歩いて30分ほどで白浜手前の川に到着。
やすらぎの森から一気に湖畔まで降りるので階段が多くて大変です。滑るし。暑いし。帽子までびっちょり。


ああでも
このあたりは相変わらず夢のように素敵。



白浜に降ります。

あれ?
なんか水近くない??



なんと
浜がないっ

本来ならこの先は浜が広がってるのですが…

わずかな浜に釣り客が1名。

台風で水位上がってしまったのね。
こんな時もあるんだなぁ。


膝は去年に比べると格段に良くなりました。
でもまだカクンカクンするので上りより下りが怖い。

帰り道はやすらぎの森駐車場までまた一気に階段を上ります。
キツいにはキツいけど膝痛めてからは圧倒的に上りの方が好きになりました。



御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その8 印野

2023年09月02日 05時55分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
残暑キツ過ぎるので御殿場以外出かける気になれなかった8月。
御殿場は意外に箱根より涼しい日が多く、浅間神社企画やって良かった…と今年の夏は何度も思いました。

今回は印野の浅間神社。
川柳より少し西にあり標高は641m。
御殿場市内では富士山に最も近い浅間神社となります。



県道157号線から案内板に従って坂道を登ると


舗装道路が途切れる手前に印野浅間神社が現れます。



この空気感ったらもう。
またひとつ素晴らしい神社に巡り会えちゃった喜び。


浅間神社企画やって良かった。



鳥居横の崩れた石碑。
大正三四年戦役記念。

はて?大正三四年とは?
調べましたら1914年(大正3)に勃発した日独戦争、つまり第一次世界大戦のこと。

日独戦争は1918年(大正7)第一次世界大戦終結と共に日本の勝利で終わってます。
これをなぜ大正三四年戦役というのかはわかりません。

大正34年は昭和20年に対応しますので、第二次世界大戦のことかな?と思ったのですが違うようです。








立派な社殿。
こんな立派な社殿は久しぶり。



背後の林に溶け込んで絵画のよう。



御殿場でおなじみの勝間田姓。
勝俣、勝田、勝又などとも書き、箱根や小田原にも多い姓です。

でも元の勝間田の字は圧倒的にここ印野に集中しています。
昔から変わらずこの地に暮らしてる方が多いのですね。

印野が伊野八郎(勝間田修理之亮)由来とは知らなかったです。
なぜ伊野さん?

勝間田氏を討った今川義忠については
ゆうきまさみ氏の「新九郎、奔る!」でやらかし当主として描かれていて、まぁその通りなんですが 笑
亡くなった後に苦労する周囲の人たちがほんとに気の毒です。



社殿横にはかつて印野の二本杉と呼ばれていた御神木があったそうです。
昭和40年に枯れてしまい記念碑が建てられました。

この二本杉も川柳の扶桑樹みたいにくっついていたのかも。




この日も下界は33℃を超える酷暑でしたが、印野浅間神社は26℃でした。


ああ、ここに住みたい。