おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その14 なぜか深沢に導かれる

2024年05月24日 13時45分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
御殿場の浅間神社も14件め。
いよいよ残り少なくなってきました。




今回は深沢の浅間神社に向かったのですが
ちょっと…おかしな事象発生。

Googleマップには確かに神社は載ってるのですが、現地周囲どこを探しても神社に至る道が見つからない。
つまり神社に辿り着けない。

もしかしたらとYahoo!マップを開けると、
ありました!神社までの細い道。
どうもGoogleマップは細い路地なんかに弱いですよね。(ちなみにマピオンにも出てました)


Yahoo!マップが示す神社への参道?入口はここ。
案内板などないし、畑に繋がる私有地の道っぽくて不安。



でもいい雰囲気ではある



なんか先が開けてきた


競技場らしき広場の隣を通ります



突如田んぼ!美しい!
この時は田植え前でした



富士山も美しい!



おおぉ
鳥居が





なんとか浅間神社に到着できました


…ってあれ?



林の中に可愛い石祠が一つあるだけ


わたしは静岡神社庁に記載されている御殿場市内の浅間神社をまわっています。
調べたところ全部で16、リスト化して地図も作成してます。

でもこの深沢の浅間神社はどう見ても神社庁に載るほどの規模ではないんです。

その場で急遽確認したら
やはり神社庁には登録されていませんでした。


そういえば、最初に御殿場の浅間神社を書き出した時は15だったんです。

それがいつの間にか
地図作成の頃かな、神社庁には掲載されてないこの小さな浅間神社がリストに入り込んで16になってしまったみたいです。



自分がどこをどう調べてこの浅間神社をリストに加えたのか謎。

でもこれもきっと神様のお導きなのでしょう。
面白い参道(?)や素敵な景色を見せていただけて嬉しかったです。


以前にも神社庁に記載されてない浅間神社に偶然出会ったこともありますし、

まぁ、こういうのは全部お導きでOK!

御殿場の浅間神社ぜんぶまわる 番外編 - おだにゃら記

今回は番外編です。川柳の浅間神社に行った帰り、県道155沿いでこんな神社を見つけました。静かな県道155え?あれは?浅間神社じゃん!神社本庁に所属していない小規模な浅...

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深沢には明治に近隣の七社を合祀した七社神社という鎮守があります。

その中に浅間神も入ってますが、こちらの小さな浅間神社はおそらく個人宅の氏神だったと思われます。
由緒はもちろんわかりませんが、木々に守られた清浄な空気のもとで大切に祀られていることが窺えます。





後でわかったのですが、隣にある御殿場市東運動場(野球場)に駐車できれば浅間神社に難なく行けるんです。
この日は野球場も駐車場もクローズしてたので気づきませんでした。

さすが御殿場市、なかなか立派な野球場です。



駐車場の一角に古い建物が

赤い三角屋根がレトロで可愛らしい

昭和の公民館ってこんな感じだったような。





玄関先に説明板がありました。


大正、昭和期のキリスト教伝道師、賀川豊彦が全国に農民福音学校を建設。
キリスト教精神に基づいた地域農民対象の学校。

御殿場でも有志が賀川の援助のもと1931年(昭和6)に高根村に高根学園を創設。
その時の校舎がこの建物です。
1966年(昭和41)に東運動場敷地内に移築。
現在は賀川記念館として保存されていて、当時の農民福音学校の校舎が現存しているのは全国でここだけだそうです。



賀川豊彦のことも農民福音学校のことも全く知らなかったので
帰宅して調べて驚くことばかり。
もっと知りたくなってしまいました。
賀川さんってスゴい!


これもきっと
深沢の浅間の神様のお導きなのでしょうね。



御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その13 大坂の湯立神楽

2024年05月01日 00時30分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
前回の神山のお隣、大坂の浅間神社です。


駿河志料によると
「大坂村は小村なので産土神である神明社の他に小祠も寺院もない」

なんだかひどい言われ様 笑


現在、この神明社は見当たらないし古地図でここ以外に神社はないので、名称が浅間神社に変わったのだと思われます。

神明社であれば天照大御神がいらっしゃるはずですが、
例によって静岡県の神社の祭神はわかりにくいですので、
合祀なのか末社があるのか等はまったくわかりません。



大坂浅間神社は県道155号線沿いにあります。



県道と高低差があるので運転注意です。
写真手前に数台とめれる駐車スペースあり。



畑の中に伸びる参道













大坂浅間神社では湯立神楽が行われており、沼田子之神社の湯立神楽とともに令和4年に国の無形民俗文化財に指定されています。

沼田と違って境内に由緒も湯立神楽のことも何も掲示されてないのでもったいなく感じます。


こちらのサイトから写真をお借りしました。






御殿場のお盆は7月23〜26日と時期が独特で「御厨盆」と呼ばれています。

大坂の湯立神楽は御厨盆明けの最初の土曜日に催されます。
今年だと7月27日ですね。


湯立神楽の詳しい説明はこちらで

しずおか文化財ナビ 沼田・大坂の湯立神楽(大坂の湯立神楽)|静岡県公式ホームページ

静岡県公式ホームページ

静岡県公式ホームページ

 








カタカタ音がする

と見回したらペットボトルの風車がありました。

かわいい。




御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その12 神山 三社宮の謎

2024年04月09日 20時28分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
細々と続けてますマイ企画。

今回は神山の浅間神社。

神山は御殿場市の最南端、有名なホテル「時の栖」がある地区。
最寄り駅は裾野市の岩波駅になります。




ロマンチック街道を通り神山へ。


神山は御殿場中心地より標高が200mほど低いので高原の雰囲気はあまりありません。

普通の田園地帯が続いており見通しがよく、浅間神社もすぐ見つかりました。

絶対に迷いそうにないところです。





真新しい鳥居と玉垣は平成19年の竣工。

鳥居の位置が独特。
古地図を確認すると参道が県道394号方面へ伸びていたのではないかと。
となるとかつての鳥居は数十メートル先にあったのではと想像できます。



社殿の建物も変わってます。

扉下方につまみのついた引き戸があって
その中に賽銭箱がありました。

ギギギッと開けるのちょっと緊張。





石灯籠には三社宮と彫られています。

駿河記ではこの神社は「浅間辨天山神三社」と記載されており、
昔は浅間神と弁天と山神が合祀されていたのか別々にあったのかは不明ですが
名称はまとめて「三社宮」だったようです。



文政四年(1821)の頃は三社宮。

神仏分離で仏教色の強い弁天が外されて名称が浅間神社に変更されたのかな。

山神様はどうなったんだろう?
そのまま合祀されたのかな。
摂社等の社も見当たりません。


静岡県神社庁は祭神を記載しないし、
御殿場市は郷土史の資料が少ないので調べても調べても…わかりません。




境内も最近かなりの改変があったのか、石灯籠と社殿と手水石以外は何もありません。

求む狛犬的奉納品〜

玉垣は道路沿いだけであとはなんとなくの石積み程度。

風通しよいです。





社叢も少なめ。
まだ若い榊があちこちに。



雲がかかってますが富士山が見えます。


まあ
モヤモヤは残りますが、シンプルで開放的な境内は寂しいどころか清々しく心地よく
居心地のよい神社ではありました。


御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その11 東田中 和田義盛と孝行息子

2024年02月08日 23時13分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
愛猫るなが10日間の家出から無事帰宅して2週間。
世の中には重いニュースが続いておりますが、
我が家はすっかり日常に戻りニャン達と穏やかな2月を過ごしております。



さて
御殿場の浅間神社。11番目は東田中です。





東田中の浅間神社は平成後期に開通した新橋深沢線沿いにあります。

周辺の田畑が分譲地等に開発され
自然が減ってしまったのでガランとした御殿場らしくない風景。


そんな変わりつつある御殿場の風景の中に残された浅間神社。


なんだか「ちいさいおうち」っぽい佇まい。






社殿が新しく社叢と呼べる木々がほとんど伐採されてるので明るく開放的な雰囲気。

そのためか神社自体の歴史が浅いと勘違いされることもあるようです。



(昭和18年 五万分の一地形図)

この付近は源頼朝の富士の巻狩りで和田義盛が陣を張った場所で、和田という地名が残っています。
(東田中という文字で見えませんが浅間神社は緑色の位置)

巻狩り開催地周辺には和田義盛の伝説が多いです。
裾野市には和田一族が落ち延びた下和田という地名もあります。
鎌倉時代の豪傑として頼朝に次ぐ人気者だったのでしょうね。





現在の浅間神社のある場所はかつては和田の森と呼ばれていました。
義盛が箸代わりに使った楓の枝を地面に挿したところ根付いて森になったそうです。すごい。
広報ごてんば 御殿場に伝わる富士の巻狩より)

どんな森だったのか、今では想像の余地もありませんが
人気者の和田義盛の名が残るくらいなので
地域の人々から大事にされていたでしょうし、神聖視もされていたかもしれません。



境内の幣饌料供進社の碑には田中神社とあります。
大正8年当時はここの名称は田中神社でした。

田中村はかつて御殿場に存在した大きな村で、正保元年(1647)小田原藩による検知で西田中村、東田中村に分かれたそうです。

田中神社が田中村の鎮守だとすると1647年以前から存在していたことになります。

和田義盛所縁の森になんらかの社ができ
その後田中村の鎮守となり
大正以降に浅間神社と名称が変わった。

という認識に落ち着いてきます。



道祖神



他にもいくつか石碑が



面白いのがこれ
「孝子佐五右衛門の碑」


寛政年間に東田中村住みの佐五右衛門という人が孝行息子として小田原藩に表彰され、
のちに大正天皇御成婚の際に顕彰碑が建てられました。

石碑の文字は読みづらいですが
勝間田二郎氏の「続 御殿場・小山の伝説」に詳しい孝行話が掲載されています。

当時の藩では時折こうして農民を表彰して励ましていた、
というか
貧しくても頑張れ!とやる気を出させていたようです。


鳥居前から見た富士山



素敵な写真お借りしてきました。
実は東田中浅間神社の鳥居越しにこんな素晴らしいダイアモンド富士が撮れるんですって。
知らなかったー



御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その10 古墳のある二枚橋

2023年12月29日 22時43分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
今回は二枚橋の浅間神社です。


足柄峠から伸びる県道78号線沿い。
すぐ南に新橋浅間神社や御殿場駅がある比較的賑やかな鎮座地です。







鳥居の先はまっすぐな参道。
騒がしい通りから一瞬にして静かな神域へ。






社殿裏手からの富士山



社殿の横に階段状に段差がありまして


何だろうと登ってみたら


古墳でした。前方後円墳。

ほとんど下調べしてなかったので(いつもそう)古墳があるなんて全く知りませんでした。
この石碑以外説明がないので詳しいことはわからず。





言われてみれば前方後円墳に見えてきます



古墳の向こうは小学校。
神社、古墳、小学校 と続いているんですね。



帰宅して調べたところ
二枚橋古墳という名称が一般的で全長38メートルほど。

未調査のまま石垣で階段が作られ改変激しく、本当に古墳かどうかも微妙だそうです。


調べて欲しいような欲しくないような。



帰り際に褪せた由緒板があることに気づきました。

特に興味惹かれる記述はないのですが、
大正年代に神饌幣帛料供進神社に指定されたとの一文。

この神饌幣帛料供進神社というのは今までも神社めぐりしてて何度も何度も見聞きしていながらも
なんか…面倒… 漢字難しい長い…
とずっとスルー。

でもこのたび
古墳以外あまり特徴のない二枚橋浅間神社で見かけたのを機に
意を決して調べてみようではないかと!

そしたらね


ここのサイトが大変わかりやすかったです。
ありがとうございます。勉強になりました。


要するに
明治時代の近代社格制度の下位である郷社、村社の中から
ある程度のレベルにある神社に公費を支援するというもの。

全国で2万社ほどが指定されており、制度は戦後に廃止されるまで続いた。

だから地域の小さめ神社でも神職が常在してるレベルならだいたい神饌幣帛料供進神社に指定されていたようです。

神社にとっても地域住民にとっても有難く名誉な指定だったことでしょう。

戦後いきなり廃止されて困惑したんじゃないかな。




調べてみるとそれほど面倒な事柄ではなかったので 笑
年の瀬に
ひとつ知識が増えてよかったと喜んでる次第でございます。



わかる人はわかる
ポーの一族っぽい2匹