おだにゃら記

地元小田原市中心のゆるゆるフィールドワーク備忘録。
歴史、神社関連、あとはいろいろ。

三島神社の謎 いきなり解決

2021年10月01日 23時05分00秒 | 神社
小田原成田あたりから大井町、開成町にかけて三島神社が多いのはなぜだろう、ということを
で書いたんだけど、
大井町の三嶋神社のウェブサイトに明快な答えが載っていた。
源頼朝が勧請したからだって。

そのうちわかればいいな と思ってたんだけど早かった。あっさり解答編。
しかも公式サイトで至極簡単に、そして源頼朝という面白くもなんともない結果。

成田の三島神社の河野家先祖が普及に関係してるのかも、なんて密かに想像していたのに、河野家が信奉してるのはあくまでも成田だけみたい。
勝手な妄想を抱きながらこの間成田の三島神社を参拝し、総裁選で忙しかったであろう神様のお邪魔をしてしまい大変申し訳なかった。


三嶋神社ウェブからイラストお借りした。
大井の三嶋神社と仲間達。わかりやすくて綺麗なイラストだ。

そして気づいた。
私、三島神社は全部で6社と書いたけど実は
7社だったんだ。多分金手あたりを数えていなかった。なんて杜撰。
でも本当は大井の三嶋神社を中心に7社だったそうで全部で8社ということになる。

あ、ちょっと待って、開成町の吉田神社は?
あそこは元は三島社で、明治になって合祀されて吉田神社に改名されたって、境内の由緒にもハッキリ書いてあるのに、なぜこの図に加えてないのかしら? と新たな疑問。仲間じゃないの?



改めて大井町の三嶋神社へ。
頼朝が勧請した8社の三島神の最初にして中心地。古くは大井宮といったらしい。
なお、三島ではなく三嶋と書く。


ニの鳥居で北に直角に曲がるけどこれは近代の道路事情のせいで、
本来ならこの方向が参道だったのだろう。
この先の住宅地に参道の面影が窺える。







篆書体(てんしょたい)の扁額って珍しいかも。この書体だけで異国ムード。


拝殿横の稲荷社を新築中だった。




本地仏、薬師如来像が安置されているお堂。
隣はかながわの名木100選に選ばれている樹齢300年のムクノキ。

薬師如来像は神奈川県の重要文化財。
新編相模国風土記には運慶作!とあるけど違ったようだ。
毎月12日に開帳されるので是非拝見したい。


摂社厳島神社。
昔は池で囲まれていたらしい。


今も堀のように跡が残ってるので、またお水引いたら素敵だと思う。


参道横の社叢
木々の下にひっそりと咲く彼岸花。

勝手に妄想していた三島神社の謎は一応解決したが、
別資料の縁起によると頼朝がこの地に三嶋神を勧請したのは山木判官夜襲と同年の治承4年だそうだ。
ここに三島神社を8社建ててから霊夢を見て山木を襲う決心をしたという。
ということは、旗揚げの前にここまで来てたの?流人なのに自由過ぎる頼朝。
てっきり鎌倉入りの後で落ち着いてから打倒平家のために勧請したと思ってた。


やっぱりもやもやと謎は尽きない三島神社たち。
またその内なにかわかるといいな。