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おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


泉蔵寺のちゅーりっぷ

2025年04月07日 15時59分00秒 | 
秦野市千村、頭高山の麓にある泉蔵寺。
チューリップが有名と聞いていて
今年はなんとかして見たいと昨日の日曜日
雨が上がった午後に行ってきました🌷



千村地区の奥まった場所。
普段は地元の方とハイキングや登山客くらいしか通らなそうな静かな寺です。

この時も雨上がりでもう夕方前だったせいか、
散歩中と思われる方たち数名しかいませんでした。



境内の裏手の駐車場
早くもチューリップがお出迎えしてくれます



こども園のみなさんが植えてくれたのね



とくと見ていきなされ


羅漢さまとチューリップ

そちらはピンク色ですな


まだ駐車場なのにこの眺め



駐車場から坂を登ると墓地とチューリップが見えてきます












こんなに大量のチューリップを見たのは初めてかもしれません。

脳内にずっと流れる
♪咲いたぁ咲いたぁちゅーりっぷの花がぁ

先週の日曜日に「ちゅーりっぷまつり」があったそうですが
まだまだ咲いてない列もあるので
来週あたりまでは楽しめそうですね。





目に鮮やか過ぎてクラクラします












こういった通路にもびっしりと


ムスカリとの共演




みんなが喜ぶドラえもんとキティちゃん


本堂




本堂前にもこのように










歴代和尚の無縫塔前

初代の没年は大永年間。
北条氏綱が北条姓を名乗り、小田原の基盤固めに奮闘していた頃。







秦野市の文化財に指定されている十王像(閻魔大王含む10人の王)は
かつてはこの近くの東泉寺にあり廃寺に伴いこちらに移動されました。

この日は見れなかったのでネットで確認したら
丸っこい可愛らしい十王さまたちでした。






帰り際、川沿いの遊歩道にこんなお知らせがあったので帰宅後にダーウィン視聴。
短い時間ですがナゲナワグモ見れました。



ほんとにチューリップ素敵でした。

千村もっと散策したいです。




大蔵院 北条氏を支えた山伏たち

2025年03月25日 21時25分00秒 | 
松田町に大蔵院という修験道の寺があります。


松田城のとこで引用したマップにも登場するように松田城や松田氏と関連の深い寺です。

大蔵院の近くで鎌倉時代の五輪塔群と町の文化財に指定された壷が発見されており、
五輪塔群は境内に置かれているというので是非見たいと思っていました。

でも、Googleマップに「本山修験宗 大蔵院」と名称が出てるのに
ストリートビューでも航空写真でも寺らしきものが見えなくて、
何度か現地を通っても寺の位置がわからなかったんです。


そしましたら先日、
と言っても数週間前、まだ梅の残るある午後、

少し離れた道沿いでこんな案内板を、見つけました。

案内通りに進むと


ありました!大蔵院

説明板もありました!

壺は五輪塔の下から発見され、現在は神奈川県立歴史博物館に展示されています。
参考画像
鎌倉時代前期〜後期のもの


でもどうも寺らしくないのです。
小さな墓地はあるけど本堂がない。

そして
あちこちにこのような可愛いオブジェ。
奥には作業小屋のような建物、そしてログハウスが。

うーん
ここは本当に寺院なのか?


と悩んでましたら、
ちょうどご住職が帰っていらしてお話を聞くことができたんです。






なんと
このログハウスが本堂でした。
奥のプラネタリウムみたいな丸い屋根がお住まいだそうです。
これは航空写真で見てもわからないはず。

昔、本堂建て替えの見積もりが1億以上だったそうで
それならとログハウス風にしてしまったんですって。

面白い。



ログハウス、いや本堂の前に
ずっと見たかった五輪塔群が。感激です。

太平洋戦争中にここから少し西の土地で見つかったそうです。
その辺りが昔の墓地だったのですね。



本堂に入らせていただきました。


中央にご本尊の不動明王がいらっしゃいます。
山伏の衣装や法螺貝など、住職が趣味で作られている陶芸品も置かれており
寺の本堂というよりは山に籠る修行僧のお堂のような、住職の私室に案内されたようなアットホーム感。

修験道の寺はあまり知りませんが、どこもこんなに面白いのかな?
なんて考えてたら
自分が通った保育園は修験道の寺、秋葉山量覚院(現在のクレヨンの森保育園)だった!ことを思い出しました。

確かにあそこもちょっと変わった寺です。園長先生は山伏だし。火渡りするし。



大蔵院は京都の聖護院を本山とする本山修験宗の寺院。
北条氏綱が小田原に入ってまもなくの頃、
大永7年(1527)に開かれました。
当初は松田山の最明寺跡近くの安養寺屋敷という場所にあったそうです。
ずいぶん山奥です。最初の名称は安養寺だったのかな。

明治の神仏分離までは寒田神社の別当寺。
当時の地域の山伏を統括していたのは小田原松原神社の別当寺、玉瀧坊で、大蔵院もその配下にありました。

山伏は国内を移動し修行するので、領主のために情報収集、使者、時には間者のような仕事を担ってました。


イメージ「おんな城主直虎」の謎の山伏、懐かしの松下常慶さん。


小田原の玉瀧坊、松田の大蔵院も北条氏のために謎の山伏として働いていたと思われます。
特にここは松田氏の本貫地ですから
松田氏のための仕事も多かったはずです。

現在は檀家8軒ほどの小規模となった大蔵院ですが、戦国時代は北条氏の下で、江戸時代は寒田神社の別当寺として重要な地位にあったのでしょう。


離れにあるご住職の趣味の作業所。
この建物は100年くらい前のものだそうです。

境内や本堂に飾られてる数々のライトや陶芸品はここで作られていました。
立派な窯が幾つかあり、もしかしたらこれが本業では?と思うほど。


ご住職は大蔵院の19代目院主。
僧侶には見えないお洒落な雰囲気で、優しくて話しやすい方でした。

大蔵院のことや修験道のことなどいろいろお聞きできてとても勉強になりました。
どうもありがとうございました。



✳︎参考文献
大蔵院と修験道について


桜観音の十一面観音像と新東名工事

2025年02月27日 20時20分00秒 | 
松田城関連です

松田城絵図の西に描かれている観音堂

元々は長谷山観音寺といい、奈良の長谷寺を総本山とする長谷観音信仰の寺でした。
鎌倉の長谷寺など全国には長谷寺がたくさんあります。
ご本尊はだいたい十一面観世音です。



観音堂は現在は桜観音という名称で親しまれています。
昭和初期に地元青年会が参道のR246沿いに桜を植えたことが評判になったとか。

1960年代にR246が拡張されて桜の木は減ってしまいましたが、咲くと赤いお堂との対比が可愛らしいらしく、
やはり桜の季節に来たいものです。





昔は地元の婦人たちがこのお堂に集まり観音講を行い
時代の流れで念仏講に変化し、やがてメンバーの高齢化により消滅してしまいました。



十一面観音菩薩立像は松田町の重要文化財。
4月第1土曜の例祭日だけ開帳されます。



2023年神奈川県立歴史博物館の特別展
「足柄の仏像」より

博物館の説明によると平安時代ではなく室町時代のもの。
行基作では時代が合わず(行基は奈良時代に亡くなってますので)
奈良や鎌倉の長谷寺の十一面観音像と同木というのも信仰の広がりの中で生まれた話だろうと。

奈良長谷寺や鎌倉長谷寺と同じ木から、という伝承は他の長谷寺でも見られ、行基の名も非常に多く出てきます。
木が海から流れてきたとか十一面観音像そのものが流れ着いたとかの話も多く
長谷寺のテンプレートみたいになってます。

海から、の説は仏教だけでなく神道にもよく見られ
日本人の好みなのでしょうねドンブラコ。



お堂まわりの石造物




左は堅牢地神、右は木食観正の碑

木食観正は文政年間に小田原に滞在していた遊行僧です。
木食とは穀物を断ち木の実や草だけを食べる修行のこと。この行を修めた人は木食〇〇などと称されることが多いです。

木食観正は小田原中心に近隣広くで崇拝されていましたが、
江戸大火での加持祈祷の科により捕縛され1829年に獄中で亡くなっています。
悲しいですね…





観音堂の脇から宝寿院の墓地に登れます。
高台から眺める赤色鮮やかな方形屋根。

昔は茅葺きで昭和30年にトタン葺きに改修されました。
お堂自体がその時建て直しされたのかどうかは不明。
昨年修繕工事がされたばかりなので屋根ピカピカですね。



現在観音堂の管理をしているのは隣の宝寿院。

新編相模国風土記稿には
「寶壽院 深澤山観音寺と號す」

あれ?
宝寿院の元の名称は観音寺なんですか?
観音堂の観音寺とは違うのですか?


調べてると
いまは観音堂を管理してるのは宝寿院です!
と、昔は関係なかった的空気を感じるのですけど。



モダンで清潔な雰囲気の本堂




ひっそりと咲く白梅がかわいらしい






帰りに山北町向原の新東名工事を見学。
ちょうど高松山登山口のところ。

ここも凄まじい光景。
早く完成するといいんだけど。


YouTubeで高松山登山の動画を見ると登山道が変更されてたり間近から工事を眺められたりと面白いです。
(登山しないのに登山の動画を見るのは好き)


✳︎参考文献✳︎
「特別展図録足柄の仏像」神奈川県立歴史博物館
「町指定文化財とその周辺」松田町
「松田城の魅力に迫る」桐生海正


甲斐善光寺と武田神社と天下一品

2024年12月26日 21時30分00秒 | 
今年も残りわずか。
いつの頃からでしょうか。年の瀬も始めも無感動に過ごすようになったのは。


昨日、たまたま甲府に行きました。
たまたまと言ってしまうには遠距離ですが。




甲斐善光寺

信州の善光寺は30年くらい前に行ったことあるのですがこちらは初めてです。




甲州の丸石道祖神
見れるかなと期待してたらいきなり。





透明度高めの池
この季節はさすがに緑がさみしいですね






おるね


本堂の中には猫ベッドもありました
善光寺の愛されニャンコ


本堂の見学には拝観料500円が必要です。
(堂内撮影禁止なので画像はこちらから)


日本一の鳴き龍
思ったよりビリビリ!楽しい!



お戒壇巡り

暗闇を歩き阿弥陀如来と縁を結ぶというもの。

想像以上に暗い!なんにも見えません。

再生の意味もあるそうで
新年に向けてスッキリとした気分になれました。

拝観料で宝物館にも入れました。



境内の石仏が趣深かった


ニコニコ如意輪さま


信玄公のようです


かわいい道祖神
ゆるい青面金剛


お地蔵さまと仲間たち


加藤光泰の墓

甲斐を与えられ甲府城の築城を始めた方です。秀吉の朝鮮出兵に従い現地で亡くなりました。



山門近くのお咳婆さんの石

むかし柳田國男先生に学びました。
咳を止めてくれる婆さんのこと。




ここからの富士山はこんな感じなんですね



つづいて武田神社へ





武田神社は武田氏の館跡ということもあり、
城巡りしていた頃からかなりの回数訪れてます。









最近の花手水はプロのお花屋さんが作ってるのですね。
知らなかったです。



西曲輪の遺構







北側の曲輪はずっと発掘中なのかな



稲荷曲輪





帰りに天下一品でこってりを食べました。
甲府に来ると必ず寄ります。
(写真撮れなかったので公式から)

天下一品大好きなんですけど
神奈川県内の店舗はだいぶ減ってしまいましたよね…

また小田原にできないかしら。



秦野市 大用寺のサルスベリ

2024年08月20日 12時14分00秒 | 
先週の金曜日、
台風通過後の雨が残る中、秦野大用寺のサルスベリを見に行きました。

真夏の太陽に強いというサルスベリ。
近年は猛暑のせいか庭木や街路樹に一気に増えたような気がします。


大用寺は秦野市曽谷、イオン秦野のすぐそばにあります。



立派な鐘楼門に目を惹かれます。
松もいいですね。







思ったより大木。
こんな大きなサルスベリ見たの初めて。


やはり台風の影響かだいぶ散ってしまってます。
うーん、なぜわざわざ台風の日に来てしまったのか。

見頃はどうなんでしょう。少し遅かったか。
ネットの情報だと時期はバッチリなのですが。

サルスベリは百日紅と書くほど花期が長いので
これからまた咲き誇るのかもしれません。











散った花びらが地面を染めていて
境内がピンクの空気に包まれてるポワポワ感。

ぽわーっ



そういえば今月発生した神奈川県西部の地震の震源地は秦野市でしたね。
小田原市も震度4で慄きましたが、秦野の皆さんの恐怖は相当なものだったと思います。

備えはしても実際の大地震の前では何をどうしたやら…ですが
とりあえずは気持ちは引き締め続けるしかないようです。