おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


熱海MOA美術館の迫力

2021年07月24日 22時33分00秒 | 博物館、イベントなど
熱海のMOA美術館に行ってきた。
若い頃、チケットを貰って立て続けに数回訪れてから多分30年ぶりくらい。いやもっとかな。

伊豆山の土石流被害現場ではいまだ連日の救助活動が続いている。国道135号線が通行止めなのでビーチラインは無料開放。但しハザードランプをつけて30キロの速度制限つき。
ニュースによく出ていた伊豆山港の海はまだ茶色く濁っている。

MOA美術館は救助活動に協力していて、駐車場の一部が救助車両で真っ赤に埋め尽くされている衝撃の光景。でも車両間に簡易テーブルを広げ、思い思いに休憩する隊員達の笑顔が眩しくて救われる思いがした。


竹内栖鳳の特別展開催中。
ポスターに使われてるこの熊がもう可愛くて可愛くて。とにかく動物画が可愛いのだ。
雀も鹿も虎もウサギも持って帰りたいほど可愛かった。

なお、8月31日まで熱海市民は無料だそうだ。


昔の思い出がザプーンッと蘇る鮮やかなエレベーター。
そうだ。こんなんだった。


壮大な万華鏡を映す円形ホール。癒しの音楽も素敵だ。



「うわぁ」と思わず声が出てしまう。
熱海の海岸がそのままアートに。


すべて計算された美。すごいなあ。



昔はなかった「茶の庭」
復元された尾形光琳邸を中心とした、なんとも優雅な和風庭園。
この日は見れなかったけど、MOA美術館は尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」を所蔵している。


光琳邸はさすがにお金持ちっぽい奥行きと佇まい。








茶の庭の前には竹が美しい遊歩道が。
でも結構な傾斜があるしこの暑さ、歩いてる人は全く見当たらない。



階段がつらかったけどお花がたくさん見れて良かった。
大きな桜の木があったので桜の季節はさぞ見事なことだろう。


一応、熱海を元気づけるためという思いを胸に出かけたのだが
迫力たっぷりなアートと自然美にこちらが元気もらってしまった。
ほんとにすごいなあMOA




小八幡の八幡神社

2021年07月20日 23時04分00秒 | 神社
小八幡という地名は八幡神社からだろう。なぜ小がつくのかな?


その八幡神社。
小八幡八幡神社(こやわたはちまん)と紹介されてたりもする。

住宅地に古くからある神社は区画整理でこんな風に敷地が三角形になってることが多い。



とても丁寧に説明された立派な由緒書がある。
でも内容は、この地に平安時代の官道の小総(おぶさ)駅があったらしいからきっとその頃から神社もあったに違いないと、由緒というよりは土地の歴史に基づく推察。
ここも海の近くだから国府津の菅原神社のような海から来た伝説でもあるのかな?と思ったが、現状では普通の八幡神社でしかないみたい。




近隣の道祖神が集められている。
このように下部をコンクリートで固められてる石像物は神社だけでなく墓地でもたまに見かけるけど、見るたびになにか胸が切なくなる。




こちらは庚申塔たち。
道祖神ほどではないけど、これもコンクリートで固められてる。

小田原市の重要文化財なのに固める。


ここの猿たちはなんだか可愛い。手足が細くて河童か餓鬼のように見える。

これからは庚申塔の猿たちを見かけたらもっとよく観察してみるのも面白いかも、
なんて考えも浮かんだ。


荒久をあるく

2021年07月11日 23時01分00秒 | 小田原のいろいろ
ふと海を見たくなり早川港に行った。


長雨で増水した早川でくつろぐサギ達


早川港は増設?工事の真っ最中。警備員がいて入れない箇所多く、釣り人が何人かいたこの辺りでようやく海の近くに出れた。

この足元は以前は海だった。港の形が変わってる。小田原ちょうちんの灯台が近くなってる。

港の海がつまらないので荒久(あらく)を歩くことにした。
私はかつて小田原城三の丸にあった産院で生まれ、3歳か4歳まで荒久に住んでいた。
引っ越した後も荒久の知人宅に遊びに通っていたので市内でもとりわけ思い入れが深い土地だ。
道いっぱいに干された魚網の臭いや砂に足をとられた広い砂浜、登山の真似をして登った土塁跡、荒久を通るとそんな失われた光景がわりと鮮明に浮かぶ。


半世紀前と変わらないこの階段


階段の先にある小さな細長い公園。
南町なぎさ公園という名は最近ついたのだと思う。昔は名前なんかなかった。


この公園は小田原藩の台場の一部だった。
台場はほとんど消滅したけれど、ここはほんの少し面影が感じられる。



もちろん昔は西湘バイパスはなく、公園から海岸が広く見渡せた。
現在はバイパスの工事中だとかで海岸に降りることさえできない。


またまた全く変わってない階段


和多利稲荷という小さな神社。
「わたり」という名の神社は色々な当て字でたまに見るけど、神奈川近辺では少ない気がする。


訪れたのは3年ぶりくらい。境内に人工芝が敷かれていて驚いた。雨の日も滑らなくていいかも。


なんだろう?この石?



お社は海岸(南)を向いてるので道路から見るとこんな感じ。
この石垣は小田原城総構の土塁の名残りと言われている。
荒久の海岸沿いの道には総構の遺構だと考えられてる箇所がいくつかある。
私の住んでいた家の前にも土塁があって、子供達の良い遊び場になっていた。


右手を流れてるのは小田原用水。
塀に囲まれているのは建築家横河民輔の別荘だったところで、この屋敷も総構の跡とされている。


横河氏の別荘跡から鍵の手に2回曲がる道。
ここも土塁跡。


曲がった左手は大蓮寺。
小田原城落城後に切腹を命じられた大道寺政繁の母親による中興開基。



小田原七福神の福禄寿様がいる。


不思議な閻魔様と五輪塔


おだやかな法然上人


大蓮寺向かいの細道からようやく海岸に出れた。でもここは荒久海岸ではなく御幸の浜だ。昔のように荒久の浜に気軽に出ることはもうできないのだろうか。

小石がゴロゴロしてて歩きにくいので散歩には向かない。

菅原神社 本当は何を祀りたかったの?

2021年07月08日 01時26分00秒 | 神社
国府津の菅原神社。

他所の人にはなかなか読めないでしょ?的な話題によく取り上げられる国府津(こうづ)という地名。
その名の通り、国府の津(船着場、港)があったとされる。
そんな国府津の菅原神社は足柄の関から伸びる古道沿いにあるが、現代の道路事情では場所はわかりにくく迷いやすくなってしまった。


主祭神は菅原道真なので撫牛がいる。
天照大神など他の祭神は後の合祀による。



菅原神社の以前からあったという諏訪社


小さいけれど池もある。
この日、突然オニヤンマのようなトンボが目の前で産卵を始めて驚いた。



曽我兄弟が隠れた石や菅原道真の歌碑など色々な石碑がある。

この日、忠魂碑の下から蛇が出てきてすごく驚いた。
神社で蛇に会うのは初めての経験。
トンボといい蛇といい、もしかしたら私はこの神社と相性がいいのかもしれない。


童謡「とおりゃんせ」発祥の地だそうだ。
この歌は結構好き。

この絵なんだろう?

ここの由緒であるが、正暦5年(994年)海岸に漂着した不思議な舟に乗っていた貴人を土地の人達がもてなし、その貴人が菅原道真の肖像画を残して去ったので菅原道真を祭神としたそうだが、
よくよく考えてみると人々が祀りたかったのは道真ではなく貴人の方だと思う。

海から来た者、漂着した者を祀る、となるとキノミヤ信仰だ。
おそらくこの貴人というのは早川の紀伊神社の祭神惟喬親王のことなんだろう。
親王が道真の肖像画を持ってたというのはなんとも怪しい。




松永記念館のリニューアルオープン

2021年07月07日 01時39分00秒 | 小田原のいろいろ
7月4日(日)松永記念館がリニューアルオープンした。
ちょうど伊豆山の土砂災害の翌日で、小田原市内でも少なからずの被害が出ていたので、延期の可能性もあるとのことだったけど
午後、夫の山小屋(倉庫かな)の様子を見に行くついでに寄ってみたらちゃんと開館していた。
よかった。


でもさすがにこのお天気、傘をさしての見学なので人影はまばらだった。
もともとあまり混雑するところではないので、晴れててもこんなものだったかも。

松永記念館は電力王と呼ばれ、数寄茶人でもあった松永安左ヱ門の邸宅で、
建物や庭園がそのまま残され、現在は小田原郷土資料館の分館とされている。



リニューアル工事により庭園内が歩きやすくなり、バリアフリーの箇所もできていた。
生垣がスッキリとして道路の向こうも見える開放感。

茶室には新しく竹のトヨがついてた。



雨でもすごく歩きやすくなった。

昨年移築された無住庵の周りも綺麗になった気がする。





雨が強くなってきたので老欅荘には寄らずに本館の展示を見て早めに帰った。



長雨のせいか池の水が濁っていたのが残念。
睡蓮が終わる前に晴れた日を狙ってまた来よう。


広くなった駐車場前にはこんなに素敵なミニミニ公園ができていた。