おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


出雲大社相模分祠の龍蛇神

2025年01月31日 21時43分00秒 | 神社
今年の干支は蛇なので、
蛇に関わる神社が大人気で品川の蛇窪神社などは初詣に8時間以上も並んだとか。
そんなニュースを見て
今まで干支の動物に関する神社に興味はなかったけど、今年は私も蛇を気にしてみようかな と。

神社にいる干支の動物って龍と蛇くらい。
龍は多いですが蛇はほとんど聞かないですよね。
狛犬の代わりに牛やウサギがいるところもありますがあれは神に仕える眷属です。

蛇、蛇神、
と考えてると蛇拳とか蛇鶴八拳とか浮かんできちゃう世代。

それでも近隣の蛇を2社思い出したので、
そのうちの1社、出雲大社相模分祠へ行ってきました。
眷属になりますが大国主命に仕える龍蛇神がいらっしゃいます。






1月半ばまでは混雑してるようでしたがさすがにもう空いてました。
2月2日までは初詣期間でライトアップしたりやシャトルバスが出たりしてるそうです。







渋沢の峠集落を散策する - おだにゃら記

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出雲大社相模分祠については峠集落の記事で触れました。

出雲大社は言わずと知れた大国主命が国譲りをして隠遁した超有名神社です。
ですが全国にある出雲大社の分祠、分院、教会は明治時代に成立した出雲大社教という教派神道新宗教を布教するための施設です。
仏教系の有名な新宗教(創価学会や立正佼成会など)の全国各地にある支部はよく知られていると思いますが、出雲大社の相模分祠もそれらと同じです。
つまり相模分祠は神社ではありません。

そういった事情があるので
当初、明治に渋沢の峠集落に出雲大社教が分霊されたことは
鎮守の建立を願っていた地域住民にとって不本意だったらしく、
昭和50年に出雲大社教は現在の秦野市平沢に移転しています。


峠集落の出雲大社教跡地にはそのあと神明神社が迎えられているので、
伊勢派の普通の神社がいい!という住民たちの声が伝わってきますね。



峠集落を去った出雲大社教の相模分祠は
平沢村の鎮守、御嶽神社と八坂神社のすぐ近くに移転します。
両社とも天照大御神を祀る伊勢派っぽくないので都合が良かったのでしょうか。

その後50年ほどでここまで境内を拡張し建物を増やし、現在では御嶽神社と八坂神社を摂社の如く従えてるように見えます。


御嶽神社こそが1000年以上この地を守ってきた氏神であること、
知っている方はあまりいないようです。


出雲大社教や相模分祠のことを悪く言ってるわけでは決してありませんが
なんかね、
いろいろありますよね神社も神道も

ということで。




さて龍蛇神

アートな鳥居の奥、千年の杜に龍蛇神がいらっしゃいます。




千年の杜は境内に平成19年に植樹されたスポット

湧水から小川を流してメダカやドジョウやホタルもいるそうです。
生憎この日はほとんど水がなかったです。
日頃メダカを飼育している身にとっては非常に心配なところ。


公式に植樹時の写真があります。

なんにもないー

これがたった18年で今のような癒し森スポットになるなんて
植物の成長って早いものです。


千年の杜の奥にある龍蛇神の社



湧水「ゆずりの水」

汲んで持ち帰ることができます。
社殿で空のペットボトルを売ってます。


素朴な疑問。
この湧き水はいつからここに出てるんでしょ。

出雲大社教公式によりますと

「龍蛇神とは海蛇の神様で、水に住む龍は火難除け水難除けの守護神、
地に住む蛇は土地の災難除けの守護神として仰がれる。」

「出雲に八百万の神が集まる神無月(出雲では神在月)
大国主の御使として神々の先導役をする。」


働き者の海蛇様です。
私も今年は少しは働き者にならねば。



龍蛇神イメージ(出典こちら

出雲地方では浜に打ち上げられる海蛇を神聖視して神社に奉納する風習があったそうです。

どちらかというと、龍より蛇に近いお姿でしょうか。










出雲大社といえばうさぎ

愛らしいうさぎオブジェを見ていると
先日の悲しい事件を思い出してつらくなります。






相模分祠は伊勢ヶ濱部屋との繋がりが深く、
毎年の節分には部屋の力士がたくさん参加してるそうです。



昨年の様子


今年は2月2日開催。
恐ろしく混雑しそうでとてもとても行けませんが、見てみたいなぁ。


私の推しは熱海富士です。

頭高山プチ登山と白山神社

2025年01月25日 20時27分00秒 | 神社
頭高山

「ずっこうやま」と読むと最近知りました。
ずっと「ずこうやま」と思ってました。
 
 
頭高山 ずっこうやま
は秦野市千村にある標高303mの低山。篠窪のすぐ北。
R246の松田から寄にかけて、四十八瀬川の東に壁のように見える山がそうです。
 
渋沢丘陵から続くお手軽なハイキングコース、
渋沢駅からだと2時間程度で山頂に着きます。


昨年末
駅から歩かなくても山頂近くに駐車場があるのでプチ登山できそう
と行ってみました。

なお、この地図ははだの歴史博物館でいただいた大切な大切な矢倉沢往還ウォーキングガイドのコピー(すごい大活躍中)に加筆したものです。
ピンクが今回歩いた道。

 
駐車場はこんな感じ。
地主さんが厚意で開放してくれているそうです。
 

山頂までは15分




駐車場からすぐのところにある
戦没者慰霊の祈りの像

ここまでいきなり坂道…
 
祈りの像を過ぎてからは平坦で楽な道が続きます。
綺麗に整備されてるのでとても歩きやすい。



丹沢の山々が眺められるスポット



途中にある休憩所

一帯は八重桜の里

頭高山は塩漬けなど食用としての八重桜の生産量日本一だそうです。
 
これは春にまた来なくちゃ。
 
 

山頂手前の分かれ道
どちらから行ってもOK。
 
左は階段が見えたので、ちょっと遠回りっぽいけど楽そうな右から。
 

でもこっちにも階段があった。
しかもけっこうキツいっ



なんとか山頂到着
ダラダラ歩いて20分くらい。

プチ登山というよりはプチハイキングかな。
 



足柄平野、箱根山方面を臨む。
 
あとで調べたら頭高山は展望はあまり良くないようです。



秋葉神社
 
秋葉神社があることから昔は秋葉山とも呼ばれてたとか。
2つの石碑は馬頭観音。この山で働いた馬を祀ったものでしょう。
 
そういえば
昔、ここの麓の川沿いで馬飼われていたの思い出しました。
 
 
帰り道は駐車場にそのまま戻らず、
途中で白山神社方向へ下りました。
 


白山神社
千村地区の鎮守



いきなり素晴らしい鳥居スギ




かながわの名木100選のスギでした


社叢のスギ全体が秦野市の天然記念物に指定されています












昇り道祖神とは?

ウロを覗きましたら


道祖神が
はさまってる!

木が根元にいた道祖神を抱えて成長したんですね。
これからもどんどん昇っていかれるのでしょうか。



また一社
すてきな神社に出会えた喜び




白山神社から駐車場までは上り坂の道路。
ひたすら坂道。

これがかなりつらかった。
駐車場に戻ってから車で神社に行けばよかった…と激しく後悔しました。



かりがね神社

駐車場の斜め前なので最初に行くべきだったかも。



説明板が痛んで倒れていて
代わりにコピーが貼られてました。

昔、「かりがね」という名の姫がこの地で亡くなったことを偲んだ「かりがねの松」という立派な松があり、
いつしか神社が建てられたそうです。



お姫さまらしくお供え品が可愛らしい明るい空気の社。



ちょっとつらい階段や坂道もあったけど、
このくらいならいいかなと思える1時間半ほどの山歩きでした。

 

六所神社と総社と悪魔の手毬唄

2025年01月16日 21時16分00秒 | 神社
先週、
大磯の六所神社でお札をいただいてきました。
神棚の三体目の崇敬神社です。
昨年は川匂神社、一昨年は寒川…だったはず。



六所神社は相模国の総社です。

総社とはその土地の主だった神社を複数勧請した社のこと。
赴任してきた国司の巡礼の手間を省くために一箇所にまとめたものです。
便利ですね。日本の神さま。


もともとこの地には崇神天皇の頃から柳田大神が祀られていました。
崇神天皇とは第10代天皇、治世は紀元前、およそ2100年前になります。

古いです。
このくらいが古いと言うんです。


その古い歴史を持つ柳田大神に

寒川神社(一宮)
川匂神社(二宮)
比々多神社(三宮)
前鳥神社(四宮)
平塚八幡宮(一国一社)

の5社を合祀して総社六所神社。











総社は一つの国に一つで、数や神々は様々、総社が設けられていない国もあります。
伊豆国にはないですね。なぜだろう。



総社と聞くと昔から思い出してしまうのは
映画「悪魔の手毬唄」(1977年)

総社駅での石坂浩二と若山富三郎のラストシーンが有名です。


金田一が
「リカさん(犯人岸恵子)のこと愛してらしたんですね」

と聞くけど汽笛の音にかき消されて磯川刑事はハァ?

かわりにカメラが映す


そうじゃ !


観客をおちょくってないか?とも思うんですが
みなさんが名シーンと言うから名シーンなのでしょう。


映画の舞台は岡山県総社市。
市名の由来はもちろん総社があることからです。

でもロケ地はほとんど山梨県や静岡県で、
この「そうじゃ」駅も実際は大井川鉄道の家山駅で撮影されています。

映画に出てくるレトロな駅舎は健在。いつか訪れてみたい場所のひとつです。

なんと
この機関車は今はトーマスになってた!










六所神社は池が広く清涼感があり、
祭神に櫛稲田姫がいることから明るく華やかな空気もあり、
言葉では説明し難いのですが、
女性としてホッと安らげる社だと常々感じております。



宗我神社と曽我の里

2024年12月18日 19時20分00秒 | 神社
曽我の里
宗我神社の散紅葉






毎日お掃除大変そうです







散ってなおこの艶やかさ



鏡に狛犬ほっこり







石垣に道祖神が埋め込まれてる
埋め道祖神

この場所から動かせない!という強い意志を感じます



六本松跡へ




こんなところにあります
今は松は残っていませんが





このあたりきちんと歩きたいなと思いながら数十年



蜜柑畑





田島からの富士山

この日も雲がかかっててちょっと残念




頼政神社 山北町神縄に暮らす子孫

2024年11月26日 22時03分00秒 | 神社

先日の三保ダム紅葉狩りの本来の目的は神縄地区の頼政神社参拝でした。

 

三保ダムのマップにも出てます頼政神社
 
県道76の神縄バス停前を左折、途中の別れ道を右に行くとダム広場駐車場
左に行くと頼政神社とひだまりの里(キャンプ場)
 
ひだまりの里スタッフさんによると、神社専用の駐車場はないので鳥居横に路駐していいそうです。
 
 
頼政神社
 
頼政とは源頼政のこと。
平安時代末期に活躍した摂津源氏の武士です。
 
保元の乱、平治の乱以降に平家政権に属しましたが、
やがて以仁王と共に平家打倒を謀り、宇治平等院での戦いに敗れて自害しました。
 

大河ドラマではわりとおなじみで
近年では
 
「平清盛」では宇梶剛士さん

「鎌倉殿の13人」では品川徹さん
が源頼政役を演じています。
 
(おもしろかったですよね。この2作品は…)
 
 
 
源氏なのに平家政権に与していたのはなぜかと不思議がられることも多い頼政。
 
一口に源氏と言っても源氏二十一流と呼ばれるほど系列が多く、
源氏を名乗ってるからと言って遠縁どころか全くの他人だったりするので、同族意識なんてないのです。
 

頼政の摂津源氏は源満仲の嫡子である頼光の子孫。あの英雄頼光の血筋です。
一族は京に住み天皇近くに仕え教養も高かったので、野蛮な東国武士の河内源氏とは家の格が違いました。
 
もしも以仁王と頼政の挙兵が成功していたら頼政こそが源氏の棟梁として歴史に名を刻まれたのでしょうが
天はなぜか伊豆で燻っていた河内源氏の源頼朝に運を与えたのですね。
 
 

そんな源頼政を祀る神社は全国でも珍しく、
 
茨城県古河市の頼政神社は
頼政の従者下河辺氏が自らの領地に主君の首を運び供養したのが由緒で、
その関連で竜ヶ崎市にも小祠が伝えられ、
群馬県高崎市には江戸時代になってから藩主大河内松平氏が先祖である頼政を祀る社を建てています。
愛知県豊橋市の豊城神社は明治以降の建立で、藩主大河内松平氏および頼政を祭神をとしています。
 
調べて出てくるこの4社くらい。
どれも頼政の家臣や子孫が建立してるので由緒も地域も理解できるのですが、
山北町神縄はポツンとこんな山奥に。
いったいなぜ?
 
何らかの事情で古河まで首を運べずにここに埋めたとか
実はこの地区には頼政の子孫が隠れ住んでいたとか。
 
 

扁額には頼政宮とあります。
 
新編相模国風土記稿では
「頼政社 村の鎮守、神体木造 長五寸、仲春李秋の望を祭期とす、
 覆殿に第六天、姥神の二社を置、村民持、下同」
程度の記述しかなく由緒は不明。
 
「神縄ではかつては麻をたくさん作っていたが、頼政が麻の先で眼を痛めたことから麻を作らなくなったという。
 また、地元の旧家の人は片目が細い。これは頼政の子孫だからだといっている。」
 

頼政が麻で眼を痛めた真偽は不明ですし、後天性の障害が子孫に伝わるはずはないのですが、
他に史料が見当たらないので今はこれを信じて納得したいと思います。

頼政の子孫の誰かがこの地に来て暮らし始めた、その一族は片目が細い人が多かったのでしょう。
 


境内にかながわの名木100選、県の天然記念物に指定されているトチノキがあります
 
最初はどこにあるのかわからなくて
 


社殿背後にありました。

説明板読みにくい。
 

樹高25メートル さすがの迫力
 
でも大掛かりな剪定をしたのか枝ぶりがちょっと寂しい
 


謎の大きな丸石
 
力石でも道祖神でもないですよね。
 





神縄地区も三保ダム建設の影響で昔とは大きく環境が変わり、住民も少なくなったそうです。

でも神社の周囲は木々が美しく、静寂に包まれ居心地よい空気感でした。