日本酒ピンバッジ倶楽部

2021年3月26日、関西に住む日本酒呑み仲間と「日本酒ピンバッジ倶楽部」を発足しました。

日の丸醸造㈱「まんさくの花」日本酒ピンバッジ俱楽部

2022-08-28 21:35:25 | 秋田の酒

今年4月に秋田に訪問したのは、日本酒ピンバッジ倶楽部で昨年夏に応援した酒蔵さんの蔵開きでした。

 秋田空港からバスで秋田駅に到着し、在来線で県内を移動したのですが平日のお昼前後は一時間に一本か二本しか電車が動いていなく、横手駅前も閑散としていて、待ち時間の多さの為にのんびりとした旅になりました。

さて、目的の酒造の蔵開きの翌日に訪れたのが秋田県横手市にある日の丸醸造さんでした。

 私の住む大阪で、阪急淡路駅にお気に入りのお店「日本酒吟醸バー石橋」さんがあります。

 そこのお母さんから「秋田に行くなら是非訪れて欲しい蔵元がある。」と伺っていたので、少し寄り道をしました。

日の丸醸造さんの有る増田は蔵の町としても有名で、「かまくら」で有名な豪雪地帯にあるために「内蔵(うちぐら)」と呼ばれる鞘で囲った土蔵がお店と居住空間の奥に作られています。

 かつては、特別な理由がなければ隣人すら蔵の存在をを知らず、見ることがなかったそうです。

日の丸醸造の社名は、秋田藩主の佐竹氏の「五本骨の扇に日の丸」紋所から命名されたと伝えられ、同社の文庫蔵は、増田町の内蔵の中でも特に豪華で繊細な装飾が美しく、2002年(平成14年)に国登録有形文化財に指定されています。

横手市増田町は江戸末期~明治初期に多くの商人が移り住み、生糸や葉たばこの集散地として発展しました。

 増田の中七日町通りを特徴づける「内蔵」は、その多くは明治期から大正期にかけてのもので、完成から100年以上もたったと思えないほど今も美しいものですが、伝統的建築物群が地域資源として再発見されたのは遅く、2000年代に入ってから内蔵を有する街並みが増田特有の地域資源として再認識されるようになってきたそうです。

訪問し、店頭で大阪淡路の吟醸バー石橋さんの事をお話ししたところ、わざわざ佐藤譲治社長が出ておいでになり、内蔵の二階や酒蔵の内をご案内いただきました。

若いころは、大阪の大手菓子メーカーM社にお勤めになられ何年か暮らしいていた、と懐かしそうにお話しされていました。

 その時に、私のジャケットの胸に付けていた日本酒のピンバッジをご覧になられ、興味をお示し頂けたのでお話しすると、早速、社内の営業部の女性を呼ばれ、日本酒ピンバッジについてのお話をさせていただきました。

 その後に出来上がったのが、この「純米酒まんさくの花」ピンバッジです。

 どうやら、日の丸醸造マイレージクラブの景品になるようです。

 日の丸醸造マイレージクラブとは、美味しく、愉しい日本酒ライフを提供するための会員サービスで、メインとなるのはポイントプログラムです。対象商品に貼られたシールを集めてポイントを貯めていただくことで、まんさくオリジナルグッズ等がもらえます。対象商品はその時々によって異なりますが、ピンバッジが景品になれば、どうぞ皆さんゲットしてくださいね。

 

 尚、日の丸醸造のTさんから「ピンバッジの数個は社長のポケットに常備させていただく事になろうかと思います。」との連絡が有りましたので、もし日の丸醸造の佐藤社長とどこかの酒場で遭遇された幸運な方は、「まんさくの花のピンバッジ、素敵ですねぇ~。」とおねだりすると手に入るかもしれませんね(笑)。

 

出典、参考文献・HP

日の丸醸造 HP

秋田県横手市 HP

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

結城酒造㈱「結ゆい・ありがとう」日本酒ピンバッジ俱楽部

2022-08-20 18:57:41 | 茨城の酒

 それは、今年の5月の始めでした。

 4月の末にニコニコ超会議のイベント、マニアックフェスタVol.6へ日本酒ピンバッジマニアとして出展し、終えた翌日に、FBで門前仲町の折原商店に結城酒造の浦里美智子杜氏が来ることを知り、訪ねました。

 2021年の12月に私たち日本酒ピンバッジ倶楽部が応援し、結ゆいボトルタイプのピンバッジを造らせていただいたご縁もあり、東京での再会を喜び、「結ゆい」を呑み羽田に向かいました。

 美智子さんの笑顔と、お元気なお姿に、よいご縁を頂いたと思いながら大阪に戻ったのです。

 それから数日が経過し、FBを見ていた所、2022年(令和4年)5月11日 結城酒造さんが全焼したとのニュースが・・・。

 詳細は、すでに報道されているので、ここでは記しませんが、とてもショックでした。

 もちろん、当事者である結城酒造の方々のお気持ちは、いかばかりかとお察しいたします。

 

 数日間は、何かお手伝いできないかとあれこれ考えていましたが、火災後の現地の状況が徐々にFBやネットニュースなどに掲載され、還暦を超えた親父が現地に駆けつけても・・・と自重していました。

 そうこうするうちに関西でもぽつぽつと結城酒造さんを応援する居酒屋さんや酒屋さんが「呑むことで応援」として、小規模ですがチャリティイベントを開催する動きがあり、できるだけ足を運ぶようにしていました。

 でも、もう一歩踏み込んだ応援をしたい、と思う気持ちもあり、モヤモヤした気持ちが続いていました。

 

 私が運営として参加している日本酒ピンバッジ倶楽部は、その会則に入会資格として「日本酒を嗜み、蔵元を応援する心を持ち、倶楽部員はみなボランティアで活動している」や、目的として「私達は日本酒ファンであり、・・・、苦戦する蔵元を応援すべく、」の文言があります。

 ある居酒屋の女将さんから「今こそ、日本酒ピンバッジ倶楽部の出番やね。」の言葉がでたとき、FBでつながっていた浦里美智子さんへ思い切ってメッセージを送りました。

 

 実は、美智子さんのSNSでの発信を度々拝見していた私は、今回の火災のお詫びと、応援頂いた方へのお礼の言葉を頻繁に発信されているのが気になっていました。

 「すみません」や「ありがとう」の言葉は、あまりにも多く発すると、その人の心を疲れさせるのではないか・・・。自分がこの言葉を発するときのことを考え、心を込めれば込めるほどエネルギーを使ってた事を思い出したのです。

 

 「美智子さん大丈夫かな?」の気持ちを込めて、以下の事をお伝えしました。

 「私にできる事が一つあります。ピンバッジを作る事です。これから沢山の方々の応援を受ける美智子さんに、そのお礼の印としてその方々への返礼のピンバッジを作らせていただけないでしょうか。」

 暫くして美智子さんから、「是非、お願いできればと思います。」の返事を頂きました。

 

 「結ゆい・ありがとう」ピンバッジです。特別純米酒と純米吟醸酒のラベルをベースにデザインしました。

 そして、このピンバッジは 8月7日に東京都練馬区で開催された結城酒造チャリティイベント「結びの会」のスタッフピンとして配られる事になりました。

 

 私自身は、東京へ行く事は適わなかったのですが、多くの結城酒造さんを愛する方々の胸に付けられ、輝いているピンバッジをSNS上で見かけるたびに、私たちの活動は、少しはお役に立てたのかなぁ・・・とひっそりと思うのです。


株式会社 北川本家「富翁」日本酒ピンバッジ俱楽部

2022-08-11 08:42:31 | 京都の酒

 日本酒ピンバッジ倶楽部の活動を始めてはや二年となりましたが、関西は酒どころで、灘の男酒、伏見の女酒、伊丹諸白、奈良菩提酛と言われ、名高い有名酒造がたくさんあり、私達のようなささやかな応援は、特に広告・宣伝の長けた灘・伏見の酒造では相手にされないだろうという先入観があり、伏見の酒造さんへご提案する機会もなかったのでしたが、思いがけず大阪梅田のあるお店で、伏見の北川本家の社長さんと遭遇し、日本酒ピンバッジの説明を致しました。

 

 それから数日後にお返事を頂き、「営業部で検討したところ、ぜひやりたいとの意見が多かったので、進めたいと考えています。」との事、さっそく具体的な手順を北川本家さんの営業担当窓口の方と打合せし、この様な歴史ある北川本家さんのレトロラベルで、ピンバッジとなったのでした。

 2017年(平成29年)に創業360周年を迎え、「富翁」のブランドアイデンティティを「歴史を感じる京の定番酒(さけ)」と新たに決められ、これまでの歴史を再認識し、大切にしてきたものを守りながら、変えるべきものは勇気をもって変えていくという北川社長さんのお考えが、レトロラベルでピンバッジを作る事にもうかがえると私は感じました。

 

 北川本家さんは、江戸時代初期1657年 (明暦三年)以前、宇治川豊後橋付近で船宿を営んでいた初代鮒屋四郎兵衛が造り始めた酒が「鮒屋の酒」と評判を呼んだのが、その始まりとされています。 以来、豊かな水に恵まれた環境のなかで360年以上にわたり京都・伏見の代表的な清酒として酒造りを続けられています。

 

 酒造りは「心」であり「技術」であり、日本の特に京都の食文化とともに歩んでこられました。酒造りの伝統・人の技をを後世まで継承していくために、時には最新技術を採り入れるしなやかさを持ちながら、伝承の技にさらに磨きをかけていくことを大事にすることで、令和3酒造年度 全国新酒鑑評会でも、20回目の金賞を受賞することができたそうです。

 

 代表的銘柄「富翁」とは「心の豊かな人は、晩年になって幸せになる」という意味で、十代目 北川三右衛門が、中国の四書五経に「富此翁」の表現をみつけ命銘しました。飲む人の心まで豊かになるような酒をつくりたい思いが込められているそうです。

 「四書五経」とは、四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいい、お隣の中国では、六世紀の随の時代から科挙試験の中軸となり、これらを学び登用された優秀な官吏たちが皇帝を補佐しました。

 日本でも江戸時代、武士の教養の基礎として漢学があり、「四書五経」は寺子屋を通じ庶民にまで教育され、人格の根幹を形成する上での大きな影響を及ぼしました。

 

 北川三右衛門さんの、「富此翁」を見つけ酒の銘とするその心根と教養に、私は驚きとともに感心しました。

 歴史を学んでいると、時折とんでもない人物がいて、その来歴に唸る事があります。

 最近では、江戸幕府の官僚群の中に高潔な人物を発見する事が多く、現代に続く維新後の明治時代に疑問を感じるくらいです。今の政治家や忖度する官僚を見ていると、「四書五経」を教育副読本で使ってもいいのではと思う今日この頃です。

 それにしても、北川三右衛門さん、会って酒を酌み交わしたい気分になりますね。