日本酒ピンバッジ倶楽部

2021年3月26日、関西に住む日本酒呑み仲間と「日本酒ピンバッジ倶楽部」を発足しました。

日本酒ピンバッジの故郷 土佐酒造

2024-07-04 17:24:35 | 高知の酒

 2024年に解散した日本酒ピンバッジ倶楽部ですが、これまで応援させていただいた、日本酒の蔵は47蔵、作り上げたピンバッジは69種類となりました。

 今後、私自身に時間のできた時、体調と相談しながら、作られた日本酒のピンバッジの故郷を訪ね、ブログで綴っていきたいと思います。もちろん、蔵で出会ったお酒も連れて帰りたいですね。

 

2024年6月14日(金曜日)土佐酒造株式会社

 翌日、香川県丸亀市で「綾菊」さんの蔵元を囲む会があるので、前日に高松市内に入り飲もうと考えていました。アクセスは、新幹線で岡山に入りマリンライナーに乗り換え、大阪梅田から昼間の高速バス、自家用車で瀬戸大橋・鳴門大橋を渡るの3通りがあるのですが、この日は体調がすこぶるよかったので、愛車のCX-5でスタートしました。

 1995年の阪神淡路大震災の年の春に、36歳で高松営業所長として赴任しましたので、明石海峡大橋は、大阪-高松の往復時に、当時はまだ走っていた高速艇に乗り、明石海峡通過時に、工事のはじめとなる頭上に海峡を渡る最初の一本のワイヤーロープを見上げたのを思い出します。あれから30年近くが経過しました(笑)。

 天気も良く、淡路島を過ぎ鳴門大橋を渡り、徳島県に入ったところでお昼になったので、高松自動車道の板野ICで降りて、道の駅いたのの近くにある丸池製麺所へ向かいました。ここは、かつて香川県で「るみばあちゃん」で有名な池上製麺所で修行した山本将弘さんのお店です。アスパラのてんぷらと釜玉うどんを堪能させていただきました。

 この日の高松のホテルのチェックインまで時間があるので、藍住ICから徳島自動車道に乗り、土佐酒造へ向かいました。川之江東JCから高知自動車道へ入り、大豊ICで降ります。吉野川に沿った439号線を早明浦ダム方面に走り、道の駅土佐さめうらの奥の集落に土佐酒造さんがありました。

 

土佐酒造さんのピンバッジを作成した時のブログ記事、

https://ameblo.jp/pins-k/entry-12687131603.html?frm=theme

に銘酒「桂月」・よさこい節・大町桂月に関しての詳細を記していますので、ご一読いただければと思います。

 

 

 さて、世界最大規模のワイン品評会 International Wine Challenge 「IWC」は、毎年ロンドンで行われ、"世界でもっとも大きな影響力をもつワインコンテスト"として、とくにSAKE部門は日本酒の海外進出における価値の高い重要なイベントです。

今年2024年のSAKE部門では、土佐酒造さんは

    「桂月 にごり 純米大吟醸 50」

がゴールドメダルを獲得しています。

また、「桂月 スパークリング酒 好(Hao)」

   「桂月 CEL24純米大吟醸 50」

   「桂月 吟之夢 純米大吟醸 40」

   「桂月 吟之夢 特別本醸造 60」

の4つがシルバーメダル、

   「桂月 スパークリング酒 匠(John)」

   「桂月 吟之夢 純米大吟醸 45」

   「桂月 相川譽 山廃純米酒 」

   「桂月 超辛口 特別純米酒 60」

の4つのブロンズメダルを受賞されました。

高知県北部の土佐郡土佐町、土佐嶺北地方に山間地ある土佐酒造は、四国の水瓶と言われる四国三郎・吉野川の源で、早明浦湖畔の自然に囲まれ、香川県の水道用水の約45%、 農業用水の約25%、工業用水の約15%は、早明浦ダムで貯えられた吉野川の水に頼っています。香川在住時には、いつも夏の渇水時にはテレビニュースでは、早明浦ダムの貯水率がクローズアップされていたのを思い出します。

そんな、香川県民の命の水を握る地で、創業1877年(明治十年)以来150年近く、酒造りを続けてい土佐酒造さんの現在の松本宗己社長は、テロワールは、土壌成分、気象条件だけでなく、人や歴史であると考えていっるそうです。「日本酒を地元のお米にこだわり、世界に売りに行く。」という志を実現していく彼に、かつて明治維新の前に活躍した土佐の志士たちの後姿を投影するのは私だけでしょうか。

土佐酒造の酒、旨いです。

 

 

 


日本酒・酒蔵のピンバッジ図録「Japan Sake Pins Collection」

2024-03-12 13:18:39 | 日本酒

 2024年1月28日に開催された「日本酒ピンバッジ倶楽部 総会」をもって、私たちの活動は終了しました。

 おかげさまで、日本酒ピンバッジ倶楽部の2年半を超える活動の中、日本酒の蔵元応援として作り上げたピンバッジは47蔵69種類となりました。

私たちは、2021年3月にコロナ禍の中、全国の酒蔵さんが飲食店の閉める中で窮地に立っていると聞き、関西の日本酒好きの仲間たちで何か応援できないかと考え、日本酒ピンバッジ倶楽部を発足しました。

 日本食の世界遺産登録に伴い、日本酒を呑む女性ファン、若者、海外での日本酒消費量が増え、また、世界中の若者の注目する日本のキーワード「カワイイ」や「カッコイイ」の要素をピンバッジに見出した私たちは、特に漢字で表現されている日本酒ピンバッジを作れば、若者だけでなく、海外でも注目されるのではないかと考えました。 

 なんとか、日本酒ピンバッジというノベルティグッズで、酒蔵さんのPRのお手伝いをしようと考えたのです。

 

ようやくコロナも5類になり、国内外の方たちが街へ出て、酒場も賑やかになってきました。日本酒ピンバッジをいくつか身につけて酒場で吞んでいると、見知らぬ方々から「素敵なピンバッジですね、日本酒のピンバッジなんてあるのですか、カワイイ!」なんてお声掛けいただけ、その酒蔵さんやお酒についてお話しする良いきっかけとなります。  

 

 どうやら、日本酒ピンバッジ倶楽部が発足当初考えていた、ピンバッジで酒蔵さんを応援し、若者たちと結びつけようという考えは、少しずつですが、実りはじめたようで、そろそろ役目が終わる時期に来ていると感じるようになりました。

 

 そこで、日本酒ピンバッジ倶楽部の締めくくりとして小冊子「Japan Sake Pins Collection」を作成いたしました。

 この図録は、これまで日本酒ピンバッジ倶楽部が手掛けた日本酒ピンバッジと、この数年間で手に入れた各酒造会社さんの自社製ピンバッジの情報などを私家版(非売品)として、私達の活動の軌跡を知っていただきたくまとめたものです。

現時点で、日本で唯一の日本酒ピンバッジの図録です。

てことは、世界で唯一の日本酒ピンバッジ図録です。

 今後、いつの日か日本酒が世界に今まで以上に広まるとき、多くの酒蔵さんがPRのためにノベルティとしてピンバッジを作る文化が広まれば、その最初の第一歩のコレクターたちの指針となるかもしれません(笑)。

 もし、酒場や日本酒のイベント会場で日本酒ピンバッジをつけた方に出会った時に、是非お声をかけてみてください。その方は、コロナが始まったときに日本酒の酒蔵を応援しようと立ち上がった日本酒ピンバッジ倶楽部の数少ない会員さんの一人かもしれません。

 「Japan Sake Pins Collection」を見せていただけるかも・・・。

 

日本酒は美味しく、ピンバッジは美しい

日本酒文化にピンバッジの波紋が広まりますように・・・。

 

日本酒ピンバッジ倶楽部

「またいつの日か・・・。」


武田酒造「媛一会(ひめいちえ)」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-03-11 19:42:27 | 愛媛の酒

 武田酒造さんは、愛媛県東部の西条市にあります。

 この地は、道前平野が広がり、北は瀬戸内海に面し、南は西日本最高峰の石鎚山(標高1,982m)を中心とする石鎚連峰を背にし、瀬戸内海地方特有の温暖な気候に恵まれています。特に石鎚山は、約1330年前に修験道の開祖である役小角が開いたとされ、多くの修験道者が修行し、長く女人禁制でした。また、信仰の拠点となる石鎚神社、前神寺、極楽寺、横峰寺などがあり、山そのものに深い畏敬の念を抱かれていたために森林は無闇な開発を逃れ、生い茂る木々は「自然のダム」としての機能を維持してきました。これにより、西条市内の広範囲にわたり地下水の自噴井「うちぬき」がみられ、その数は約3,000本といわれ、1日の自噴量は約13万㎥にも及んでいます。1985年(昭和60年)には環境庁より「名水百選」に選定され、水質の良さは折り紙付きです。

 創業者の武田近平氏は仲買業と萬屋(よろずや)を兼務する傍ら、自らが嗜むお酒は自らが造ろうと思い立ち、1904年(明治37年)現在の地(愛媛県西条市三芳)に創業し、1952年(昭和27年)に武田酒造株式会社に改名し、現在に至ります。

 

武田昇三 杜氏 は、1977年生まれで、2002年3月に広島工業大学環境デザイン学科を卒業後、建設会社勤務を経て、実家である武田酒造株式会社に就職しました。

 それまで、同社の杜氏を長年勤めていたのは、四国最多の歴史と伝統を誇る西宇和郡伊方杜氏の中にあっても屈指の銘杜氏といわれた上田益男 杜氏でした。そのもとで、8年間修業し、2013年から杜氏として酒造りを始めます。

 「媛一会」は、武田酒造が2010年に販売開始し、武田杜氏自身が中心となり立ち上げた新銘柄で“愛媛”と“一期一会”に由来します。少しずつ丁寧に醸し、小槽搾りにこだわり、雑味の無いまろやかな味に仕上げたそうです。また、大学時代の知識を生かしラベルデザインも自身で手掛け、ラベルの「●」は、円をあらわし「円=ご縁」を意味しています。

 武田杜氏は、お酒造りについて自社のHPで以下のように語っています。「酒造業界も機械化・デジタル化が進んでいますが、自分の肌で感じるものが真実だと考え、手造りにこだわりながら酒造りに精進しています。味や香りはもちろん、麹の見た目や感触、米が発酵するときに出る泡が弾ける音などを五感でフルに感じながら真実を見極め、いつか自分にしか造れない“一本筋の通った日本酒”を造ることが目標です」

 

「円=ご縁」と「一会」のデザインのとっても素敵なピンバッジ、私たちの最後の応援にふさわしいものとなりました。

 


近藤酒造「はなひめさくら 赤 雅」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-03-06 17:50:52 | 愛媛の酒

 2023年5月20日に撫養街道大麻・酒の陣が開催されました。

 近藤酒造の近藤敬子杜氏から、以前のボトルタイプのピンバッジに加え新たにラベルタイプを造ってほしいとお声がけいただきました。

二つ目という事もあり、いいピンバッジにしたいという近藤杜氏の意気込みが感じられ、ご要望をできる限りデザインに反映し、とっても華やかなピンバッジができました。

 


稲田本店「稲田姫」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-02-29 14:56:22 | 鳥取の酒

 江戸時代1673年より続く稲田本店は、大山山麓の豊かな自然に囲まれた鳥取県米子市にあり、清酒「稲田姫」「トップ水雷」の銘柄があります。

 「いい水」と「いい米」があり、そして酒造りに情熱を傾ける蔵人、杜氏・信木真一は、先代杜氏・折坂薫の「お酒造りとは心が全てである」という想いを引継ぎ酒造りをしており、これらすべて一体となり『稲田の酒』は生まれます。

ピンバッジは、山田錦を30%まで磨き醸した「純米大吟醸稲田姫30原酒」のボトルをそのままデザインしました。