日本酒ピンバッジ倶楽部

2021年3月26日、関西に住む日本酒呑み仲間と「日本酒ピンバッジ倶楽部」を発足しました。

日本酒・酒蔵のピンバッジ図録「Japan Sake Pins Collection」

2024-03-12 13:18:39 | 日本酒

 2024年1月28日に開催された「日本酒ピンバッジ倶楽部 総会」をもって、私たちの活動は終了しました。

 おかげさまで、日本酒ピンバッジ倶楽部の2年半を超える活動の中、日本酒の蔵元応援として作り上げたピンバッジは47蔵69種類となりました。

私たちは、2021年3月にコロナ禍の中、全国の酒蔵さんが飲食店の閉める中で窮地に立っていると聞き、関西の日本酒好きの仲間たちで何か応援できないかと考え、日本酒ピンバッジ倶楽部を発足しました。

 日本食の世界遺産登録に伴い、日本酒を呑む女性ファン、若者、海外での日本酒消費量が増え、また、世界中の若者の注目する日本のキーワード「カワイイ」や「カッコイイ」の要素をピンバッジに見出した私たちは、特に漢字で表現されている日本酒ピンバッジを作れば、若者だけでなく、海外でも注目されるのではないかと考えました。 

 なんとか、日本酒ピンバッジというノベルティグッズで、酒蔵さんのPRのお手伝いをしようと考えたのです。

 

ようやくコロナも5類になり、国内外の方たちが街へ出て、酒場も賑やかになってきました。日本酒ピンバッジをいくつか身につけて酒場で吞んでいると、見知らぬ方々から「素敵なピンバッジですね、日本酒のピンバッジなんてあるのですか、カワイイ!」なんてお声掛けいただけ、その酒蔵さんやお酒についてお話しする良いきっかけとなります。  

 

 どうやら、日本酒ピンバッジ倶楽部が発足当初考えていた、ピンバッジで酒蔵さんを応援し、若者たちと結びつけようという考えは、少しずつですが、実りはじめたようで、そろそろ役目が終わる時期に来ていると感じるようになりました。

 

 そこで、日本酒ピンバッジ倶楽部の締めくくりとして小冊子「Japan Sake Pins Collection」を作成いたしました。

 この図録は、これまで日本酒ピンバッジ倶楽部が手掛けた日本酒ピンバッジと、この数年間で手に入れた各酒造会社さんの自社製ピンバッジの情報などを私家版(非売品)として、私達の活動の軌跡を知っていただきたくまとめたものです。

現時点で、日本で唯一の日本酒ピンバッジの図録です。

てことは、世界で唯一の日本酒ピンバッジ図録です。

 今後、いつの日か日本酒が世界に今まで以上に広まるとき、多くの酒蔵さんがPRのためにノベルティとしてピンバッジを作る文化が広まれば、その最初の第一歩のコレクターたちの指針となるかもしれません(笑)。

 もし、酒場や日本酒のイベント会場で日本酒ピンバッジをつけた方に出会った時に、是非お声をかけてみてください。その方は、コロナが始まったときに日本酒の酒蔵を応援しようと立ち上がった日本酒ピンバッジ倶楽部の数少ない会員さんの一人かもしれません。

 「Japan Sake Pins Collection」を見せていただけるかも・・・。

 

日本酒は美味しく、ピンバッジは美しい

日本酒文化にピンバッジの波紋が広まりますように・・・。

 

日本酒ピンバッジ倶楽部

「またいつの日か・・・。」


武田酒造「媛一会(ひめいちえ)」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-03-11 19:42:27 | 愛媛の酒

 武田酒造さんは、愛媛県東部の西条市にあります。

 この地は、道前平野が広がり、北は瀬戸内海に面し、南は西日本最高峰の石鎚山(標高1,982m)を中心とする石鎚連峰を背にし、瀬戸内海地方特有の温暖な気候に恵まれています。特に石鎚山は、約1330年前に修験道の開祖である役小角が開いたとされ、多くの修験道者が修行し、長く女人禁制でした。また、信仰の拠点となる石鎚神社、前神寺、極楽寺、横峰寺などがあり、山そのものに深い畏敬の念を抱かれていたために森林は無闇な開発を逃れ、生い茂る木々は「自然のダム」としての機能を維持してきました。これにより、西条市内の広範囲にわたり地下水の自噴井「うちぬき」がみられ、その数は約3,000本といわれ、1日の自噴量は約13万㎥にも及んでいます。1985年(昭和60年)には環境庁より「名水百選」に選定され、水質の良さは折り紙付きです。

 創業者の武田近平氏は仲買業と萬屋(よろずや)を兼務する傍ら、自らが嗜むお酒は自らが造ろうと思い立ち、1904年(明治37年)現在の地(愛媛県西条市三芳)に創業し、1952年(昭和27年)に武田酒造株式会社に改名し、現在に至ります。

 

武田昇三 杜氏 は、1977年生まれで、2002年3月に広島工業大学環境デザイン学科を卒業後、建設会社勤務を経て、実家である武田酒造株式会社に就職しました。

 それまで、同社の杜氏を長年勤めていたのは、四国最多の歴史と伝統を誇る西宇和郡伊方杜氏の中にあっても屈指の銘杜氏といわれた上田益男 杜氏でした。そのもとで、8年間修業し、2013年から杜氏として酒造りを始めます。

 「媛一会」は、武田酒造が2010年に販売開始し、武田杜氏自身が中心となり立ち上げた新銘柄で“愛媛”と“一期一会”に由来します。少しずつ丁寧に醸し、小槽搾りにこだわり、雑味の無いまろやかな味に仕上げたそうです。また、大学時代の知識を生かしラベルデザインも自身で手掛け、ラベルの「●」は、円をあらわし「円=ご縁」を意味しています。

 武田杜氏は、お酒造りについて自社のHPで以下のように語っています。「酒造業界も機械化・デジタル化が進んでいますが、自分の肌で感じるものが真実だと考え、手造りにこだわりながら酒造りに精進しています。味や香りはもちろん、麹の見た目や感触、米が発酵するときに出る泡が弾ける音などを五感でフルに感じながら真実を見極め、いつか自分にしか造れない“一本筋の通った日本酒”を造ることが目標です」

 

「円=ご縁」と「一会」のデザインのとっても素敵なピンバッジ、私たちの最後の応援にふさわしいものとなりました。

 


近藤酒造「はなひめさくら 赤 雅」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-03-06 17:50:52 | 愛媛の酒

 2023年5月20日に撫養街道大麻・酒の陣が開催されました。

 近藤酒造の近藤敬子杜氏から、以前のボトルタイプのピンバッジに加え新たにラベルタイプを造ってほしいとお声がけいただきました。

二つ目という事もあり、いいピンバッジにしたいという近藤杜氏の意気込みが感じられ、ご要望をできる限りデザインに反映し、とっても華やかなピンバッジができました。

 


稲田本店「稲田姫」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-02-29 14:56:22 | 鳥取の酒

 江戸時代1673年より続く稲田本店は、大山山麓の豊かな自然に囲まれた鳥取県米子市にあり、清酒「稲田姫」「トップ水雷」の銘柄があります。

 「いい水」と「いい米」があり、そして酒造りに情熱を傾ける蔵人、杜氏・信木真一は、先代杜氏・折坂薫の「お酒造りとは心が全てである」という想いを引継ぎ酒造りをしており、これらすべて一体となり『稲田の酒』は生まれます。

ピンバッジは、山田錦を30%まで磨き醸した「純米大吟醸稲田姫30原酒」のボトルをそのままデザインしました。


ヨイキゲン「酔機嫌」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-02-14 18:28:44 | 岡山の酒

 ヨイキゲン株式会社の創業1907年(明治40年)、かつては鍛冶屋を家業としていましたが、初代の渡辺捨吉さんが現在の倉敷市真備町服部で酒造りを始め、高梁川の支流である小田川の伏流水と弥高山から流れてくる山水を仕込み水として使っていました。

 屋号は「富貴(ふき)」、商標は「富禄正宗(ふろくまさむね)」で、1921年(大正10年)の「清酒品評会」には優等賞を受賞、1924年(大正13年)には「全国酒類醤油品評会」にて一等賞を受賞しています。

 その後、二代目渡辺巌さんの時、商標を「酔機嫌(よいきげん)」としましたが、製造量が増えるにつれ醸造用水の確保に難儀し、創業から60年目の1967年(昭和42年)には現在の地、総社市清音に移転しました。

 日本酒の出荷ピークは1973年(昭和48年)です。

 当時は桶売り(未納税移出)用の製造が盛んで、伸び続ける出荷量に対応すべく、2000坪の用地を確保し設備の増設を行いました。しかし、やがて桶売りの量も減り、1975~1984年(昭和50年代)の焼酎ブームの時期に蔵では蒸留設備を導入し、米焼酎の製造を始めます。

やがて平成に入り、社会的な変化や酒類の多様性の時代となり、量よりも質の良い酒を少量だけ嗜む傾向が見受けられ、その市場の変化に伴い、多くの一般酒販店が廃業し、売上も激減する中、かつての主要販売酒、普通酒の販売も苦戦し、50年前移転当時の設備と広大な敷地を維持し経営することが困難になりました。

 そして、2018年(平成30年)に酒蔵を大改革し、今まで長年造り続けていた普通酒の製造を完全に止め、土地の大部分を売却、特定名称酒以上の日本酒を造ることを決断します。製造設備の見直しを行い、製造蔵の空調完備や少量甑、新たな麹室の導入を進め、今まで酒造りで得てきた知識と技術を基に、ヨイキゲンの酒造りは、料理の味わいを引き立てる食中酒として適度な旨みと控えめな香り、貯蔵により適度に熟成された味を目指しています。