江戸時代1673年より続く稲田本店は、大山山麓の豊かな自然に囲まれた鳥取県米子市にあり、清酒「稲田姫」「トップ水雷」の銘柄があります。
「いい水」と「いい米」があり、そして酒造りに情熱を傾ける蔵人、杜氏・信木真一は、先代杜氏・折坂薫の「お酒造りとは心が全てである」という想いを引継ぎ酒造りをしており、これらすべて一体となり『稲田の酒』は生まれます。
ピンバッジは、山田錦を30%まで磨き醸した「純米大吟醸稲田姫30原酒」のボトルをそのままデザインしました。
江戸時代1673年より続く稲田本店は、大山山麓の豊かな自然に囲まれた鳥取県米子市にあり、清酒「稲田姫」「トップ水雷」の銘柄があります。
「いい水」と「いい米」があり、そして酒造りに情熱を傾ける蔵人、杜氏・信木真一は、先代杜氏・折坂薫の「お酒造りとは心が全てである」という想いを引継ぎ酒造りをしており、これらすべて一体となり『稲田の酒』は生まれます。
ピンバッジは、山田錦を30%まで磨き醸した「純米大吟醸稲田姫30原酒」のボトルをそのままデザインしました。
ヨイキゲン株式会社の創業1907年(明治40年)、かつては鍛冶屋を家業としていましたが、初代の渡辺捨吉さんが現在の倉敷市真備町服部で酒造りを始め、高梁川の支流である小田川の伏流水と弥高山から流れてくる山水を仕込み水として使っていました。
屋号は「富貴(ふき)」、商標は「富禄正宗(ふろくまさむね)」で、1921年(大正10年)の「清酒品評会」には優等賞を受賞、1924年(大正13年)には「全国酒類醤油品評会」にて一等賞を受賞しています。
その後、二代目渡辺巌さんの時、商標を「酔機嫌(よいきげん)」としましたが、製造量が増えるにつれ醸造用水の確保に難儀し、創業から60年目の1967年(昭和42年)には現在の地、総社市清音に移転しました。
日本酒の出荷ピークは1973年(昭和48年)です。
当時は桶売り(未納税移出)用の製造が盛んで、伸び続ける出荷量に対応すべく、2000坪の用地を確保し設備の増設を行いました。しかし、やがて桶売りの量も減り、1975~1984年(昭和50年代)の焼酎ブームの時期に蔵では蒸留設備を導入し、米焼酎の製造を始めます。
やがて平成に入り、社会的な変化や酒類の多様性の時代となり、量よりも質の良い酒を少量だけ嗜む傾向が見受けられ、その市場の変化に伴い、多くの一般酒販店が廃業し、売上も激減する中、かつての主要販売酒、普通酒の販売も苦戦し、50年前移転当時の設備と広大な敷地を維持し経営することが困難になりました。
そして、2018年(平成30年)に酒蔵を大改革し、今まで長年造り続けていた普通酒の製造を完全に止め、土地の大部分を売却、特定名称酒以上の日本酒を造ることを決断します。製造設備の見直しを行い、製造蔵の空調完備や少量甑、新たな麹室の導入を進め、今まで酒造りで得てきた知識と技術を基に、ヨイキゲンの酒造りは、料理の味わいを引き立てる食中酒として適度な旨みと控えめな香り、貯蔵により適度に熟成された味を目指しています。
道後ビール(どうごビール)は、愛媛県松山市の水口酒造が製造、販売する地ビールのブランド名で、1996年6月にビール製造免許を取得し、同年8月に販売を開始ししました。
同年11月にはブルワリー直営のビアレストラン道後麦酒館を道後温泉本館の隣にオープンさせています。
道後ビールは、夏目漱石の小説『坊つちやん』に因み、4種類あります。
ケルシュ:通称「坊ちゃんビール」
2000年ジャパン・ビア・グランプリ銅賞
淡色麦芽を使用し、一番絞りの麦汁だけを使った、キレの良さと、さっぱりした味わいが特徴です。
ピンバッジはケルシュボトルをモデルにしました。
アルト:通称「マドンナビール」
2000年ジャパン・ビア・グランプリ銀賞
厳選された良質のモルトをたっぷり使い、カラメル麦芽をたっぷり使った、深みのある色合い、ほのかに甘味のあるビールです。
スタウト:通称「漱石ビール」ご存じ夏目漱石!
2000年ジャパン・ビア・グランプリ金賞
ローストした香ばしい香りと苦味を持つ、深い色合いのビールで、コクのある本格的なうまさが特徴です。
ヴァイツェン:通称「のぼさんビール」高浜虚子のことですね。
ドイツ・バイエルン地方で発展した ビールで、小麦麦芽を使い、苦みが 少なく、口当たりの良さとフルーティーなバナナの香りが特徴の女性にもぴったりのビールです。
文学的なバックボーンのある地ビール、皆様、道後温泉にお越しの説は、湯上りに是非道後ビールを!
歴史が古い日本の温泉で、日本三古湯(にほんさんことう)と呼ばれるものがあります。
これには2つの説があり、
書紀、風土記に登場する三古湯、道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)と延喜式神名帳に基づく三古湯、道後温泉、有馬温泉、いわき湯本温泉(福島県)です。
愛媛県の道後温泉は、そのどちらにも挙げられていおり、歴史は古く、三千年の歴史があるといわれています。始まりは、足に傷を負った白鷺が岩間から湧き出る湯に足を浸していた所、何日か後には、すっかり傷が癒え飛び立っていったという事を見ていた人々が傷を癒した温泉「熟田津の温泉(にきたつのゆ)」がその後の「道後温泉」となっていったということです。後世、この伝説を記念し、鷺石と称する石を置き、現在は道後温泉駅前の放生園に移され、保存されています。
水口酒造の仁喜多津の銘は、「仁愛と喜び多き津渡」の意を込めて誕生した道後の地酒ですが、
万葉集 第一巻 8番歌 額田王の歌の「にきたつ」からといわれています。
『熟田津に船乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな』
(にぎたつに ふなのりせむと つきまてば
しほもかなひぬ いまはこぎいでな)
熟田津で 船出しようと 月の出を待って いると
潮も幸い満ちて来た さあ今こそ 漕ぎ出そうぞ
この歌は、661 年(斉明 7 年)に、唐・新羅軍の攻撃を受け、滅亡に瀕した百済国救済のため、救援軍は 難波津(大阪)を出発し、1月14 日に伊予国 熟田津の石湯の行宮に立ち寄ります。伊予で軍備、水軍力の確保強化を終え、満を辞して熟田津から九州の娜大津(現在の博多港)に向けて軍船団が出航する際に額田王が斉明天皇に代わり、渾身の力を込めて鼓舞するために、この歌を詠んだといわれています。
仁喜多津 大吟醸酒
酒造好適米「山田錦」を35%まで磨き上げ、仕込み水には熟田津の良水 を使用しました。フルーティーな味わいと、独特の立ち香、含み香のある大吟醸ならではの華やかな味わいが特徴です。一世紀以上に渡る歴史の中で育まれてきた蔵人の技が生きる逸品です。
歴史ある温泉町唯一の日本酒の銘柄には、歴史ある有縁があるのですね。
水口酒造は、1895年(明治28年)初代水口大七郎によって誕生致しました。創業以来、「道後温泉本館」と共に歩み続け、愛媛・松山・道後地区唯一の造り酒屋です。以来、百二十余年。時代は移り変わっても、その頑固なまでの味へのこだわりは変わることはありません。遠く万葉に「熟田津」と謳われた伊予・道後の名をいただく清酒「仁喜多津」は、「仁愛と喜び多き津渡」の意を込めて誕生した道後の地酒で、水口酒造創業以来、明治、大正、昭和、平成と一世紀以上に渡る歴史の中で磨きあげられてきた、酒造りの伝統と、蔵人たちの巧みな技が生きる逸品です。
ピンバッジは、非売品の仁喜多津 大吟醸酒 原酒
全国新酒鑑評会 最高位「金賞」に通算7度受賞したプレミアムな1本。仕込み水には熟田津の良水を使い、米は粒よりの山田錦を磨き上げたその味わいは、明治幼年の創業以来、一世紀以上に渡る歴史の中で育まれてきた蔵人の技が生きる逸品です。「袋搾り」を行う事により、ふくよかでありながら、独特のエレガントな立ち香、含み香のある上質な余韻と味わいをお楽しみ下さい。