日本酒ピンバッジ倶楽部

2021年3月26日、関西に住む日本酒呑み仲間と「日本酒ピンバッジ倶楽部」を発足しました。

武田酒造「媛一会(ひめいちえ)」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-03-11 19:42:27 | 愛媛の酒

 武田酒造さんは、愛媛県東部の西条市にあります。

 この地は、道前平野が広がり、北は瀬戸内海に面し、南は西日本最高峰の石鎚山(標高1,982m)を中心とする石鎚連峰を背にし、瀬戸内海地方特有の温暖な気候に恵まれています。特に石鎚山は、約1330年前に修験道の開祖である役小角が開いたとされ、多くの修験道者が修行し、長く女人禁制でした。また、信仰の拠点となる石鎚神社、前神寺、極楽寺、横峰寺などがあり、山そのものに深い畏敬の念を抱かれていたために森林は無闇な開発を逃れ、生い茂る木々は「自然のダム」としての機能を維持してきました。これにより、西条市内の広範囲にわたり地下水の自噴井「うちぬき」がみられ、その数は約3,000本といわれ、1日の自噴量は約13万㎥にも及んでいます。1985年(昭和60年)には環境庁より「名水百選」に選定され、水質の良さは折り紙付きです。

 創業者の武田近平氏は仲買業と萬屋(よろずや)を兼務する傍ら、自らが嗜むお酒は自らが造ろうと思い立ち、1904年(明治37年)現在の地(愛媛県西条市三芳)に創業し、1952年(昭和27年)に武田酒造株式会社に改名し、現在に至ります。

 

武田昇三 杜氏 は、1977年生まれで、2002年3月に広島工業大学環境デザイン学科を卒業後、建設会社勤務を経て、実家である武田酒造株式会社に就職しました。

 それまで、同社の杜氏を長年勤めていたのは、四国最多の歴史と伝統を誇る西宇和郡伊方杜氏の中にあっても屈指の銘杜氏といわれた上田益男 杜氏でした。そのもとで、8年間修業し、2013年から杜氏として酒造りを始めます。

 「媛一会」は、武田酒造が2010年に販売開始し、武田杜氏自身が中心となり立ち上げた新銘柄で“愛媛”と“一期一会”に由来します。少しずつ丁寧に醸し、小槽搾りにこだわり、雑味の無いまろやかな味に仕上げたそうです。また、大学時代の知識を生かしラベルデザインも自身で手掛け、ラベルの「●」は、円をあらわし「円=ご縁」を意味しています。

 武田杜氏は、お酒造りについて自社のHPで以下のように語っています。「酒造業界も機械化・デジタル化が進んでいますが、自分の肌で感じるものが真実だと考え、手造りにこだわりながら酒造りに精進しています。味や香りはもちろん、麹の見た目や感触、米が発酵するときに出る泡が弾ける音などを五感でフルに感じながら真実を見極め、いつか自分にしか造れない“一本筋の通った日本酒”を造ることが目標です」

 

「円=ご縁」と「一会」のデザインのとっても素敵なピンバッジ、私たちの最後の応援にふさわしいものとなりました。

 


近藤酒造「はなひめさくら 赤 雅」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-03-06 17:50:52 | 愛媛の酒

 2023年5月20日に撫養街道大麻・酒の陣が開催されました。

 近藤酒造の近藤敬子杜氏から、以前のボトルタイプのピンバッジに加え新たにラベルタイプを造ってほしいとお声がけいただきました。

二つ目という事もあり、いいピンバッジにしたいという近藤杜氏の意気込みが感じられ、ご要望をできる限りデザインに反映し、とっても華やかなピンバッジができました。

 


水口酒造「道後ビール」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-02-06 16:43:04 | 愛媛の酒

 道後ビール(どうごビール)は、愛媛県松山市の水口酒造が製造、販売する地ビールのブランド名で、1996年6月にビール製造免許を取得し、同年8月に販売を開始ししました。

 同年11月にはブルワリー直営のビアレストラン道後麦酒館を道後温泉本館の隣にオープンさせています。

 

 道後ビールは、夏目漱石の小説『坊つちやん』に因み、4種類あります。

ケルシュ:通称「坊ちゃんビール」 

 2000年ジャパン・ビア・グランプリ銅賞

 淡色麦芽を使用し、一番絞りの麦汁だけを使った、キレの良さと、さっぱりした味わいが特徴です。

 ピンバッジはケルシュボトルをモデルにしました。

アルト:通称「マドンナビール」

 2000年ジャパン・ビア・グランプリ銀賞

 厳選された良質のモルトをたっぷり使い、カラメル麦芽をたっぷり使った、深みのある色合い、ほのかに甘味のあるビールです。

 

 スタウト:通称「漱石ビール」ご存じ夏目漱石!

 2000年ジャパン・ビア・グランプリ金賞

 ローストした香ばしい香りと苦味を持つ、深い色合いのビールで、コクのある本格的なうまさが特徴です。

 

 ヴァイツェン:通称「のぼさんビール」高浜虚子のことですね。

 ドイツ・バイエルン地方で発展した ビールで、小麦麦芽を使い、苦みが 少なく、口当たりの良さとフルーティーなバナナの香りが特徴の女性にもぴったりのビールです。

 

文学的なバックボーンのある地ビール、皆様、道後温泉にお越しの説は、湯上りに是非道後ビールを!


水口酒造「仁喜多津 大吟醸酒」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-02-06 15:53:40 | 愛媛の酒

 歴史が古い日本の温泉で、日本三古湯(にほんさんことう)と呼ばれるものがあります。

 これには2つの説があり、

 書紀、風土記に登場する三古湯、道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)と延喜式神名帳に基づく三古湯、道後温泉、有馬温泉、いわき湯本温泉(福島県)です。

 愛媛県の道後温泉は、そのどちらにも挙げられていおり、歴史は古く、三千年の歴史があるといわれています。始まりは、足に傷を負った白鷺が岩間から湧き出る湯に足を浸していた所、何日か後には、すっかり傷が癒え飛び立っていったという事を見ていた人々が傷を癒した温泉「熟田津の温泉(にきたつのゆ)」がその後の「道後温泉」となっていったということです。後世、この伝説を記念し、鷺石と称する石を置き、現在は道後温泉駅前の放生園に移され、保存されています。

水口酒造の仁喜多津の銘は、「仁愛と喜び多き津渡」の意を込めて誕生した道後の地酒ですが、

万葉集 第一巻 8番歌 額田王の歌の「にきたつ」からといわれています。

『熟田津に船乗りせむと月待てば

 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな』

(にぎたつに ふなのりせむと つきまてば 

 しほもかなひぬ いまはこぎいでな)

 熟田津で 船出しようと 月の出を待って いると 

 潮も幸い満ちて来た さあ今こそ 漕ぎ出そうぞ

 

 この歌は、661 年(斉明 7 年)に、唐・新羅軍の攻撃を受け、滅亡に瀕した百済国救済のため、救援軍は 難波津(大阪)を出発し、1月14 日に伊予国 熟田津の石湯の行宮に立ち寄ります。伊予で軍備、水軍力の確保強化を終え、満を辞して熟田津から九州の娜大津(現在の博多港)に向けて軍船団が出航する際に額田王が斉明天皇に代わり、渾身の力を込めて鼓舞するために、この歌を詠んだといわれています。 

仁喜多津 大吟醸酒

 酒造好適米「山田錦」を35%まで磨き上げ、仕込み水には熟田津の良水 を使用しました。フルーティーな味わいと、独特の立ち香、含み香のある大吟醸ならではの華やかな味わいが特徴です。一世紀以上に渡る歴史の中で育まれてきた蔵人の技が生きる逸品です。

歴史ある温泉町唯一の日本酒の銘柄には、歴史ある有縁があるのですね。


水口酒造「仁喜多津 大吟醸酒 原酒」日本酒ピンバッジ倶楽部

2024-02-06 15:31:09 | 愛媛の酒

 水口酒造は、1895年(明治28年)初代水口大七郎によって誕生致しました。創業以来、「道後温泉本館」と共に歩み続け、愛媛・松山・道後地区唯一の造り酒屋です。以来、百二十余年。時代は移り変わっても、その頑固なまでの味へのこだわりは変わることはありません。遠く万葉に「熟田津」と謳われた伊予・道後の名をいただく清酒「仁喜多津」は、「仁愛と喜び多き津渡」の意を込めて誕生した道後の地酒で、水口酒造創業以来、明治、大正、昭和、平成と一世紀以上に渡る歴史の中で磨きあげられてきた、酒造りの伝統と、蔵人たちの巧みな技が生きる逸品です。

 

 ピンバッジは、非売品の仁喜多津 大吟醸酒 原酒

 全国新酒鑑評会 最高位「金賞」に通算7度受賞したプレミアムな1本。仕込み水には熟田津の良水を使い、米は粒よりの山田錦を磨き上げたその味わいは、明治幼年の創業以来、一世紀以上に渡る歴史の中で育まれてきた蔵人の技が生きる逸品です。「袋搾り」を行う事により、ふくよかでありながら、独特のエレガントな立ち香、含み香のある上質な余韻と味わいをお楽しみ下さい。