Enchanted Serendipity

Love generously, praise loudly, live fully.

生きること 死ぬこと

2012-01-26 | bubble
Seeking God's intention...

毎日鬱々としていて、
病院に行きたくない行きたくないと思いながら出勤していた日々が続いていたというのは
前にも書いた通り。

でも、何か自分にとって辛いというかきついというか楽しくないというか
とにかくマイナスなことがあるのは、神様がそこから何かに気づかせたいからだと
信じているので、ずっと
Seeking God's intention
とつぶやいていた。

ひとつ、God's intentionはこれなのかもと思うことに出会った気がする。
これなのかもと思ったことがひとつだけある。

と、その前に...

私は人の死というものが良く分からない。
当然だけど、自分が経験したことがないので、理解できない。
理解できなかったり、分からないものに私は違和感を覚える。
ま、人間誰しもそうかもしれないけれど。

そして、何よりも私は研修をはじめて10ヶ月目であるが、
自分の担当患者を亡くしたことが1度しかない。

亡くなった方は、植物状態になってしまっていた方で、
正直、いつ亡くなってもおかしくない方だった。
そして亡くなったのは私が研修医向けのセミナーに出席するため不在にしているときだった。

自分が担当からはずれたら亡くなるパターンは何度かあったが、私が主治医の1人でいるうちは
亡くなった人はいないといっても過言ではない。

だから、思い入れのある方がなくなった経験は医者になってからはない。

でも、自分の経験から、死というものは未知のことではあるけれども、
生きている以上避けられないものであり、『生きる』ということとセットであり、
『生きる』ことは『死ぬ』ことと思ってきた。

自分のテーマが『生きるとは』であるので、もしかしたら違う見方をすれば
『死ぬとは』ということにもとれる。

救命にきて、これまでに経験したことのないスピードで『死』のwitnessとなっている。
満床でもう救急車は受けられませんというときでも、
来てももう助からないであろうCPA心肺機能停止状態の人は受け入れたりする。
時に、すでに亡くなってしまった人を受け入れることもある。
そして、自分で自分を手にかけた人も・・・

正直、『死』を経験するのは決して気持ちのいいことではない。

興味がそれなりにあるからこそ、ある意味、
『死』というものに対して畏怖の念があるのかもしれない。

まず、『生きるとは』という答えも見つかっていない私ごときの小娘に、
『死ぬこと』を理解することも知ることもできるわけがないのだけれど、
やっぱり興味深いテーマであることは確かである。

書き始めたはいいものの、収束点がまったくみつからないテーマなので、
まとまらなくなってきてしまった...

これだけ多くの『死』のwitnessとなり、
『生きること』と『死ぬこと』は表裏一体であり、
決して切り離すことができないことであるということは実感できたことは事実である。

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