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最近、テレビでは、誰かが喋っている内容を、字幕で表示することが多くなっています。
「飾り文字」なども多用して、内容を、耳だけでなく目でも確認でき、なかなか面白い手法だと思います。
ただ気にかかるのは、誤字がやたらに多いことですが、まあ、テレビ局の方も忙しいでしょうから、多少の校正間違いには目を瞑りましょう。
また、若手芸能人の中には、平気でおかしな表現をする者もいますが、若い奴なら、これも勉強不足ということで大目に見てもいいでしょう。
ただ残念なのは、その若手が中堅の年齢になっても、喋り方に全く進歩がなく、勉強不足のままでいるのは頂けません。
さらには、呆れたことに、とあるコマーシャルの科白で「全然いいね」というのがあり、私は、コピーライター氏の良識を疑いました。
(「全然~否定表現」の文法に異論があることは承知していますが、今日はあえて触れません)
テレビは言葉が商売道具です。
それならば、自分の商売道具には、もっと責任と誇りを持たねばなりません。
もし、寿司屋が腐ったネタを客に出したらどうなるでしょう。
責任と誇りのある寿司屋なら、その日のうちに暖簾を畳むでしょうね。
前述のコピーライター氏は、大切な商売道具を自ら台無しにしてしまったわけで、もはやコピーライターとして飯を食う資格はありません。
さて、「そう言うお前の日本語はどうなんだ」というご批判は、聞こえなかったことにして・・・
幼児の英語教育が盛んになっています。
小さい頃から英語に親しんでいれば、大きくなって苦労せずに済む、ということでしょうが、私はこの考え方に大反対で、2人の息子にも、英語教育など施していません。
私たちは、中学・高校と6年間も英語を勉強していながら、大学の英文科へ進学したり、学校以外で猛勉強したとかいった人を除いて、たいていの人は、外国人との簡単な英会話さえできません。
その反動で、私たちは、英語が喋れる人を無条件で尊敬し、頭のいい人だと思ってしまいます。
しかし、それを通り越して、「英語さえ喋れれば、頭が良くなるんだ」と思い、「子供には、とにかく英語を」と考えていないでしょうか。
現にそうしている方には失礼ですが、それは大いなる勘違いです。
たしかに、小さい頃から英語に親しんでいれば、発音の正確さなども含め、英語力は身につくと思いますが、母国語である、日本語力のほうはどうでしょう。
もし、子供を英語教室に通わせていて、英語はそこそこ喋れるようになっていたとしても、学校で、国語の成績が芳しくなかったとしたら、こんな本末転倒はありません。
日本語力とは、単に語学力の問題ではありません。
日本の風俗、歴史、習慣、そして日本語の文法による論理構成(駄文の最後に例示しています)など、外国人が決して真似のできない部分にこそ、真の日本語力が潜んでいます。
たとえば、すらすらと日本語を話す欧米人でも、「侘び・寂び」「謙譲語」「そこはかとなく」などは理解できないといいます。
ここが母国語と外国語の違いです。
母国語を最もよく覚える幼児期には、言葉一つひとつの意味、漢字一つひとつの意味、文法、文章の読解力や、さらに歴史的背景や語源など、母国語をしっかり教えなければなりません。
母国語を、さらには、言語というものの基本構造をしっかり理解していれば、英語に限らず、その他の外国語だって言語には違いないのですから、覚えるべきものを覚え、理解するべきものを理解しさえすれば、何カ国語でも習得可能です。
逆に、母国語さえ満足に喋れず、名詞や動詞・形容詞、主語や述語・目的語の区別もつかないような奴に、外国語など到底会得できるはずがありません。
その証拠に、外国語の教科書や参考書といえども、解説は、日本語で書かれているでしょう?
日本語の文法を理解していないくせに、日本語で書かれた外国語文法の解説を理解できる者など、いるわけがありません。
国語の先生には、そうした点、もっと頑張ってもらいたいものです。
そして、しっかりした読解力で吸収した知識と知恵を基に、優れた理解力で外国語を習得したならば、豊かな表現力を以って、きっと国際人として活躍できるはずです。
私が敬愛する、ジョン・レノンの好きな日本語は「おかげさま」だったそうです。
世話になったことなどないはずの、初対面の人に対しても「おかげさま」と言う、日本人の、他人への気遣いの心を、イギリス人のジョンが理解していたというのは、オノ・ヨーコと一心同体だった、彼ならではのことだと思います。
日本語を母国語とする諸兄諸姉、「おかげさま」という言葉を、こんなに大切に扱ったことがありますか?
もう一度、わが母国語を、見直してみませんか?
蛇足ですが、最近の小学生は算数で、計算問題はよくできるのに、文章問題が解けない傾向にあると言われます。
しかしそれは、問題文の意味や、何を問われているのか、そして問いに対する正しい答え方は何か、ということが分からないからで、つまりは、算数ができないのではなく、国語ができないからなのです。
・・・ということを、ある機会に、学校の先生に話したら、「正にそのとおり」と賛同してくれ、私は、我が意を得たり、という思いでした。
さて最後に、前述の通り、「日本語の文法による論理構成」の例を紹介します。
たとえば自分の家族を紹介するとき、日本語なら、
「父、母、姉、私、弟、これだけです。」と言いますね。
これが英語なら、
「Father,mother,sister,me,brother,that's all.」となります。
太字・下線部の論理構成、すなわち、日本語による思考回路と、英語(に代表されるラテン語系言語)による思考回路の、違いが分かりますか?
分かっている方には、駄文は、釈迦に説法でしたね。
最近、テレビでは、誰かが喋っている内容を、字幕で表示することが多くなっています。
「飾り文字」なども多用して、内容を、耳だけでなく目でも確認でき、なかなか面白い手法だと思います。
ただ気にかかるのは、誤字がやたらに多いことですが、まあ、テレビ局の方も忙しいでしょうから、多少の校正間違いには目を瞑りましょう。
また、若手芸能人の中には、平気でおかしな表現をする者もいますが、若い奴なら、これも勉強不足ということで大目に見てもいいでしょう。
ただ残念なのは、その若手が中堅の年齢になっても、喋り方に全く進歩がなく、勉強不足のままでいるのは頂けません。
さらには、呆れたことに、とあるコマーシャルの科白で「全然いいね」というのがあり、私は、コピーライター氏の良識を疑いました。
(「全然~否定表現」の文法に異論があることは承知していますが、今日はあえて触れません)
テレビは言葉が商売道具です。
それならば、自分の商売道具には、もっと責任と誇りを持たねばなりません。
もし、寿司屋が腐ったネタを客に出したらどうなるでしょう。
責任と誇りのある寿司屋なら、その日のうちに暖簾を畳むでしょうね。
前述のコピーライター氏は、大切な商売道具を自ら台無しにしてしまったわけで、もはやコピーライターとして飯を食う資格はありません。
さて、「そう言うお前の日本語はどうなんだ」というご批判は、聞こえなかったことにして・・・
幼児の英語教育が盛んになっています。
小さい頃から英語に親しんでいれば、大きくなって苦労せずに済む、ということでしょうが、私はこの考え方に大反対で、2人の息子にも、英語教育など施していません。
私たちは、中学・高校と6年間も英語を勉強していながら、大学の英文科へ進学したり、学校以外で猛勉強したとかいった人を除いて、たいていの人は、外国人との簡単な英会話さえできません。
その反動で、私たちは、英語が喋れる人を無条件で尊敬し、頭のいい人だと思ってしまいます。
しかし、それを通り越して、「英語さえ喋れれば、頭が良くなるんだ」と思い、「子供には、とにかく英語を」と考えていないでしょうか。
現にそうしている方には失礼ですが、それは大いなる勘違いです。
たしかに、小さい頃から英語に親しんでいれば、発音の正確さなども含め、英語力は身につくと思いますが、母国語である、日本語力のほうはどうでしょう。
もし、子供を英語教室に通わせていて、英語はそこそこ喋れるようになっていたとしても、学校で、国語の成績が芳しくなかったとしたら、こんな本末転倒はありません。
日本語力とは、単に語学力の問題ではありません。
日本の風俗、歴史、習慣、そして日本語の文法による論理構成(駄文の最後に例示しています)など、外国人が決して真似のできない部分にこそ、真の日本語力が潜んでいます。
たとえば、すらすらと日本語を話す欧米人でも、「侘び・寂び」「謙譲語」「そこはかとなく」などは理解できないといいます。
ここが母国語と外国語の違いです。
母国語を最もよく覚える幼児期には、言葉一つひとつの意味、漢字一つひとつの意味、文法、文章の読解力や、さらに歴史的背景や語源など、母国語をしっかり教えなければなりません。
母国語を、さらには、言語というものの基本構造をしっかり理解していれば、英語に限らず、その他の外国語だって言語には違いないのですから、覚えるべきものを覚え、理解するべきものを理解しさえすれば、何カ国語でも習得可能です。
逆に、母国語さえ満足に喋れず、名詞や動詞・形容詞、主語や述語・目的語の区別もつかないような奴に、外国語など到底会得できるはずがありません。
その証拠に、外国語の教科書や参考書といえども、解説は、日本語で書かれているでしょう?
日本語の文法を理解していないくせに、日本語で書かれた外国語文法の解説を理解できる者など、いるわけがありません。
国語の先生には、そうした点、もっと頑張ってもらいたいものです。
そして、しっかりした読解力で吸収した知識と知恵を基に、優れた理解力で外国語を習得したならば、豊かな表現力を以って、きっと国際人として活躍できるはずです。
私が敬愛する、ジョン・レノンの好きな日本語は「おかげさま」だったそうです。
世話になったことなどないはずの、初対面の人に対しても「おかげさま」と言う、日本人の、他人への気遣いの心を、イギリス人のジョンが理解していたというのは、オノ・ヨーコと一心同体だった、彼ならではのことだと思います。
日本語を母国語とする諸兄諸姉、「おかげさま」という言葉を、こんなに大切に扱ったことがありますか?
もう一度、わが母国語を、見直してみませんか?
蛇足ですが、最近の小学生は算数で、計算問題はよくできるのに、文章問題が解けない傾向にあると言われます。
しかしそれは、問題文の意味や、何を問われているのか、そして問いに対する正しい答え方は何か、ということが分からないからで、つまりは、算数ができないのではなく、国語ができないからなのです。
・・・ということを、ある機会に、学校の先生に話したら、「正にそのとおり」と賛同してくれ、私は、我が意を得たり、という思いでした。
さて最後に、前述の通り、「日本語の文法による論理構成」の例を紹介します。
たとえば自分の家族を紹介するとき、日本語なら、
「父、母、姉、私、弟、これだけです。」と言いますね。
これが英語なら、
「Father,mother,sister,me,brother,that's all.」となります。
太字・下線部の論理構成、すなわち、日本語による思考回路と、英語(に代表されるラテン語系言語)による思考回路の、違いが分かりますか?
分かっている方には、駄文は、釈迦に説法でしたね。