☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

夢かまぼろしか、

2005-05-29 | 今日の幸せ
先日、某氏とお茶を飲みながら話しをしていて、ふと、大学時代に、仲のよかったクラスメートと、お茶を飲んで、延々と話をしていたときの感覚を思い出した。

その後、いろんな経験をして、現在があるはずなのに、心理的に、当時とまったく変わらない自分が一瞬現れたことに、ビックリした。

歳をとって、体力もおとろえ、皺も増えてるはずなのに、若いときの心理に戻ってる。

同居人の品物は、確かにたくさん残ってる。 一緒に過ごした長い年月の記憶もある。
私は、マメに日記をつけるので、これまでの記録を読み返せば、確かに、私の身の上に起こった出来事だと、納得できる。

それでも、記憶としてあるものが、まるで、何冊かの本が飾ってあるだけで、現在の私の状況に、もはや、なんの影響も与えてない。 と思われる。

つまり、私は、これからどのような道を選択しても許される状況に陥っているのである。

こんな考え方をする私を危なっかしいと思うのか、とりあえず、一人旅をいくつか計画した私の話をきいた知り合いが、一緒についていってもいい? と言い始めた。

さて、どのようになるでしょうかね。(^o^)

初月忌

2005-05-29 | 今日の幸せ
時間が解決するよ

どんな辛いことでも、「時間が解決してくれるよ」
そうなのでしょうね。

不思議なもので、生きていればいろんな経験をして、果たしてこの胸の塞がる思いは、いつになったら消えるのだろうか、と思う事がたくさんある。

酔っぱらいの車に突っ込まれて亡くなった高校生の親御さん、犯人を怨んでも、仮に死刑になっても、割り切れない思いは、一生消えないことでしょう。

昨日は、息子が突然なくなってから1ヶ月。 高速で片道2時間、頻繁にはお墓参りにいけないけど、お花やさくらんぼやコーラ、お煎餅など持って線香をあげてきました。

お墓や、お仏壇について、どう思うかはいろいろですが、そのものを通じて、亡き人を思い出すよすがとする。 どこにいても、思うことは可能だけど、具体的なものがあったほうが、生きてるものにとっては、楽なのだと思います。

いろいろあるけれども、父親の方の先祖代々の家にいれてもらってよかったと思います。 糖尿で、目がかなり不自由になり、歩くのも、誰かの支えがないと難しくなった、それでも言葉と頭の方はしっかりしているおばあちゃんが、納骨のあと、毎日のように、お参りにいってくれてるそうです。 お墓の前に座って、何を思ってくれてるのでしょう。  

わずか2年だったけれども、同居して楽しく過ごした記憶が、いつまでも残ってます。 産まれて初めて発作を起こしたのがこの同居中でした。 昔の人は癲癇というと「狐憑き」などという言葉がでてきて、息子の発作に関しても、癲癇であることを認めようとしなかった。障害があるのは、先祖に問題がある、などという言葉に反感を感じたこともあります。 それを薄めてくれたのが、シベリア抑留経験をポツポツと話してくれたおじいちゃんの言葉。

穴を掘って亡くなった人を埋めた経験。 言葉にしないけど、これでもか、というような残酷な経験をしてるのでしょう。 何があっても、ビクともしない。 

それぞれ違った経験をして、違った考えを持った人間が、共に生活していることが、生きていくうえで大事だと思った初月忌