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111011 岩手被災地(田野畑)

2011-10-12 01:07:41 | 電車バスお出かけ

盛岡駅でバスに乗り換えて、岩手観光スタート。ぺんちゃんのお目当ては「遊覧船でウミネコさん」なんだけどね。
バスに乗るとお弁当タイム。でも、かなりカーブの続く山岳地帯。今回はバスガイドさんのお話を聞きながらの
移動なので退屈知らず。高原部分に入ると、ちょっとだけ紅葉した木々と湖で絶景。
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でも、写真は失敗。
最初の休憩地点に到着。
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岩泉町の三田貝分校(道の駅です)。
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路線バスの本数が少ないのにビックリ。
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またたびドリンク?(おいしかった)まるで別世界。
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龍泉洞に行ってみたいけど、このツアーでは寄らないんだよな・・・。
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今回は、岩手県北観光のバスでのツアー。一泊二日のツアーで同じ道を何度も通ったり
してるけど、大型観光バスの姿は皆無。テレビで良く登場する南三陸町とか陸前高田とかに
ボランティア参加している人も居るだろうに、純粋な観光でいいの?って言う気分が
観光客を遠ざけているのかもしれないし、復興の邪魔になるかも?とか、また津波が来たら
怖いとか思って観光客が居ないのかもしれない。
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水がきれいな小川が流れていた。関東では、こんな川はあまり見かけない。
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ぺんちゃんが異常反応を示す、青緑色の石に見えなくもない。
田野畑に到着。
ここから、地元民さんがガイドとなり説明をしてくれる。
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正直言って、「何?これ」と思ったけど三陸鉄道の島越駅跡。
中央右の水色の部分が切符売り場兼改札口。
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津波前までは、駅前に海水浴場がありレジャースポットだったとのこと。
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説明を聞いてるけど、あまりに凄い状況と言うか、想像を超えた風景にツアー参加者の
観光気分が消滅。

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駅のトイレ跡。
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仕切り板の跡とかもわかるけど、埋まっているし何もない。
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乗り場への階段が途中まで残っているけど、トンネルや橋脚が残っていて鉄道があったと
思わせるけど橋桁すら流されて無い状態で津波パワーを嫌でも感じる。
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防波堤も大きく破損して海水浴場だったとは信じられない。
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駅名の由来などを書かれた部分は波に平行だったので壊れなかったのか。
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本来なら堤防に設置されていたのかもしれないけど、堤防ごと流されてたものを拾って
再設置した感じ。
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駅前の住宅地だったんだろうな。階段が見えるし。
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二軒の家だけが助かったけど、周りは更地状態。
続いて、田野畑駅
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こちらは標高が高く、無傷。しかし前後で線路が無い。
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今は、貴重な仮設商店機能を提供しているぽい。
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トンネル向こうは、さっきの島越駅。
次は、羅賀地区。
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こちらの羅賀荘は津波対策済み施設だったので、津波に対して抵抗を少なくしたり
水が抜けるような工夫をしていて、施設での人的損害は無し。定期的に津波訓練も行い
避難所としても使用したとのこと。こういった津波ビル・津波タワーがもっとあれば良かったの
かもしれない。

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中央を横切っているのが県道で下側が海になる。

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何もない。
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お魚の加工場跡。陸上施設が壊滅なのでお魚の出荷は絶望的なのかも。
製氷所とか、仕分け所とか無いし。

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羅賀荘の横になるけど、今回は反時計回りで津波が押し寄せて引き波の力でやられたらしい。

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階段や歩道が完全に原型をとどめていない状態。

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県道を越えて住宅地も・・・。
津波の時は、防災無線で警報発令を知り海の水が引いて海底が露出。これを見て
多くの方が早めに避難したため死者は数人レベルで済んだもよう。
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避難した神社にストーブ・燃料・毛布・着替えなど時間的余裕があったので最低限の物資を
集めて難を越えたらしい。ちなみに、盲点は「着替えの下着」と「電気のブレーカー」だった
とのこと。地震と違って濡れる可能性もあるし、海水なので電気がショートする危険もある
のが理由でした。
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明治の津波の碑。明治・昭和・平成の津波は概ねこの付近まで来たとのことだけど、
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海から距離も高さも結構ある。

※今回のツアー参加者が46名もいるので、意図せず顔が写っている率が高いです。
いつもの回なら無条件に没にしていますが、今回は代替が利かない部分は記載してます。

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昭和の津波で運ばれてきた大石。

バスの車窓から・・・
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防波堤は各地で破損し、何もない更地が続く・・・異様な世界。
続いて漁師さん達の作業小屋があったエリア。
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木々など全てのものが流されて風景が一変してしまっています。
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ここでも、防波堤が大きく破壊され原型をとどめていない状態。さらに、

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急斜面をコンクリで吹き付けていた部分も破損して、石がなだれ込んでしまっている。

もう半年も経つのに、復興は進んでいる?撤去が済んだだけにしか見えない。
バスから見てもお店のたぐいが一切ないし、地元民さんの説明してくれてる人に聞いたけど
田野畑駅にある仮設商店があるだけで生鮮食品(特に野菜)の入手が困難な状況。
さらに鉄道・バスなどの公共交通が充実していないのでお年寄りを中心に買い物は
不便な状態が続いているとのこと。(どうやらコンビニは津波前から無かったっぽい)

ペンちゃん的には、この際三陸鉄道の復旧はあきらめて(どうせ、赤字になるだろうし)
鉄道代替バスにして、節約できたお金で津波対応の避難所・スーパー・行政窓口の
複合施設を作って、そこを核にバス網などインフラ整備をした方が良いんじゃないかと
思う。もちもん、次世代に津波被害を伝えるためのコーナーも併設。オオカミ少年で
あてにならない津波警報が被害を広げたと思う部分もあるから日頃から海への関心
をもって異常に気づいて避難が理想的かな。

ただ、九州人で松戸市民のペンちゃんは地元民ではないので、地元の方々が
不満だけを言う受け身の姿勢で支援額が決まらないから何もしない、とか
支援頼み状態になるよりかは、地元のことは地元で決めて生活しやすい町になってくれる
方が良いんだけどね。


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