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北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

ダック鬼嫁日記46「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのよん」

2006-09-13 | ㊥旧正月はハナ子の音頭で乾杯
おねえちゃん、と私を呼んだのは、夫の従妹、2叔父の娘である、まだ高校生のリンリン(仮名) だった。
義鳥という田舎で育ったためか、彼女はかなり素朴な性格で、私にとって大変かわいい存在。 外見も大変かわいい。フジのアイドル出身アナに似ていて本物よりもかわいい。 日本人男子たちに写真を見せたところ「目垢が付く前に紹介してくれ!」という熱い反応が複数寄せられたので、身びいき抜きでもやはりかわいいのだろうと思う。 だいたい、パパ実家関係者は我が夫を除けば、見てくれの麗しいひとが多いのだ。 最初に見たときは「中国一般人にもキレイ/可愛いって存在するのか・・・」と、感心したほどだ。 夫に関しては、ハナ子遺伝子大爆裂(外見ね)だけれども。

「おねえちゃん、おかえり。」
カタコト日本語の彼女が発した言葉はそれだった。 いらっしゃい、ではなく。
私はそれが妙に嬉しかった。
ハナ子に悪口を散々言われているのであろうし、どうしよう・・・とわだかまっていたものが、スーッと消えた気がした。
一緒に来てくれた4番目の叔母と、1叔父の娘である従妹シェン、シェンの婚約者、4叔母の息子である従弟のゲンゲンが素早く私たちの荷物を取って車に積んでくれた。 皆ニコニコしている。 5人も迎えに来てくれたので車は2台だった。

義鳥の空港からホテルまでは15分ほど。
この日は遅かったし、「義鳥市内の住居はそれほど広くない」と叔父叔母が言い、ホテルを取ってくれていた。 私から見れば、彼らの住んでいるアパートメントは十分広々としているのだけれど、義鳥郊外にそれはそれは広い10LDKの戸建てをそれぞれ持っている彼らとは基準が違うのだった。 ちなみに、その10LDKはピカピカにきれいで庭も広く、しかし価格をつけるならば日本円一千万程度なのだそうだ。 土地建物込みで。 所有権は無くとも、心揺れる話ではあった。

ともかく、その夜私たちは疲れ切っていたため、ホテルに着くと即泥のように寝た。 リンリンたちにしてみれば夜遊びに繰り出したかった(義鳥は田舎なのに何故か夜遊ぶところがある)だろうに、私たちの様子を見てさっさと引き揚げてくれた。 ありがたかった。

起きたのは翌日の10時近く。
パパからの電話で目が覚めた。 それが無ければもっと寝ていたかもしれない。
例年通り杭州で年越するというパパは、「長男が二十年ぶりに義鳥で年越しする」ということに大変興奮している様子だった。 
北京を出る前にも何度か電話で話しており、今回の段取りは伝えてあったにもかかわらず、
「誰の家で年越ししますか」
「誰々もいるの? 料理は誰がする?」
「1日は、私の代わりにおかあさん(=のおばあちゃん)のところにお参りしてくださいね」
と、時折涙ぐみつつ、しかし総じて嬉しそうに話していた。

そう、パパ実家では、新年最初の重要なイベントとして、可能な限り関係者全員参加の下、お墓参りに行く(といっても叔母たちは婚家の関係で毎年参加とはいかないらしい)。 前日徹夜していても、雪が積もっていても、元日の午前中は必ずそうする。 簡単な朝ごはんは食べてから出かけるものの、新年の宴はお参りが済んでから、と決まっている。

そんな重大なイベントに、長男であるパパはもう二十年も参加していないのだった。 ましてパパは超の付くマザコン。 私にはわからないが、それはパパにとって常に心に掛かる、辛いことらしかった。

それほど辛いのなら。
それほどまでに実家で年越ししたいのならば。
ハナ子に何と言われようと実家に来てしまえばいいのに・・・と、私は思った。 パパが過去、精神的に弱ってしまった時期があったことは知っていたけれど、現在のパパは「病んでいる」様子は無いのだし、パパが大人しくしていればしているだけ、ハナ子が図に乗るのではないか?という風に思えてならなかったから。
私が思うに、ハナ子は激しい性格だけれど、一方で酷く気の小さいところがある。 ある程度は彼女に譲ってやるにしても、要所要所でパパが主張を通せば、少しは大人しくなるんではないだろうか。
優しくしすぎるから、度を越したわがままになってしまう部分があるんじゃないか?
攻める権利の無い自衛隊にだって、防衛する権利はある・・・

嫁である私が何を思っても仕方の無いことではあった。


私たちはホテルでギリギリ間に合った朝食ブフェ(と言うと格好良さげだけど実は中華粥と点心、美味しい)を済ませた後、午後になってから2叔父の家に向かった。 義鳥中心部から5分ほどのところにある真新しいアパートメント。 部屋の下に着いてから電話をすると、リンリンがベランダに出てきて手を振ってくれた。 見上げれば、どこの家庭にも赤い中華提灯が飾られる中、一際大きいのが揺れている窓だった。

上に行くとリンリンは教科書を片付けていた。 高校三年生だった彼女は受験を控えて猛勉強中。 しかし旧正月中は遊びたいので、来客のあるギリギリまでがんばっていたのだそうな。

中国の子供は本当によく勉強する(一方で満足に学校に行くことさえできない人々もいるはずなのだけれど、それはまた別にする)。
夫のパパ側の従弟妹のうち、リンリンとこざるちゃん(♂)の2名が現役高校生なのだけれど、ふたりとも全寮制の高校に通っていて、週末と長い休みのときしか自宅にいない。 学校は自宅からも通える距離なのだが、授業後の補習が毎日遅くまであるために寮の方が便利なのだそうだ。 それも、毎週日曜の午後には補習授業があるので、生徒たちは金曜の夜自宅に帰って、日曜の朝には学校に戻らなければならない。 私が高校生だった頃にも学習塾だ模試だと土日を潰されていたけれど、自宅で自由にするのと学校内に缶詰にされるのとでは、重圧が違うように思う。

若いときなんて、いやいやでも何でもいいから学んどいて損は無い。・・・とも思うけれど、反面、親自身に出来ないレベルのお勉強をさせているから、教育熱心になり過ぎるのではないか、と少し意地悪に考えた。

もっとも、リンリンの母である叔母は「いい大学より、近くの大学に行って欲しいのよ」と話していたから、のんきな方なのだろう。

叔母とリンリンと話しているうちに、大晦日の料理担当である叔父が食材とともに帰宅。 それから順に、4叔母家族と叔父の友人がぞろぞろとやってきた。

例年、叔父一家は郊外の村で年越ししているのだけれど、この年に限っては「市内の住居を新築したので」という理由で新居の方で大晦日を過ごし、明けて新年の朝に村へ移動するということだった。 「新築した家にて年越し」というのは風水上、重要であるらしい。
1叔父一家は村で、叔母たちはそれぞれの配偶者の都合に合わせて過ごし、4叔母だけは「夫には兄弟が多いので気楽」と、2叔父宅の年越しに参加した。

2叔父はたいへんな料理上手。
鳥・豚・魚に野菜もたっぷり。 酒も自家製でほんとに美味しい。
良い匂いが充満する頃、楽しみにしていた宴が始まり、
「いただきま~す」
と私が日本語で言うのを、リンリンとゲンゲンが唱和。
なごやかだなぁ、と思ったところに目に入った見慣れない肉。

それは犬肉だった・・・・・・・・・・・・・・・


 

             「旧正月はハナ子の音頭で乾杯 そのご」へ続く。



上がってると嬉しい。
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私は単純で幸せ。 ありがとうございます。



㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ふむふむ。 (あや)
2006-09-14 08:58:11
『いらっしゃい』と『おかえり』はかなり感覚が違うよねぇ。

ハナ子とも接点ある人達から『おかえり』の言葉が発せられたのは余計ににんま~~り嬉しくなっちゃうよね。

しかし、中国人は本当に勉強しまくるんだねぇ。

私も見習わなくちゃいけませんのぉ~(滝汗)

せめてその方々の10分の1くらいでも勉強するようになれればいいんだけど・・・(苦笑)

犬肉・・・ついにお目にかかっちゃったんだ(((;゜Д゜)))



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犬肉はねえ・・・ (北京ダック)
2006-09-15 00:19:49
涙が出た。

もう30年近く「犬好き」として生きてきたからねえ、いきなり食品とは見做せない。



勉強は、日本人でも俗に言う「良い学校」に行く子はものすごくするんだろうけど、そうではない、普通の子達に関しては中国の方がする、と感じた。

そして彼らの学んだことは実戦向き。 英語でも何でも、学習したら躊躇せず使ってくる。 高校生のときの私には出来なかったこと・・・
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