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奈良の西大寺

2013-09-14 07:04:31 | 古寺(古事)探訪記
夏の暑い盛りに奈良の西大寺を訪ねた。
西大寺の創建は奈良時代の天平宝字8年(764)と伝えられ、奈良時代の末期、京都に都が
遷る30年ほど前の時代とされている。
創建当初の寺域は東西11町、南北7町、面積31町(約48ヘクタール)に及ぶ広大なもので、
実に甲子園球場が12個分の広さだった。
東の東大寺に並び西の大寺にふさわしい官立の寺であっため、完成までに15年余の歳月が
費やされた。
この東西両寺の考えは、その後、平安京の東寺と西寺に受け継がれた(京都の西寺は、
建立後400余年ほどで衰退、再建されることなく現在は、礎石のみ)

  

南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇った、わけても寺域に東西2つの五重の
塔(東塔・西塔)が聳えて、威風堂々としていたらしい。
今の薬師寺の西塔、東塔の五重の塔のようなものだったろうか?
残された記録では、東西の2つの塔とも、現存する薬師寺の東塔よりも10メートルも高い、
約46メートルもあったらしい。しかし、壮大な2つの塔の西塔は、平安時代に落雷により焼失、
東塔も室町時代に兵火によって焼失した(現地案内板より)
今は、東塔の跡の基壇だけが残されている。

  

その後平安時代になり、再三の火災や災害に遭い衰退し、奈良興福寺の支配下になっていたが、
鎌倉時代中期(1238年)になって、稀代の名僧叡尊上人が、西大寺の復興に尽力した。
西大寺と言えば叡尊、叡尊と言えば西大寺と言われるほど、西大寺復興に果たした叡尊上人の役割は、
大きかったようだ。

  

稀代の名僧叡尊

叡尊上人は、西大寺に住み精力的に復興に尽くしながら、多くの貧者、病者などの救済に奔走し、
今日で言う社会福祉事業にも力を尽くした。
また宇治橋の架橋や泉橋の復興などで、多くの土木事業にも尽力し、住民の困窮の救済に努めた。
更に、弟子忍生と共にハンセン氏病患者の更生施設「北山十八間戸」を作り、多くの病者・貧者の
救済に努めると共に、仏教の真の姿を広めた。

  

叡尊上人によって復興された西大寺は、その後、再び室町時代(1502年)に火災で壊滅的な被害を
受け、現在の建物はすべて江戸時代以降に再建したものである。

毎年10月第2日曜に開催される、秋の大茶盛式は、西大寺復興の祖、叡尊上人の茶儀を今日に
伝え残すものとして、多くの参拝者で賑わう。