東近江市は、平成18年に八日市市・永源寺町・五個荘町・愛東町・湖東町・蒲生町・能登川町の
1市6町の合併により誕生した。
この東近江市の五個荘町は、近江商人の発祥の地として、多くの偉大な商人を輩出してきた。
近江商人屋敷や近江商人博物館が往時の活躍ぶりを今に伝えています。
石馬寺は、そのような五個荘の山際にひっそりと佇んでいる。
かつて、随筆家の白洲正子さんが、近江の「かくれ里」で紹介されたように、
「ひっそり」の言葉がもっとも似合う山際の古刹です。
寺伝によると
【今から約1400年、聖徳太子が近江の国に霊場を求め、繖山(きぬがさやま)を
馬で登ろうとすると、馬は霊気を感じて足が前に進まないので、
太子は馬を松つないで山へ登り、この地に寺を建立しようと発願され、
下山してみると不思議なことに馬が石となり池に沈んでいたという因縁により、
寺名が石馬寺と名付けられました。】 (案内書より)
この由来を、再現するかのように、駐車場のすぐ横に「石馬の池」の石碑が立っている。
寺の名前もこれに由来する。
確かに、白い長い立方体の石が古池の底に沈んでいるのが見えた。
境内には本堂や大佛宝殿などが立ち、大佛宝殿には「役行者腰掛像」「十一面観音立像」や
「大威徳明王像」などが11躰も安置されている。
かつては相当大きな寺で有ったようだが、織田信長による戦禍や豊臣秀吉による寺領の没収などもあり、
今では、ほんの小さな隠れ寺の風情になっていました。
境内に向かう長く続く苔むした石段は、あちこちに可愛い石仏が置かれてあって
情緒満点で清々しい気分だった。
1市6町の合併により誕生した。
この東近江市の五個荘町は、近江商人の発祥の地として、多くの偉大な商人を輩出してきた。
近江商人屋敷や近江商人博物館が往時の活躍ぶりを今に伝えています。
石馬寺は、そのような五個荘の山際にひっそりと佇んでいる。
かつて、随筆家の白洲正子さんが、近江の「かくれ里」で紹介されたように、
「ひっそり」の言葉がもっとも似合う山際の古刹です。
寺伝によると
【今から約1400年、聖徳太子が近江の国に霊場を求め、繖山(きぬがさやま)を
馬で登ろうとすると、馬は霊気を感じて足が前に進まないので、
太子は馬を松つないで山へ登り、この地に寺を建立しようと発願され、
下山してみると不思議なことに馬が石となり池に沈んでいたという因縁により、
寺名が石馬寺と名付けられました。】 (案内書より)
この由来を、再現するかのように、駐車場のすぐ横に「石馬の池」の石碑が立っている。
寺の名前もこれに由来する。
確かに、白い長い立方体の石が古池の底に沈んでいるのが見えた。
境内には本堂や大佛宝殿などが立ち、大佛宝殿には「役行者腰掛像」「十一面観音立像」や
「大威徳明王像」などが11躰も安置されている。
かつては相当大きな寺で有ったようだが、織田信長による戦禍や豊臣秀吉による寺領の没収などもあり、
今では、ほんの小さな隠れ寺の風情になっていました。
境内に向かう長く続く苔むした石段は、あちこちに可愛い石仏が置かれてあって
情緒満点で清々しい気分だった。