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滋賀県東近江市の石馬寺(いしばじ)

2012-01-29 05:20:13 | 古寺(古事)探訪記
東近江市は、平成18年に八日市市・永源寺町・五個荘町・愛東町・湖東町・蒲生町・能登川町の
1市6町の合併により誕生した。
この東近江市の五個荘町は、近江商人の発祥の地として、多くの偉大な商人を輩出してきた。
近江商人屋敷や近江商人博物館が往時の活躍ぶりを今に伝えています。



石馬寺は、そのような五個荘の山際にひっそりと佇んでいる。
かつて、随筆家の白洲正子さんが、近江の「かくれ里」で紹介されたように、
「ひっそり」の言葉がもっとも似合う山際の古刹です。

寺伝によると
【今から約1400年、聖徳太子が近江の国に霊場を求め、繖山(きぬがさやま)を
馬で登ろうとすると、馬は霊気を感じて足が前に進まないので、
太子は馬を松つないで山へ登り、この地に寺を建立しようと発願され、
下山してみると不思議なことに馬が石となり池に沈んでいたという因縁により、
寺名が石馬寺と名付けられました。】
 (案内書より)

    

この由来を、再現するかのように、駐車場のすぐ横に「石馬の池」の石碑が立っている。
寺の名前もこれに由来する。
確かに、白い長い立方体の石が古池の底に沈んでいるのが見えた。



境内には本堂や大佛宝殿などが立ち、大佛宝殿には「役行者腰掛像」「十一面観音立像」や
「大威徳明王像」などが11躰も安置されている。
かつては相当大きな寺で有ったようだが、織田信長による戦禍や豊臣秀吉による寺領の没収などもあり、
今では、ほんの小さな隠れ寺の風情になっていました。
境内に向かう長く続く苔むした石段は、あちこちに可愛い石仏が置かれてあって
情緒満点で清々しい気分だった。




中国大連探訪記

2012-01-14 02:44:35 | 古寺(古事)探訪記
昨年の秋に、日露戦争の事跡を尋ねて、中国大連を訪れた。
特に203高地、東鶏冠山、水師営などの日露戦争の文物を訪ね廻った。


  

2009年から3年にわたり放送されたNHKドラマ【坂の上の雲】の影響も有ってか、他の旅行者も殆どが
日本人で行く先々の観光地で、再々顔を合わせた。


  
     ロシア軍の塹壕跡

  
         東鶏冠山のロ軍兵舎(要塞)          ロ軍がこの壁穴から機関銃を掃射した

  
       ロ軍司令官コントラチェンコ戦死地の碑        東鶏冠山の鎮魂碑   

東鶏冠山の戦跡から、車に乗り20分ほどで203高地の駐車場に着いた。
駐車場の奥の山肌に「二〇三景区」と刻印された岩があり、
山頂までの急な坂道が、その岩山の横から続いている。
小生の一行は、徒歩での登頂を嫌って有料のマイクロバスを利用し山頂まで行った。
料金は、往復で一人100元だった。


  
      二〇三景区と刻印された岩山             現地案内板

山頂の広場中央には銃弾の形をした奇妙な忠魂碑が立っており、
爾霊山(にれいさん)と書かれている。
203高地攻略戦で犠牲となった多くの将兵の霊を慰めるために、
日露戦争が終わった後に建てられた忠魂碑である。
銃弾の形の塔は、203高地で拾い集められた弾丸などで造られていると言う。
爾靈山は、203を中国語に読んだ場合、「爾霊山」となるために、乃木将軍が名付けた。
乃木将軍は、戦塵に散った兵士の鎮魂を込めた「爾霊山」という漢詩も作っている。
旅行者一行は、山頂にある売店に似た「記念館」で、
中国人スタッフによる203高地での激戦を流暢な日本語で説明を受けた。


  
     威力を発揮した28センチ砲                 203高地に建てられた忠魂碑

出師営の会見所
膨大な犠牲者を出しながらも、兵士の獅子奮迅の戦いにより勝利を収めた乃木日本軍は、
出師営という村の農家で、勝者としてロシア軍司令官ステッセルとの会見を行った。
席上ステッセルは、日本軍と日本兵について、次の3点を褒めたたえたと伝えられている。
(この項、司馬遼太郎の「坂の上の雲」による)
・坑道戦を戦い抜いた日本の工兵
・日本の砲兵の射撃能力
・28センチ砲の威力


  
       水師営前景                       会見した家屋

小生もこの会見所跡に入り、内部を見学したが、玄関を入ると左右に1つずつ8畳ほどの
土間が有るのみで、本当に小さな家、小さな部屋だった。
この時の会見は、その後尋常小学校国語読本に「出師営の会見」という歌として掲載され、
国民に広く知らされた。
そのために乃木将軍の実像からかけ離れた、乃木神話が広まったとされる。


文部省唱歌 「水師営の会見」  作詞者 佐佐木信綱  作曲者 岡野貞一

1 旅順開城 約(やく)なりて  敵の将軍 ステッセル
  乃木大将と会見の  所はいずこ 水師営
 
2 庭に一本(ひともと)なつめの木 弾丸あとも いちじるく
  くずれ残れる民屋(みんおく)に  いまぞ相見(あいみ)る二将軍

3 乃木大将はおごそかに  みめぐみ深き大君の
  大みことのり伝うれば  彼かしこみて謝(しゃ)しまつる
 
4 昨日の敵は今日の友  語る言葉も打ち解けて
  われはたたえつ彼の防備  彼はたたえつわが武勇

5 かたち正して 言い出でぬ 「この方面の戦闘に
  二子(にし)を失い給いつる  閣下の心いかにぞ」と
       
         6番以降は省略


なお、旅順に於いての両軍の被害は、以下の通り。
 ・ロシア軍
  死傷者:18,600人 内死者:2,000から3,000人
 ・日本軍
  死傷者:60,212人 内死者:15,400余人     
        (司馬遼太郎の「坂の上の雲」より)