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再び、鹿ケ谷安楽寺!

2011-11-27 06:40:22 | 古寺(古事)探訪記
昨年に引き続き、今年も安楽寺を訪ねる機会があった。
紅葉の時期だったので、そんなに広くない境内は、
多くの観光客で満ちていた。




安楽寺は、住蓮山安楽寺と号する浄土宗の寺院である。
鎌倉時代の初め、現在地より東に約1キロメートルあたりに、
法然の弟子、住蓮上人と安楽上人の二人が
鹿ケ谷草庵を建てて人々に念仏を布教していた。
たまたま、後鳥羽上皇の官女の松虫姫と鈴虫姫が教化を受けて、
密かに出家する出来事があった。
上皇の怒りを受け「専修念仏停止」の宣下によって、
両上人は死刑、法然上人は讃岐国に、親鸞上人は越後国に
配流された。
これがいわゆる建永二年の法難である。(中略)
本堂には阿弥陀五尊像を安置し、傍らに住蓮・安楽両上人と
松虫・鈴虫両姫の坐像や法然上人張子像などを祀っている。(中略) 
     以上 京都市の案内文より



「松虫姫鈴虫姫和讃」は、美しく哀しい七五調の語りですが、
安楽寺では毎年4月には鈴虫姫の、11月には松虫姫の
和讃法要を勤めるほか、更に毎月一度、和讃例会を開いている。


          松虫姫鈴虫姫和讃の一節

       帰命頂礼 都にて   東山なる鹿ケ谷
       仰いで松虫鈴虫の あらまし由来を尋ぬれば
       円光大師の御弟子にて 住蓮上人安楽は
       柴の庵の明け暮れに 心を澄ます谷水の
       流れを人の聞き伝え 人里まれなる 鹿ケ谷
      なお山深く分け入りて 柴の庵を 結びつつ
      恵心僧都の御作なる 座像の弥陀を 安置して
      不断念仏なしたまう (略)


和讃全文は、以下のページで
 http://anrakuji-kyoto.com/wp-content/themes/anrakuji1/images/wasan.html


 

なお、この寺の住蓮上人と安楽上人、松虫姫と鈴虫姫姉妹の由緒は、
古くから有名で多くの文献に紹介されている。
一例をあげると、「徒然草」「明月記」「愚菅抄」「鹿ケ谷因縁談」
「都名所図会」「安楽寺上人伝」等々。



     住蓮上人と安楽上人の墓              松虫姫と鈴虫姫の墓




          近くの哲学の道                哲学の道に立つ標識



湖南三山_常楽寺訪問記

2011-11-19 06:12:51 | 古寺(古事)探訪記
深まりゆく秋の一日、湖南三山を訪ねた。
平成16年に、石部町と甲西町が市町村合併で、湖南市が誕生した。
その翌年平成17年から、この湖南市に奈良時代に建立された天台宗の寺院で
国宝に指定された常楽寺、長寿寺、善水寺の三ヶ寺が、
湖南三山と称するようになったそうです。
一種の町起こし、寺起こしです。


   

常楽寺
湖南三山の中核的存在の常楽寺は、和銅年間(710年頃)元明天皇の勅命により、阿星寺
五千坊の中心寺院として、また紫香楽宮の鬼門鎮護として栄えたらしい。
平安時代から鎌倉時代にかけて、皇室の帰依を受け隆盛を極めたが、延文5年(1360)火災で全焼。
同年、再興された。(同寺の案内文)


  

常楽寺は、天台宗の寺院で、東方にある長寿寺の「東寺」に対して、
一般に「西寺」の呼び名で親しまれている。
桧皮葺きの本堂は、南北朝時代に再建されたもので、中央には秘仏の木造千手観音坐像が安置され、
どっしりとした落ち着いた雰囲気を醸し出している。
また境内の奥に聳える三重の塔は圧巻で、山の中腹にあり、
背後の木々の紅葉に溶け込むような美しい調和を見せている。