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宇治川の橋寺

2010-09-26 19:52:01 | 古寺(古事)探訪記


宇治川の東岸にある橋寺を訪ねた。真言律宗のお寺で、寺名は放生院常光寺。古くから宇治橋の管理に関わってきたので、通称【橋寺】で知られている。創建は、推古12年(604)とも大化2年(646)とも言われ定かでないが、かなり古い。
奈良西大寺の僧叡尊は、弘安9年(1286)の宇治橋の架け替え工事に合わせ、川で亡くなった人や馬などの霊を慰めるため、中洲に十三重石塔を建て、またこの寺で盛大な放生会を営んだ。このことから寺名を「放生院」と称するようになったという。
堂内には、叡尊が造ったといわれる地蔵菩薩立像や有名な宇治橋断碑(だんび)が拝観出来る。
特に【宇治橋断碑】は重要文化財で日本三古碑の一つ。大化2年(646)に立てられ、江戸時代になって寺の地中から碑の上部3分の1の断石だけが発見された。宇治橋の成り立ちを刻んだもので「断碑」と言われる所以である。
現在拝観できるものは、その後に碑の下部を継ぎ足したもの。


笠置山探訪!

2010-09-21 18:19:47 | 古寺(古事)探訪記


残暑厳しい9月のある日、京都府南部の笠置山に後醍醐天皇の事跡を訪ねた。山全体が大きな花崗岩で覆われている笠置山は、それゆえ古代から信仰の対象とされ鎌倉時代初期には、宗教の山、信仰の山として全盛を極めた。特に大岩に線彫りした大磨崖仏は、末法思想の流行とともに天人彫刻の仏として非常な信仰を受けけた。
しかし、後醍醐天皇を中心とした「元弘の変」により全山焼失し以後、明治中期まで荒廃した。
特に笠置寺の象徴である弥勒大磨崖仏は、激しく痛み殆ど弥勒像の姿が消え去り光背のみとなった。この他に「後醍醐天皇行在所跡」や「虚空蔵磨崖仏」「千手窟」「解脱鐘」「正月堂」等の多数の事蹟が、笠置山の往時を偲ばせてくれる。
この山を舞台に戦った後醍醐天皇は、2,500人の軍勢で寄せ手の幕府軍75,000人、実に30分の1の圧倒的劣勢の中で戦い敗走、捕らえられ隠岐に流された。




木津川の流れ橋

2010-09-15 12:22:52 | 古寺(古事)探訪記


木津川の流れ橋は正式には上津屋橋(こうづやばし)といい、久御山町と八幡市を結ぶ木津川に架かる
全長500Mを超える木造橋である。
一般には「流れ橋」と呼ばれ親しまれている。
その名の通り、台風時の増水で橋の板が流れる仕組みになっている。
その流された板は、太い鉄のワイヤーで繋がれているので、回収され復元される。
昨年(H21)の10月8日の台風での増水によりに、流出したが今年(H22)の6月に見事に復元された。
また流れ橋は、京都にあって嵯峨大覚寺と並んで時代劇映画のロケ地でも有名である。



奈良豆比古神社

2010-09-10 12:24:10 | 古寺(古事)探訪記


先日、奈良豆比古神社(ならづひこじんじゃ)へ行った。古い由緒ある能面や能衣装を見学させて貰らった。それと、この神社の裏に聳える【大きな樟の木】(根元周り13メートル)が、見る者を圧倒する。昼でも薄暗い神社裏に樹齢1200年を超える樟の大木は、それ自体、神が宿っているのではと、見る者に畏敬の念を抱かせる。小さな神社だが、歴史は古く能楽(猿楽)の発祥の地とされ、毎年10月8日には無形文化財の翁舞が奉納される。



京都嵐山の【大悲閣千光寺】

2010-09-07 11:27:25 | 古寺(古事)探訪記


猛暑のある日、嵐山にある【大悲閣千光寺】を尋ねた。
嵐山の渡月橋を渡って川沿いをどんどん上がっていくと、平家物語の横笛で有名な千鳥ケ淵も越え、
更に行き進むと左手に千光寺への参道が見える。
この寺は、高瀬川の開鑿で有名な角倉了以が、開鑿工事で亡くなられた人々を弔うために創建した寺で、
客殿の一角には、角倉了以像が安置されている。
またこの寺は、司馬遼太郎の【街道を行く】シリーズでも詳しく取り上げられている。
山上の千光寺からの眺めは大変素晴らしく、晴天の日には比叡山をはじめ、
大文字山など京都市内が一望出来る。
秋の紅葉の頃は、清滝・高雄と共に絶景のロケーションとなる。