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奈良明日香村の飛鳥寺

2012-05-13 06:01:02 | 古寺(古事)探訪記
桜の盛りに奈良飛鳥寺を訪ねた。
日本に仏教が入って来たのは、西暦537-550年頃と言われている。
以来、崇仏派と排仏派との争いが、時の天皇をも巻き込んだ争乱にまで発展した。
当時、崇仏派として蘇我馬子、排仏派として物部守屋の争いは「乱」にまでエスカレートして、
遂に排仏派の物部守屋は殺害されてしまった。
勝ち残った蘇我馬子は、聖徳太子の力も得て、仏教によって国を治める・・・と言うような話を
学校の歴史で習ったような記憶が有る・・・・(誰れでも)。
飛鳥寺は、蘇我一族(稲目-馬子-蝦夷-入鹿)の氏寺で、歴史事跡の豊富な寺である。






       飛鳥寺略縁起

  崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が創立した日本最初の本格的寺院であり、
  寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。
  本尊飛鳥大仏(釈迦如来)は推古天皇13年(605)天皇が詔して鞍作鳥仏師に
  造らせた日本最古の仏像である。
  旧伽藍は仁和3年(887)と建久7年(1196)に焼失し、室町以降は荒廃したが
  寛永9年(1632)と文政9年(1826)に再建され、今日に至っている。
  現在は真言宗豊山派に属し、新西国第9番、聖徳太子第11番の霊場でもある。
  
                   (お断り:漢数字は、英数字に変換しています)

         




この頃、絶頂期であった蘇我一族も、その宗主である入鹿が「大化の改新」のクーデターによって
中大兄皇子、中臣鎌子らによって暗殺された。これ以後、興りに興った蘇我一族も滅亡していく。
盛者必衰のことわりここに極めり・・・。