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奈良県葛城市の笛吹神社

2012-06-24 05:25:23 | 古寺(古事)探訪記
葛城山の麓に鎮座する、由緒深い笛吹神社を訪ねた。
しかし、神社前の大きな石柱には、「葛木坐火雷神社」
(かつらぎにいますほのいかづち)と書かれている・・えっ!
笛吹神社ではなかったの?
不思議に思い調べてみると、元々は火雷神を祀る火雷神社と、
笛吹連たちの氏神を祀る笛吹神社が
合体して、一つになったと伝承されている。
一説によれば、葛城王朝の葬送の儀式として、笛を吹いて野辺送りを
専門にする一族の氏神だったとの説も


  

一般に笛吹神社と呼ばれ、近在の人々に親しまれているが、
笛吹の名前から、笛や尺八の上達祈願に参拝に訪れる人も多く、
正月には、境内で奉納演奏が行われているという。
やはり伝承に違わぬ由緒深い雰囲気を持った神社だ。


  

  
 
更に境内に入って驚いたのは、樹木に囲まれた境内に据え置かれた、
錆びの出た大砲である。
大砲の前に置かれた記念碑には、以下のように書かれている。


   この大砲は日露戦役の記念として明治42年6月に
   政府より当神社へ奉献された露国製加農攻守城砲で
   昭和51年春に今上陛下御在位50年を
   記念して有志の寄進により車輪を修復した


 
 

しかし、何故この神社に、このような大砲が・・・?
疑問は深まるばかりだ。

 

鳥居の横には、奈良県の指定天然記念物の
「イチイガシ(一位樫)」の巨木が
古びた神社の趣を一層引き立たせている。

古くは、戒那山(かいなさん)と呼ばれた葛城山の
麓の風景に溶け込んだ笛吹神社の佇まいは、
古代史のロマンを醸し出している。



 




滋賀県栗東市の金勝寺

2012-06-03 05:31:45 | 古寺(古事)探訪記
金勝寺(こんしょうじ)への足がかりは、道の駅「こんぜの里りっとう」である。
徒歩であれ自動車であれ、この道の駅で一息を入れていかなければ途中が苦しい・・
・と思うほど、金勝寺は山の中に在る。
と言っても600mにも満たない山だが、奥が深い。
この地域一帯は、金勝と書いてコンゼと読むが金勝山に建っているので、
寺の呼び名はコンショウジと呼ばれている。





金勝寺は、天平5年(733)東大寺の良弁(ロウベン)僧正が創建したとされるが、
平安時代に入って山岳修験道の広まりと共に発展した。その後、嵯峨天皇の帰依もあり、
堂塔25寺を数え三重塔も有する湖南地域の中心的大寺院だったと伝えられている。



     案内板
     当寺は天平5年(733)聖武天皇の勅願によって良弁が建立したものであるが、
     寺院として整備されたのは平安時代初期、僧額安によってである。
     天長10年(833)定額寺に列せられ、寛平9年(897)には国家によって
      正式に得度を許された僧である年分度者2名の定置が認められ、
     後に25別院を有する寺院となり湖南地域の仏教文化の中心として栄えた。
     天暦7年(953)には寺域が定められ、鎌倉時代中期頃の写しとされる
      「金勝寺寺領牒示絵図」によれば、大講堂を中心に三重塔などが描かれており、
      当事これらの建物が存在したと考えられる。
                        平成元年三月
                         栗東市教育委員会




良弁僧正は、浄瑠璃や歌舞伎の題材にもなった「東大寺の良弁杉」でも有名で、
東大寺の初代別当となった。
この湖南地域は、他にも良弁僧正の開基を伝える長寿寺、常楽寺などの寺院群がある。
また、西国三十三札所の第13番石山寺も良弁僧正の開基とされている。






現在の金勝寺は、天台宗毘沙門堂(京都市山科区)の末寺となっている。
この湖南地域は、他にも国宝を有する天台宗の古刹
「常楽寺・長寿寺・善水寺」が在り、湖南三山と呼ばれ親しまれている。