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大和郡山市の額安寺

2011-12-25 06:46:04 | 古寺(古事)探訪記
伝説の万葉の歌人、額田王の事跡を訪ねて、奈良大和郡山市の額安寺を訪ねた。
額安寺の前身は、額田寺とされている。



1250年ほど前の天平宝字年間(757 - 765年)、この地の豪族、額田部氏の氏寺であったそうです。
額田寺伽藍条里図(国宝)によると、
額田寺の全盛期の寺域は大変広く、南北約200メートル、東西300メートルに及び
七堂伽藍が整った立派な寺であったらしい。
しかし、幾多の変遷を経て、今日の額安寺にその法灯を伝えています。
寺の名前の由来は、 推古天皇がおでこに腫れ物を病まれた際に、
この寺の前身である額田寺熊凝精舎の薬師如来に祈願されたところ、
跡形もなく全快されたことから「額安寺」の寺号を賜ったと伝えられています。



額安寺の門前に立てられた案内文

            額安寺(かくあんじ)
        聖徳太子は、ここに学問修行の道場(熊凝の精舎)を建てられ、
        叔母君推古天皇は、この精舎に寺号<額安寺>を賜ったと
        伝えられています。
        このあたりは古代水運の要所で外国使臣や文物の上陸場所であり、
        額安寺は、その受け入れ口に規模壮大な七堂伽藍を備えた寺として
        臨んでいました。(中略)
        しかし時と共に衰退し、鎌倉時代には僧忍性等によって
        一時復興されましたが、のち兵火のため講堂一宇(今の本堂)を
        残すのみとなってしまいました。 平成五年十月 大和郡山市


                                  

今年の2月16日放送されたNHKの歴史秘話ヒストリア
【感動!「万葉集」ヒットパレード】の取材で、「額田王が歌の勉強したお寺」として、
撮影スタッフが額安寺に取材に来たそうです。
しかし、残念ながら、寺側がそのような事跡は残っていませんと否定されたらしい。(?)



湖南三山_長寿寺

2011-12-10 07:19:28 | 古寺(古事)探訪記
深まりゆく秋の一日、湖南三山を訪ねた。
平成16年に、石部町と甲西町が市町村合併で、湖南市が誕生した。
その翌年平成17年から、この湖南市に奈良時代に建立された天台宗の寺院で
国宝に指定された常楽寺、長寿寺、善水寺の三ヶ寺が、
湖南三山と称するようになったそうです。


  

長寿寺
聖武天皇の天平年中(729-748)、良弁僧正によって建立された勅願寺であり、
現在国宝に指定されている。
国宝である本堂は、貞観年中(770年頃)に焼失したが直ぐに再建され、現在に至っている。
(同寺の案内文)
そもそも、長寿寺は、紫香楽宮の鬼門に位置し常楽寺ともども、
紫香楽宮の結界寺の役割を果たしていたものと思われます。
2つの寺は、鬼門守護の位置関係から東寺と西寺と呼ばれています。

  

平安時代には、この地に「阿星山五千坊」と呼ばれるほどの多くの寺院が、
建立され天台宗の一大聖地として大いに栄えていたようです。
しかし、現在は、この長寿寺と常楽寺のみが、その佇みを今に伝えています。
またこの寺は、「中世に源頼朝や足利氏らの祈願所になっていたが、
天正の頃に信長の手によって、三重塔は、自分の居城である安土城へ、
楼門は栗東市の連台寺へ移築し、主要建物を失った」(同寺の案内文)とされている。